街
それは小さな大陸だった。
版図を広げ、富を築き、国を守るので手一杯の者には見えなかった。知ってはいたが、それ以上は必要としなかった。
最初に気付いたのは、動いたのは、今となっては何者なのか分からない。だが、誰かは気付いた。何者かは動いた。大陸に向けて馬車を揺らし、舟で水面を切り裂いた。大地を踏み均し、森を切り開いて進んだ。
そして、見つけたのである。
ルートナイン。
大陸の中央に位置する街の名である。が、ルートナインと、この街を正式な名称で呼ぶ者は少ない。ただ単純に街、タウンだとか、ホームだと言う者が専らである。それもその筈だ、この大陸には街が一つしかないのだから。
街には常に喧騒が渦巻き、雑踏には活気が溢れている。
「うわ……」
北部出身であるトーマは生まれて初めて村を出た。生まれて初めて街を見た。街までの道中でガランから話は聞いていたのだが、やはり実際に目にするのと話を聞くだけではあまりにも違い過ぎた。
煉瓦で舗装されたまっすぐな一本道。その左右には様々な建物が軒を連ねている。看板らしきものには酒樽や刀剣類が描かれており、その建物が何を商いとしているのかが分かるようになっていた。
トーマは街の入り口に立ち尽くし、流れていく人並みを眺めている。今から自分もここの住人になるのだとは理解していたのだが、どうにも実感出来なかった。すぐ近くにある現実が、遠い世界の、御伽噺のように思えてしまう。
鎧を着込んだ屈強な男。
ローブを羽織った怪しげな老人。
談笑する獣人たち。
翼を持つ者は屋根の上を駆けていく。
軽装の女が踊るように酒場へと入っていく。
人。人。人。
今までに見た事のない数の人間がトーマの視界でうぞうぞと蠢いている。この世界の人間が全てここにいるような気さえした。もっと良く目を凝らして探せば、村の皆もいるのではないかと思い、嫌悪する。
「……僕の馬鹿」
今は前を見て、先を考えろと自分に言い聞かせ、トーマは再び人波に視線を向けた。
歩く。走る。止まる。話す。笑う。怒る。泣く。叫ぶ。飛ぶ。
様々な人の様々な動作を見て、トーマは、
「うっ……」
酔った。
トーマは街の入り口から引き返して、喧騒からは少し離れた場所にいた。手近な石に座り込んで顔を上げると、『ようこそ』と、文字の潰れかかった看板が見える。馬鹿にされているような気がして、彼の気持ちは沈んだ。これからどうしようか、どうすれば良いんだろうと、今更ながらに考えてしまう。
「ルートナインとはここか?」
そんな折、トーマの傍に男が立った。
「え、え?」
トーマは声の主を確かめる。
「ここかと聞いている」
居丈高な声の主は、トーマよりも背の高い金色の髪の少年であった。深い蒼を湛えた瞳に見据えられ、トーマは戸惑ってしまう。何より、少年の出で立ちに恐縮したのだ。ヘルメットこそ被ってはいないが、喉を守るゴルゲット、肩当て、肘を守るコーター、二の腕を守るヴァンブレイス、手首を守るガントレット、脇を守るペサギュ、胸部と背部を守るキュイラス、腰部を守るフォールド、タセット、キュレット、チェインメイルスカート、大腿部を守るキュイッス、膝を守るポレイン、脛を守るグリーブ、足を守るソールレット、と。並大抵の者では揃えられない装備を身に纏っていたのである。
王様みたいだと、トーマはぼんやりと思った。そして、金髪の少年に反して、自分は何とみすぼらしい服装なのかとトーマは俯く。
「貴様、口が利けないのか?」
「う、あ、きっ、利けます利けます」
顔を近付けられて、トーマは石から飛び退いた。
「ならば答えよ。ここはルートナインなのか?」
「そ、そうです」
少年から滲み出る気位の高さに押され、トーマは敬語で返事をする。自分と年齢は変わらないだろうと、そう思ってはいても、である。
「やはりそうであったか。うむ、流石は俺だ」
少年は腕を組み、満足そうに頷いた。彼は街の様子を一頻り眺めた後、トーマに向き直る。
「おい、そこの」
「僕、ですか?」
「貴様以外に誰がいるか。俺を案内しろ」
「あ、案内って、あの街を?」
「そうに決まっているだろう」
断言された。トーマは困ってしまう。案内しろと言われても、自分だってここには着いたばかりで、おまけに街に入れず人に酔ってしまう有様なのだ。
「えっと、僕、急いでいるから」
「急いでいる人間が道端で座り込んでいたと? 貴様、俺に嘘を吐くつもりなのか?」
