オーダーメイド・2
「結局、帰ってこなかったなあ」
ベッドの上で寝そべりながら、トーマはぼんやりと天井を眺める。彼の呟きを聞いて、ジュリは嫌そうに顔をしかめた。
「……黙れよ。今何時だと思ってんだてめえ」
明かりの消えた部屋の中、ジュリはトーマをねめつける。暗がりでも、その視線はしかと定まっていた。だから、彼は申し訳なさそうに頭を下げる。
「うるさいのがいねぇんだから良いじゃねぇかよ。は、何だよ、奴隷根性染みついてんなあ、お前」
「そんなんじゃないよ」
レオが帰ってこない。何故、彼が出て行ったのか、トーマにその理由を推し量る事は出来ない。ただ、帰りを待つだけだ。それを奴隷根性と呼ぶのなら好きにしろと、彼は半ば投げ遣りに思う。
「レオの事、心配じゃあないの?」
「全然」言い切って、ジュリは頭から布団を被った。これ以上話し掛けるなと言われているようで、トーマは釈然としないながらも口を閉ざす。目を瞑っても、眠りは中々訪れなかった。
隣を歩くザッパを瞥見して、ガランは笑みを噛み殺した。消灯時間の過ぎた寮内の廊下を、二人は足音を立てて歩く。
まだ、信じられなかった。
試験と称した私闘じみた行為にザッパが一対一で負けるのも、彼を負かしたのがメイド服を着た女だというのも、だ。
「色々と本気だよな?」
「何の事だ」
「本気で相手して負けたのかって聞いてんだよ」
ガランがそう言うと、ザッパは自嘲気味に口角をつり上げる。
「何を言っても言い訳にしか聞こえなくなる。俺の負けだ。それで良い」
「あーあー、馬鹿にされちまうぜ」
「構わん。それより、彼女を任せたぞ」
立ち止まり、ザッパはとある扉を指し示した。
「ご指名だもんなあ。尤も、俺じゃなくてレオの、だけど」
「……あの者、レオ・バーンハイトの侍女ではないのか?」
女の発言や行動から考えても、恐らくはそれが最も近い。しかしと、ガランは納得のいっていないような顔を作る。
「どうした?」
「いや、何でもねえよ。とりあえずウチについて説明して、明日の朝に他の奴らと顔合わせだな」
「よろしく頼む。一応は俺の推薦になるからな」
頷き、ガランはノブに手を置いた。どうして自分の班には一癖ある連中が集まるのか。彼は溜め息を吐き、ゆっくりとそれを回した。
目が覚めると、鼾をかくレオを認めた。トーマは胸を撫で下ろして、ベッドから落ちたシーツを彼に被せ直してやる。が、すぐに蹴られて床へと落ちた。どこで時間を潰していたのだろう。誰かに迷惑を掛けていなければ良いのだが。そんな事を考えている内、ウェッジが体を起こした。彼は平生と変わらない所作で室内を見回す。
「…………帰っていたのか」
「いつの間にかね。全然気付かなかった」
「…………戻ったのなら気にする必要はない。二人を起こして食堂に行こう」
頷き掛けるトーマだが、寝相の悪いレオと、常に機嫌の悪いジュリを起こすのは躊躇われる。
「じゃあ、僕はレオを……」
「俺は朝の空気を吸ってくる」被せるようにウェッジは言った。彼は手早く身仕度を済ませると、そそくさと部屋を出ていってしまう。
「ずるい!」
ウェッジは振り向かなかった。今の声でもレオたちは起きない。眠りを妨げられた彼らの怒り、その矛先が自分に向くのを想像して、トーマは息を吐く。しかし、目覚めない限りは一日が始まらない。彼は気合いを入れて、レオの頬を叩いた。
「……ん。んん」
「朝だよー、ごはんだよー」
レオが寝返りを打つ。起き上がる事はなく、彼は深い眠りについたままだ。トーマは諦めてジュリに目を遣る。難易度でいえば、彼女の方が遥かに困難だった。レオにしたように叩く訳にはいかないので何度も呼び掛ける。
「ジューリー、朝だよー」
ジュリは規則正しい寝息を立てている。流石に、眠っている間は大人しいな、と、トーマはぼんやりと思った。何だか起こすのが申し訳なく思えてくる。
「第一、起こす理由がないじゃないか……」呟いてみたが、起こさなかったら起こさなかったで文句を言われたのを思い出した。どっちにしても面倒な二人だった。
「てい」レオには枕をぶつけておく。顔面に乗っているので、息苦しい筈だ。暫く放っておけば勝手に起き上がってくるだろう。トーマはジュリの枕元に近づき、彼女の顔にも枕を乗せるべきか悩んだ。悩んで悩んで悩みぬいて、どうして自分がこんな事をしなければいけないのかと腹が立ってくる。
「ジュリのバカ」
ウェッジが戻っても起きなかったら、その時にどうするか考えよう。トーマは自身を納得させてレオの様子を見る。くいくいと、服の裾を引っ張られた。振り向くと、形容しがたい表情をしたジュリと目が合う。「おはよう」と言えば、彼女は目を見開いて体を起こした。
