オーダーメイド
大陸の中央、唯一の街であるルートナインには人が集まる。夢、金、人。その全てを求め、得る為に。
「あの……」
午前中とはいえ、街の広場には多くの者が集まっていた。人間、亜人、老若男女を問わず、人々は行き交い、そこに留まる。屋台を出す者は声を張り上げて客を呼ぶ。ダンジョンに挑む者は協力者を募る。
「申し訳ありません……」
その中に、目に見えて浮いている女がいた。その女はプレートアーマーを着込んだ男の肩を指で突くも、無視されてしまう。彼女はうな垂れ、別の人間に声を掛けた。
「ウチの坊ちゃまを見掛けませんでしたか?」
女の見てくれは決して悪くない。長く、透き通る金髪。肌は白く、きめ細かい。顔立ちも整っており、切れ長の瞳もマイナス要素にはならない。悪いのは、格好だった。申し訳なさそうに頭を下げる彼女は、メイド服を着ていたのである。様々な格好をした者たちが行き交う街だ。彼女もさして珍しくはないかもしれない。ただ、初心者丸出しだったので、誰も関わり合いになりたくなかったのである。
「はあ、どうして誰もお話を聞いてくれないのでしょう」
女は天を仰ぎ、疲れた風に息を吐いた。
トーマとレオは依頼を終えて部屋に戻ると、それぞれのベッドに突っ伏した。
「…………どうだった」
「ううん、疲れた」
トーマの答えに満足したのか、ウェッジは読書の続きを始める。
「ぐああ、あの店主……街中を駆けずり回せおってぇ……!」
レオたちが受けた依頼は、一言で言えばお使いだった。依頼主は宿屋の店主であり、足りなくなった雑貨や食材を買いに、二人は街を奔走したのである。その依頼を紹介したのがウェッジだった。
「もう二度と受けんぞ。モンスターを討伐するならともかく、この俺が、レオ・バーンハイトが使い走りなどと」
「また来てねって言われてたじゃないか」
枕に顔を埋め、トーマは呟く。彼の体のそこかしこから悲鳴が上がっていた。
「行かん!」
「そう言えば、ジュリもどこかに行ってるのかな」
「…………買い物だろう。それよりも」
ウェッジは本を置き、トランプに手を伸ばす。彼はそれを器用にシャッフルすると、扇状に広げてみせた。
「…………借りを返しておかないか?」
「ええ、またポーカー? 僕、アレから勝ったためしがないんだよなあ」
アレ、とは、食堂での手伝いの時を言っているのだろう。当然だ、トーマはジュリに勝たせてもらったのだから。彼女の協力がなければ、彼はツーペアを作るのに精一杯なのである。
「ふん、俺は受けて立つぞ。勝負事となればバーンハイトの腕の見せ所だ。農民、二人ではつまらん。貴様もやるのだ」
ちなみに、レオは賭け事が弱かった。
「お金を賭けるのはやめとかない、かな?」
「ならば何を賭けると言うのだ。勝者は富を得て敗者は財を失うのが世の常であろう」
「…………罰を与えれば良い」
「罰?」
ウェッジは小さく頷く。
「なるほど。では、最下位は一位の命令を一つ聞く、で、どうだ。有無は言わせんがな」
「ううん、それぐらいなら。でも、お金を渡せとか、無理なお願いは嫌だよ」
「良いだろう。射手、カードを配れ」
カードが舞い、レオがベッドの上に立ち上がる。トーマは不機嫌そうにカードを置いた。
「…………まさか」
「これが俺の実力だ! では農民、俺からの命令だ。単身でドラゴンを討伐してみせよ!」
「無理だよ」
トーマはカードを片付けると、ベッドの上であぐらをかく。
「王の命令は絶対だろう!?」
「無理なのは駄目だって最初に言ったじゃないか。もっと、僕にも出来そうな事にしてよ」
「畑を耕せ、か?」
「僕を馬鹿にしてるでしょ!」
トランプをシャッフルしながらで、ウェッジは二人の様子を見物していた。
そこにジュリが帰ってくる。彼女は両手で袋を抱き、言い争うトーマたちに冷めた視線を送った。
「うるせぇっつーの」
ぼそりと呟く。レオは聞き逃さなかった。彼はトーマを指差し、それから、ジュリを指差す。
「農民っ、奴を! 赤毛を始末するのだ!」
「また無理な事を……」
「無理ではない! せめて、奴の捻じ曲がった性根をまっすぐに矯正しろ! それ以外の命令はせんぞ!」
トーマの視線を受け、ジュリは挑発的な笑みを見せた。やれるものならやってみろと、彼女の目はそう言っている。
「無理だよう」
ジュリを相手にするならドラゴンを相手にした方がマシだと、トーマは俯いた。
「しかし、罰を与えねばつまらん。射手、何か思いつかないか?」
「…………一時間、正座」
「ハッ、地味じゃねぇか。罰ってのはさあ、もっと見てるこっちが愉しくなれるもんじゃねぇと」