少年が腰に手を当てた。トーマがそう認識した瞬間、目の前に剣の切っ先を突きつけられる。
「う、わああああっ!?」
後退りし、近くにあった木の幹を背にしてトーマはしゃがみ込んだ。
「む? 貴様、剣を向けられるのは初めてか?」
初めてどころか、もう二度と見たくもなかった。トーマは何度も頷き、目の端に涙を浮かべる。
「……案内したいのは山々なんだけど、僕も今日、と言うか今、初めてここに来たんだ」
「なるほど」と呟き、少年は剣を鞘に収めた。
「俺と同じレベルの者であったか。ふ、貴様運が良かったな」
全くだ。トーマは内心で頷き、ゆっくりと立ち上がる。
少年は何も言わず、トーマに背を向けて歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「貴様初心者なのだろう? ならば用はない。さっさと消えろ」
「君の勘違いで物騒なもの向けておいて、謝りもせずにその言い草。それはないんじゃないのかな」
少年は端正な顔を歪ませて笑う。がしゃりと、鎧が無骨な音を立てた。しまったと、トーマは今更になって手で口を塞ぐ。
「ほう、よもやこの俺に道徳を説こうとはな」
「えっと、ちょっと待って。僕は別に道徳とか、そういうんじゃなくって」
「俺の名はレオ・バーンハイト。この大陸で未踏の地を切り開いて財を成し、名立たるプレイヤーの頂点に立って名声を得た誇り高きバーンハイト家の長子だ」
レオ。そう名乗った少年はトーマを見据えてにやりと笑った。
彼は突然どうしたのだろうと、トーマは小首を傾げる。
「……貴様、バーンハイトを知らんのか。そうか、我が威光も島の端にまでは届いていなかったと言う事か」
「えーと、それってすごいの?」
「当然だ。プレイヤーならば一度は耳にする。そう決まっているのだ」
「ご、ごめん。……あ、僕の名前はトーマって言うんだ」
態度こそ大きいが、先に名乗ったのはレオだ。自分も名乗らなければ礼を失する。そう思ったトーマなのだが、
「ああ、そうか」
レオの興味を引く事は出来なかったらしい。
「貴様、出身はどこになる?」
「シアンの村だよ。この大陸の北部にあるんだ」
レオは眉根を寄せる。
「聞いた事がないな。ふん、何かおかしいと思ったが、貴様農民だったのか」
農民。
果たしてその通りなのだが、明らかに下に見られていると感じた。トーマはぶっきら棒にそうだよと告げる。
「ふん、匹夫の勇結構。気に入ったぞ農民、俺に仕えるのを許してやる」
「仕える……? 嫌だ。僕には君に頭を下げる理由はないと思う」
「なっ、俺はバーンハイトの長子だぞ!?」
何度も言われたとしても、声を荒げられても知らないものは知らない。仮に知っていたとして、名前だけにひれ伏すような真似をするつもりもトーマにはなかった。
「くっ、だが面白い。ますます気に入ったぞ農民」
「僕はトーマだ。農民ってのに間違いはないけど、そんな呼び方ってないだろ」
「良し、農民、俺をここで一番大きなギルドに案内せよ」
何が良しなのかトーマには分からなかった。しかし、一番大きなギルドなら知っている。街に着くまでの間、ガランから色々と話を聞いていた為だ。
「それなら知ってる。けど、君には教えたくない」
「ほう。貴様、農民の分際で俺に楯突こうと言うのか?」
剣を抜きたければ抜いてみろ。トーマはそう言わんばかりにレオを強く見据え付ける。
レオは柄に手を伸ばし掛けたが、その手をゆっくりと元の位置に戻した。
「君の下につくような事はしたくない。だけど、隣に立って案内する事ぐらいは出来る」
「……なるほど、身分を弁えず自らの道理を通そうとするか。よりにもよって、このレオ・バーンハイトに対して」
レオはこみ上げてくる笑みを喉の奥で噛み殺し、トーマの傍にまで近付いた。
「良かろう農民、道案内を許すぞ」
相変わらず偉そうな態度ではあるが、屈託のないレオの笑顔からは親しみを感じる。が、案内してやるなどと息巻いていたトーマはギルドの場所を知らなかった。今来たばかりなのだから当然である。この街で一番大きな、となれば名前は聞いているのだが、しかしそれだけだ。
「良し、僕に付いて来なよ」
何が良しなのか、トーマにはまるで分からなかった。
街に入り、ふらふらと歩き始めてから一時間。トーマはすっかり道に迷っていた。一本道の大通りと曲がりくねった裏路地を行ったり来たりして、それでも目的地は見つからない。そも、道に迷ったと言うのは間違いかもしれなかった。何せトーマは最初から道を知らないのである。