「てめぇ、オレが寝てる間に何気持ち良くなろうとしてんだよ、ああ?」
「……何の事?」
「誰がバカだって聞いてんだよ田舎もんが。耳が使えねぇなら引きちぎっても構わないよな」
地獄耳。トーマは思わず呟いた。
「手ぇ出さなかったのは褒めてやんよ。そん時はお前、オレのおもちゃになってたからな」
今だっておもちゃみたく扱われているではないか。トーマは喉元まで出掛かった言葉をぐっと飲み込む。
「ジュリが起きないから悪いんだ」
「ハアア? オレの勝手だろうが頭イカれてんのかお前。つーかさ、起こせなんて頼んでねぇぞ。気味が悪いんだよ」
「起こさなかったら文句言うだろ」
「言うかよ」
「前は言ったじゃないか!」
わざとらしく耳を塞ぐと、ジュリは大義そうにベッドから下りた。
「あーあーあー、朝からムカついてしようがねぇ。その辺の野郎で憂さ晴らすか」
「レオー、ジュリも起きたよー」トーマはジュリを無視してレオに声を掛ける。
彼女はそれが気に食わないのか、自分の枕をトーマの後頭部に投げ付けた。飽き足らず、よろめいた彼をベッドに押し倒す。
「いきなり何すんのさ!?」
「お前生意気なんだよ! 立場ってのを教えてやるって言ってんだ!」
「言ってない!」
「逆らうんじゃねぇよ。黙ってりゃイイ思いさせてやっからさあ」
全身に鳥肌が立つ。トーマはもがくが、ジュリは彼を逃さない。
「貴様らぁ! 朝から何を喚いている!」
騒ぎで目が覚めたのか、レオはベッドの上に立ち上がっていた。彼はトーマたちを見下ろす。
「……不埒だぞ貴様ら」
「良いから助けてよっ」
四人揃ったので、トーマたちは食堂の隅にあるテーブルを確保した。利用者はまだ少ないが、時間が経つにつれて増えてくる。彼らは新人だったので、年長者に強引に席を取られる事も多々あった。早めに行動するのを心掛けていたのである。
「最近さあ、朝飯食うの早くなってねぇ?」
「そう言えば、俺もそんな気がするぞ。おい農民、どうなっている?」
「気のせいだよ」
先輩が怖いのではなく、レオとジュリが問題を起こすのが怖いというトーマとウェッジの判断だった。
「まあ良い。俺の朝餉を持ってこい」
「自分で取ってきなよ」言って、トーマは席を立つ。レオはその後ろを追い掛けた。
「…………行かないのか?」
ジュリはあくびをしてから、気だるそうに口を開く。
「空いてねぇんだよ。めんどいし、あいつらのを適当に食う」
「…………そうか。む?」
食堂の入り口に知った顔がいるのに気付き、ウェッジは目を見開いた。
ガランと、知らない女が連れ立っている。彼は食堂内を見回していた。誰かを探しているようで、ウェッジは何となく嫌な予感がした。そして、目が合う。手を振られて、ウェッジは目を瞑った。
「よう、全員揃ってるかー?」
「勝手に座るんじゃねぇよ」
「素っ気ねえぞジュリ。おう、トーマたちもそろそろ戻ってくるな」
「そうですか」
ガランは椅子を引いて座ったが、メイド服を着た女はその場に立ち続ける。
「……何だよ、こいつ」
ジュリはメイド服の女を指差した。指を差された彼女は恭しく頭を下げる。
そこに、トーマとレオが戻ってくる。
「あれ?」
トーマは、メイド服の女を見つけて、不思議そうに首を傾げた。
「もしかして、昨日の?」
「ああ、ご覧になっておられたのですね」
「え? えっと、ご、ごめんなさい」
「何謝ってんだよバーカ」
くすくすと、メイド服の女は小さく笑う。
「申し遅れました。私、本日付けでガラン班の一員となります。レイ――――」
「――――レイネ? 何故、お前がここにいるのだ?」
レオは呆然としていた。だが、驚愕の色はない。見たくなかったものを無理矢理に見せられたかのような、そんな表情をしている。彼と、レイネと名乗ろうとした女性をを除いた者は、口を開くのを躊躇っていた。
「答えろレイネ。何故、ここにいるのだ」
トレーをテーブルに置き、レオはレイネをねめつける。
「私は坊ちゃまの御側付きなれば」
「……今すぐに帰れ」言って、レオは食事を始めた。
「そ、そういう風に言うのはどうかと思うよ。あの、レイネ、さん?」
「レイネ、で、結構です。ええと……」
ガランは両手を合わせて、静まり返った空気を叩く。
「よし、自己紹介だ。レイネ、お前も座れ。いつまでもそうされると、落ち着いて飯を食えねえだろ」
「では、失礼します」
自己紹介が終わった後も、ガラン班の空気はどこかおかしかった。重くはない。だが、話し辛いのだ。トーマはレオとレイネの顔を見比べて何か言おうとするが、諦めて、スープに目を落とす。