水を得た魚のような、ジュリは心底から愉しそうに笑い、会話に割り込む。
「全裸で食堂。んで飯食って来いよ。オレらはそれを見とくからさ」
「そっ、そんなのやだよ!」
「バァカ、嫌じゃない罰なんかあるかよ。良いから黙って脱げや田舎もんが」
それでも、トーマにとっては無理だった。彼はズボンを脱がそうとするレオを蹴飛ばして、ドアの前まで逃げる。
「ぐっ、ご、おおお……レオ・バーンハイトの顔に傷があ……」
「あ、ご、ごめん。でも、急に脱がそうとするからだよ?」
「往生際がわりぃんだよ! あーあ、マジで冷めるっつーの。もう良いよ、一日中穴ぁ掘ったり埋めたりしてれば」
部屋の中の空気が白け出した時、外が騒がしくなったのをトーマは感じた。耳をそばだてると、どうやら、階下で何かが起きているらしい。
「…………何かあったのか?」
ウェッジもドアに目を向ける。
「ん、何か、皆が下に向かってる。……か、火事かも」
「おお、丁度良い。では農民、貴様が様子を見に行け。それを罰にしてやろう。ふふん、俺が寛大で助かったな。心の底から感謝を捧げろ」
「えー? つまんねぇよー。もっとさー、お、そうだ。お前、プリカって女にちょっかい掛けて来いよ」
「よっ、様子を見に行ってきます!」
これ以上何か言われる前に、トーマは部屋を飛び出した。
トーマは寮を出て、突風同盟の玄関口へと向かう。人波がそちらに流れているからだ。誰かに話を聞こうかとも思ったが、目的地は近い。亜人の背を追い掛けながら、彼は見えてきたものに目を向ける。そこには、人だかりが出来ていた。中心にいる誰かを取り囲むようにして、ギルドの者たちが野次を飛ばしている。
「喧嘩かなあ……」
呟くトーマの顔には不安の色が浮かんでいた。しかし、ただの喧嘩でここまでの人数が動くものだろうか。ざっと見渡しても、十や二十ではきかない。もっと多くの人間が集まってきていた。人垣を掻き分ける気概は、彼には備わっていない。ぴょんぴょんと跳ねながら、何が行われているのか確かめようとする。何度かジャンプを試みた後、トーマはあっと驚いた。中心にいたのは、ザッパだったのである。彼の装備はセイテン海岸にいた時とは違い、簡素なものだった。手には、以前持っていたよりも小振りなハンマーが握られている。彼の視線は、トーマからは反対側の相手に注がれていた。
「みっ、見えない」
ザッパが相手をするほどの者がここにいるのだろうかと、トーマは内心で訝しがる。巨大なコウグンガニすら仕留めた男に、ただの人間が勝てる道理はない。
様子が覗えないので、トーマは近くにいた男に声を掛ける。知らぬ顔同士だったが、同じギルドのメンバーである。それに、男は熱に浮かされて機嫌が良さそうだった。
「あの、何が起こってるんですか?」
「入団試験だよ、試験」
「試験?」
「ああ、時期は過ぎちまってるけどさ、どうしてもって事でやっこさんが頼み込んだらしい」
何が起こっているのかに対しては理解出来たが、トーマは首を傾げる。
「試験って、戦うんですよね。ええと、ザッパさんと?」
「だから面白いんだよ。その、試験を受けたいって奴がさ、ザッパさんを指名したらしい。一番強そうだとか、そういう理由でよ」
好戦的で挑戦的で、とにかく、自分には真似の出来ない事だと、トーマは震えた。
「どういう人なんでしょうか……」
「さあ、良くは知らないけど、ちょっと変わった女って聞いたぜ。少なくとも、俺はこの街で見掛けた事のない奴だな」
「女の人が!?」
トーマには信じられない。その女も女だが、挑戦を受けるザッパもザッパである。トーマはますます気になって、高く、高く跳ぼうとした。
ザッパはハンマーをゆっくりと下ろす。目の前の女を見て、溜め息を吐きたくなるのを堪えた。
突風同盟の実力者、ザッパの前に立つのはメイド服を着た若い女である。彼女は空手であり、気負う様子もなく、微笑さえ浮かべていた。
女はここに来るなり、自分をギルドに入れろと要求してきたのである。彼女に応じたのがザッパ班の人間だった為に、ザッパが出張る羽目になったのだ。
「……ウチに入るには試験を受けてもらう必要がある。どうしてもと言う事で曲げた訳だが」
メイド服の女は頭を下げる。慣れた仕草であった。格好だけのメイドではないらしい。
「感謝しております」
「ううむ、俺は不器用でな。叩いて壊す事しか出来ない。試験の内容も、そうなってしまうのだが、それでも構わないと?」
「感謝しております」
スカートの裾を摘み、女は大袈裟に頭を下げる。舐められているのだと、ザッパは感じた。
「ウチでなければならないのか?」