そうして、疲れたと訴えるレオの意を汲み、彼らは街の中央に位置する噴水広場で体を休めていた。
広場の隅、日陰になっている場所に座り込んだトーマたちは周囲の様子を興味深げに見回した。ここではダンジョンと呼ばれる危険な場所へ向かう為の同行者を募る演説をする者や、その話を熱心に聞いたり、あるいは聞き流して笑い飛ばす者もいた。人が集まったのを見計らい、露天商が慌ただしく開店の準備を始めるのも見える。
「……貴様、俺を引きずり回して何が楽しいのだ」
「そんなものを着てるから疲れるんだよ」
「馬鹿め、だから貴様は農民なのだ。これはバーンハイトを示す鎧であって即ち俺の威光を示す……」
トーマはレオの話を聞き流して喧騒に耳を澄ませる。自分が幾ら黙っていても、ここでは誰かが口を開く。自分が座っていても誰かが歩く。時間の流れに逆らうように、あるいは時間の流れがそうあれと言っているように、街は常に動き、街には常に変化がもたらされていた。
「農民、そのギルドとやらはどんなものなのだ」
「えっと、突風同盟っていうところなんだけど」
「センスの欠片すら感じられない名前だな。まあ良い、問題は中身だ。ギルドの規模を答えよ」
「……規模?」
レオはトーマをじっと見つめ、つまらなさそうに視線を逸らした。
「人に決まっているだろう。そこには何人のプレイヤーが在籍しているのだ?」
「えーと、確か三千人、くらいだったかな」
「……三千? ほう、それは中々。俺の知る限り街の人口が二万二千弱。そこからプレイヤー以外の者を除けば、なるほど、半分とはいかずとも、三、四割のプレイヤーがそこに固まっている訳か」
「多いね」
レオはトーマの発した短い感想に何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。
「他にどのようなギルドがあるのだ。ああ、有象無象は要らぬ。俺に相応しいものだけを教えろ」
自分だってまだ街にある全てのギルドを把握している訳でもない。会ったばかりの人間に相応しいものなんか思い付く筈がないのである。トーマは仕方なく、覚えているギルドの名前を挙げた。
「一刀旅団なんかどうだろう。刀を持ってる人が集まるらしいよ」
「馬鹿め。これは刀ではない。剣だ。一緒にしないでもらおうか」
「一緒じゃないの?」
そう言うと、レオは立ち上がって剣を抜いた。
「見ろ、これはただの剣ではない。バーンハイト家に代々伝わる由緒正しい宝剣なのだ。これで先々代が竜を斬り殺し、先代が巨人を突き殺した。しかし見ろ、刃毀れ一つないではないか。剣の切れ味を物語っている、だろう? 現当主から賜ったバーンハイトの剣っ、戦闘のみを追求する下賎な輩が提げる刀と一緒にされては困る!」
「ふうん。じゃあ、一刀旅団は駄目だね」
「貴様ぁ! 俺の話を聞いていたのか!?」
しっかり聞いていたが、あまり興味がなかったので本当に聞くだけで終わったのである。
「む、そういう貴様は武器を持っていないのか?」
「うん。僕はダンジョンに潜ったり、モンスターと戦うつもりはないから」
「では何故街に来たのだ。ダンジョンに潜らねば新たな発見はない。即ち富を築ける足掛かりすらないのだ。モンスターを倒さねば地位も名誉もその手に出来んではないか」
「僕は生産職に就こうと思ってるんだ」
トーマは目を細めて答える。
「生産職だと? ……鍛冶屋か?」
「あ、それも良いなあ。でも、やっぱり僕は料理人かな」
「ふん、しかし材料が足りなければダンジョンにも潜り、必要とあらばモンスターと対峙する時もあるだろう」
「傭兵さんにお願いするから大丈夫」
トーマがガランから聞いた話では、生産職専門のギルドも街にはあるらしい。大きなギルドにも生産職のプレイヤーを育てるところはあるが、やはり専門としているギルドが一番だろうと、彼はそう思っていたのだ。
「腰抜けめ。だから貴様は農民なのだ。俺は違うぞ、大陸にあるダンジョンを踏破し、凶悪なモンスターを撃破し、プレイヤーの頂点に立ってみせる」
「……ふうん。そいで、ギルドはどこにするか決まったの?」
レオは剣を収めて押し黙り、再び座り込む。
「いや、知らん。だから農民、他にも候補を挙げてみろ」