「…………二人はどういう関係なんだ?」
「射手、勘違いするな。こいつと俺は無関係だ」
あまりにも下手な嘘だが、しかし、ウェッジは笑わなかった。
「吹いてんじゃねぇよ。大方、お前んとこのメイドなんだろうが」
「黙れ赤毛。貴様には関係ないだろう」
「はっ、そりゃそうだ。確かに関係ねぇよ。……メシはマズくなるけどな」
「ふん、それこそ関係ない。味は変わらんからな」
無駄に険悪である。
「坊ちゃま」レイネが立ち上がった。
「口元にパン屑が付いております」
「触るなっ、いつまで子供扱いするつもりだ!?」
「ですが」
「ですが!? ふざけるなっ、どうせレナードの指示だろう。俺に構うなっ、その為に、俺は……!」
立ち上がったレオは注目されているのに気付き、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「くだらん。ガラン、自己紹介とやらは終わりだろう?」
返事を待たず、レオは食堂を出て行った。彼が残した食器を見て、トーマは溜め息を吐く。
「私が持っていきますから」
「え、そんな、レイネさんがやらなくても……」
「いえ、私は坊ちゃまの御側付きですから」
トーマの手からトレーを取り上げると、レイネはカウンターまで持っていき、ガラン班の面々に頭を下げる。彼女はもう振り返らず、食堂を辞した。
「どこ行くんだろ」
「デカいのを追いかけるんじゃねぇの? 見上げたチューセーシンだなあ、あははっ」
「……言い方、トゲがあるよ」
「あ? 何お前? あ、そっか。ご主人様を取られて面白くないんだろ?」
ジュリはけらけらと笑う。付き合いきれなくなって、トーマも席を立った。
レイネがガラン班に入ってからは、何事もなく、数日が過ぎた。ただ、波風なく、無事平穏な日が続いたという訳ではない。示し合わせたかのように、誰もが、何もしなかっただけの事である。波風を立てないでおこうと、問題から目を逸らしたに過ぎない。
トーマは漠然とした不安を抱え込んでいた。最近、レオの機嫌が悪いのである。自分に対する八つ当たりも、他の人間に対する態度も、いつもより刺々しく、痛々しかった。
その理由は分かっていた。レイネ、である。彼女が何かをした訳ではない。だが、レオはレイネを疎ましく思っていた。
疎ましく、思っていた。
「……そうなのかなあ」
自室のベッドから天井を見上げる。トーマは目を瞑り、思索に耽った。
少しずつではあるが、ガラン班は纏まりつつあったのだ。手を伸ばせば、望んでいたものが手に入ったのである。決して、レイネのせいではない。だから、トーマは起き上がった。じっとしていても何も変わらない。話を聞こうと思い立った。
「あの、トーマ様はいらっしゃいますか?」
扉がノックされる。トーマは跳ね起き、
「レイネさん?」
扉を開けた。
平生と変わらず、メイド服を着たレイネは頭を下げて、それから微笑む。最近になってトーマは気付いた。彼女の笑みが、作り物めいたものに見えている事に。
「どうかしたんですか?」
「ええ、実はトーマ様にお話が……あ、申し訳ございません。あの、お時間、よろしいですか?」
トーマは首を縦に振る。内心、都合が良いとも思っていた。
「ジュリ様とウェッジ様は、いらっしゃらないのですか?」
「うん。二人は出かけてる。えっと、何なら呼んできた方が、良いの、かな」
「いいえ、問題ありません」
「そう? じゃ、ええと……」トーマは部屋の隅に置かれている木製の椅子をレイネに勧める。彼女はそれを断ろうとしたが、トーマは強引に座らせた。そうしないと、落ち着かなかったのである。
「トーマ様」
ううんと唸り、トーマは難しそうな顔を作った。
「あの、その、様ってのはやめてもらいたいんですけど」
「ですが、トーマ様は坊ちゃまのご友人です」
「いっ? 良いよ、僕、偉くないし。呼び捨てでも何でも、でも、様ってのは、むずむずするから」
「むずむず、ですか」
「う、うん」
「では、トーマさん。これで、いかがでしょう?」
さん付けでも呼ばれ慣れていない。トーマの背中が少しだけ痒くなる。
「大丈夫だと、思います。そいで、話っていうのは」
「坊ちゃまの事です。この数日、坊ちゃまとトーマさんの様子を陰から拝見させていただきました」
冗談ではなさそうな口振りだったので、トーマは口を挟めなかった。
「突風同盟で、いいえ、この街で、坊ちゃまとの仲が一番良いのはトーマさんです」
「……そうかなあ」
「間違いありません。そこで、あの、トーマさんにはお伝えしておくべきだと思いました」
レイネは視線を手元に落とし、それから、ゆっくりと口を開いた。