「でなければ、意味がありません」
にっこりと微笑まれる。ザッパは苦い顔をしながらハンマーを肩に担いだ。おお、と、周りから歓声が上がる。どちらも逃げられないなと、彼はここで覚悟を決めた。
「では、始めるとしよう」
輪が遠く広がる。試験とは銘打たれているが、実際はただの戦闘行為、一対一の私闘に近い。ザッパの気は乗らなかった。彼が得物を構えた時、女の姿が視界から消えていた。観衆がざわめく。女は、低く身を沈ませていた。翻るスカート。たなびく髪。彼女の拳はザッパの腹部に、突き刺さるようにめり込んでいる。
「…………な、に?」
ザッパは得物を取り落とさなかったものの、膝をついていた。女は追撃を加えようとして、振り上げた手を下ろす。
「その手は、もうやめてくれとの意思表示でしょうか」
小さく頷くと、ザッパは呼吸を整えてから立ち上がった。
「……え、何? 嘘だろ」
「ザッパさんが負けたってのかよ……」
短時間で終わった戦闘が信じられないと、誰もが口々に呟く。突風同盟の幹部が手も足も出せなかったのだ。ギルドの者たちは、未だ呆けてしまっている。
「……身体強化の魔法を使えたとは。いや、老いた。済まないな、油断をしていた」
「こちらこそ。意識を刈り取るつもりだったのですが、良く鍛えられていますね」
褒められても嬉しくはない。ザッパは苦笑し、女をまっすぐに見つめた。
「試験は合格ですか?」
「やはりやめたと言われても、無理に引っ張るぞ。まさか、君のような逸材が街に埋もれていたとはな」
「実は、ここには先程到着したばかりなのです」
ザッパは目を見開く。
「人を探しています。ここは最大のギルドと聞いていましたから、力になってもらえると思いました」
「なるほど、人、か。では、早速力になろう。答えられるかはその者の名前次第だが」
女は静かに微笑み、告げた。
「レオ・バーンハイト。私が仕える主人です」
どうやら、女の捜し物はすぐに終わるらしい。ザッパは大笑して、周囲の者は皆首を傾げた。
騒ぎが静まり、入り口前からは人がいなくなり始めた。トーマは所在なげに立ち尽くす。結局、彼の位置からでは何も見えなかった。気付けば、ザッパが負けて、女が勝っていた。その結果を耳にしただけである。
「……世界って広いんだなあ」
「お前の頭は悪いんだなあ」
後頭部を叩かれて、トーマは飛び上がるほどに驚いた。振り向けば、にやにやと笑うジュリがいる。
「様子を見に行けって言ったくせに音沙汰なし。ガキの使いも出来ねぇんじゃあ殴られたって文句言えねぇだろうが」
「あ。ご、ごめん」
すっかり忘れていたので、トーマは素直に頭を下げる。
「で、何か面白い事でもあったのかよ」
「さっき、入団試験を受けたいって人が来てて。女の人なんだけど、ザッパさんをやっつけちゃってさ」
「はあ? あのでけぇのを? ハッ、面白くねぇの。んな奴がいんのかよ」
レオが聞いたらうるさいだろうな。トーマがそう思ったのと同時、寮から走ってくる彼を見つけてしまう。
「おーそーいーぞー! 貴様、一人だけで何を楽しんでいた!」
「うっせぇのがきやがった」
トーマは駆け寄ってきたレオに揺さ振られる。
「さあ吐け農民、子細漏らさず余さずにな!」
「や、やめてよ……話すから……」
先程の出来事を詳らかに話していると、レオの表情が浮かないものになっているのに、トーマは気付いた。むしろ、彼ならば強者の存在に喜ぶ筈である。
「……えーと、具合でも悪いの?」
「いや、その女、確かにメイドの格好をしていたのだな?」
「僕はちらっとした見てないけど、そうだったって、皆が言ってたよ」
レオは諦めたかのように俯き、周囲を見回す。
「メイドはどこに行ったか、見てはいないか?」
「多分、ザッパさんがそこらを案内していると思うけど、どこに行ったかまでは……」
「……そうか。では、俺は街に行く」
トーマとジュリは訝しげにレオを見遣る。彼は背を向けて、ゆっくりと歩き始めた。
「帰りは遅くなる。くれぐれも気にしてくれるな」
「あっ、う、うん。い、いってらっしゃい」
「だーれが気にすっかよ。……しっかし見たか? あの顔、飯抜きでもああはならねぇぜ」
「うーん? 何かあったのかなあ」
ジュリは体を伸ばして、寮の方へ足を向けた。トーマはその後を追い掛ける。
「ジュリは気にならないの?」
「別にー。ほっとけよ、うっせぇのが消えて清々するぜ」
「ん、うん。レオにだって、一人になりたい時があるよね」
もしかして、あのメイドと関係があるのだろうか。トーマは色々と考えをめぐらせるが、答えは出そうになかった。