「ううん、じゃあ、白騎士団ってところはどうかな。君みたいな格好をした人もいるだろうし、人数も少ないからすぐに目立てるんじゃない?」
「小さなギルドで目立ったところで仕方あるまい。やはり当初の予定通り、突風同盟とやらで決まりだな。良し、では行くぞ農民」
「場所は分かるの?」
「俺に相応しいギルドなのだ。俺が進めば、その道の先に必ずある」
立ち上がったレオはさも当たり前のように宣言する。
「信じられないや」
言いつつトーマも立ち上がった。今のところ、別段急いでいるという事はない。自分は突風同盟に入ろうと思わないが、こうやって街を歩いていれば、ここだというギルドも見つかるだろう。レオとはそれまでの付き合いでいれば良い。
満足そうに頷くレオを見てトーマは思った。そんな馬鹿な、と。広場を出て歩き始めてからおよそ十分。この街でも一番大きな建物ではないだろうかと思わせるところに人だかりが出来ていたのである。その建物こそ突風同盟の本拠地であり、人だかりは新たにギルドへ入りたいと願う者たちだった。
「俺の家よりは粗末だが、中々に大きいではないか」
「じゃあ僕は帰るね。君は頑張って」
「何を言う。貴様もこのギルドへ入るのだろう?」
服を引っ張られ、トーマの喉からぐええと声が絞り出された。
「……僕は生産ギルドに入るんだよ。ほら、見てみなよあの人たち」
トーマの視線の先には二十を超える人がいる。誰もがその手に剣や槍などの武器を持ち、剣呑な雰囲気を漂わせていた。有体に言えば自分など、それこそただの農民など場違いにもほどがある。
「俺の足元にも及ばん連中だ。それがどうした?」
「そうじゃなくて、どう見たって僕とは全く違う人たちだろ」
「分からん」
「分かってよ!」
「貴様、いきなり何を怒鳴るか。俺の耳が使い物にならなくなるような事があれば死罪に問われるぞ」
「知らないっ、僕は行くからね」
「農民の分際で俺を袖に? 良い度胸だ、覚悟は出来ているのだろうな」
「付いてこないでよ!」
「勝手に離れるな農民!」
トーマとレオが言い争っているのを見かねて、一人の男が彼らに近付いてきた。
「ウチのギルドに入る気がないのなら消えろ」
トーマより背が高く、レオよりは背の低い男である。彼の声音には迷惑だ、と言う色が多分に含まれていた。紐で括った長い髪の毛が揺れ、男は踵を返す。
違うと、トーマはそう言いたかったのだが、男に射竦められて何も言えなかった。
「……説明に戻る。お前らも突風同盟の入団希望者だろう。黙って話を聞くんだな」
それだけ言うと、男は人だかりを掻き分けて段差の上に立ち、話の続きを始める。
「偉そうな男だな」
「偉そう、じゃなくて。偉いんじゃないのかな」
「幹部か、仕方あるまい。ここは大人しく話を聞いてやるとしよう」
トーマたちは場の雰囲気に流されて人だかりに加わった。しかし、男の話はすぐに終わってしまう。
「テストを受けたい者は一時間後、準備を済ませて西側ゲートに集合。テストについての説明は道すがら行う。以上だ」
「あ、行っちゃった」
建物の中に引っ込んでいく男を見て、トーマはふうと息を吐いた。
「ろくな説明もせんと消えるとはどういう了見だ」
「君が話を聞いてなかっただけだよ」
とりあえず、トーマは安心する。どうやら、突風同盟に入る為にはテストとやらを受けなければいけないらしい。ルートナイン最大のギルドは来る者拒まず、と言う訳ではないのだと思い、テストさえ受けなければ入らずに済むのだと気付いたのだ。
「テスト、頑張ってね」
「心配は無用だ農民。よもや筆記などというくだらない形式ではあるまい。俺の力を誇示するには実践が一番だろう。大方、ギルド内でも力のある者が試験官を買って出て入団希望者のレベルを計るに違いない。くく、くっく、はっはっは! 重畳っ、バーンハイトの力を存分に見せ付けてやろうではないか!」
レオはすたすたと歩き出していたトーマを追い掛けて隣に並ぶ。
「俺は心配ない。が、貴様は少しばかり頼りないな。良し、まずは武器だ。武器を調達するぞ」
「え? いや、だから僕はあのギルドに入るつもりは……」
「この街一番の武器屋に案内しろ。俺が貴様に相応しいものを見繕ってやろうではないか」
「え、あ、ちょっと! 引っ張らないでよ服が破けちゃう!」
トーマは必死で抵抗するも、自分よりも背が高く、体の線も太いレオには力で勝てない。ずるずると引っ張られて、街の喧騒に吸い込まれていった。