赤い海岸線・2
太陽は徐々に天頂を下り始めていた。
ザッパ班、ガラン班との共同で行われたセイテン海岸におけるコウグンガニの討伐も、既に三時間が経過している。トーマたちは小休止すらなしで、モンスターの群れ、その先頭集団の移動を妨げ続けていた。
「…………限界だ」
一番に音を上げたのはウェッジである。彼はガラン班の中でも体力的に頼りなく、その上、恰好がまずかった。何せ日光の下で黒ずくめなのである。体温は上昇し、汗も止まらない。じわじわと体力は削られていく。
「だったら脱ぎなよそれ、暑くない?」
トーマは心配そうに声を掛けるが、ウェッジは首を縦に振らなかった。ポリシーなのか、他に理由があるのか、それとも意地を張っているだけなのか、彼はマントを脱ごうとしない。
「足引っ張られるぐらいならよ、無理やり剥ごうぜ」
ジュリの言葉に、ウェッジはぶんぶんと首を振った。否定の意を示した後は、きっちりと行動でも示す。彼の放つ矢はコウグンガニの目玉を貫いていた。
「本人が脱ぎたくないと言っているのだ。射手ならば、動けなくなろうとも攻撃は可能。そうして力を示している内は気にせずにいると良い」
レオはモンスターをひっくり返す地味な作業に飽きていて、力任せに甲羅を叩き切っている。その代わりに、自分たちをすり抜けていこうとするコウグンガニを、トーマが逃がさないようにしていた。彼はスコップで叩くより、こっちの方が性に合っているらしい。
「誰か水を持ってきてるんじゃないの?」
「オレは知らねぇし、あったとしてもお前らに分けてやんない」
「水筒なら馬車で見たぞ」
ウェッジも首を横に振る。どうやら、全員が武器しか持ってきていないようだった。
「ジュリ、取ってきてくれないかな」
トーマの発言を無視して、ジュリは黙々とモンスターの目を潰していく。
「ジューリー、お願いだよ」
「水ならそこに腐るほどあるじゃねぇか。頭だけじゃなくて目ぇまで腐ってんのかお前」
仕方ないと諦め、トーマは立ち上がった。
「ごめん、ちょっとの間だけ抜けちゃうけど」
「ハァァ? お前ふっざけんなよ、水なんて甘えだ甘え。誰がお前のケツ拭くと思ってやがんだ」
「ならば赤毛、貴様が行け。農民よりも貴様の方が足が速い。はっは、使い走りにはうってつけだな」
「ぜってぇいかねぇから」
「何を!? 水だ水だと言うから、俺の喉は乾いてしまったぞ。誰か水を持てい!」
「叫んでたら余計に喉が乾いちゃうよ」
言い争いをするトーマたちのもとへガランが走り寄ってくる。
「遊んでんじゃねえぞ。何をがたがた言ってんだお前ら」
「水だ」
「……何? 言ったろうが、必要なもんは用意しろってよ」
レオは苛立ち紛れにコウグンガニを切り払った。
「ガランっ、貴様はいつも一言が足りないのだ! 何故! 水を持って来いと言わなかった!?」
八つ当たりを受け、ガランは困ったような顔を作る。
「誰かが取りに行けば良いだろ。向こうが落ち着いてきたから、その間は俺が穴を埋める」
「おっしゃ、行ってこいよ根暗」
「…………何故俺が」
「いや、行くのはどう考えてもお前だろ、ジュリ」
指差され、ジュリは砂を踏みつけた。
「なんでだよっ、お前らよってたかってどうしようもねぇな!」
「お前だって喉乾いてんだろ。一番に飲んで良いから、ほら、ダッシュだダッシュ」
他の三人にも見つめられ、ジュリは観念する。両手を上げて、気だるそうに歩き始めた。
「何をやっている、走れ赤毛!」
「しょうがねえなあお前らは。……で、どうだ。何とかなってるか?」
ガランは言いながらも、決して手は止めない。彼の両腕が振られる度に、数匹のコウグンガニが息絶えていく。
「大丈夫だと、思います」
「頼りねえなあ。まあ、しゃあねえか。それよりどうだ、食堂の奴らとは仲良くしてるかー?」
「あっ、はい、とても良くしてもらってますよ」
「戦場とは思えん会話だな」
レオに突っ込まれて、ガランは違いないと、笑った。
「しかしガラン、貴様の剣力は素晴らしいな。どうだ、俺の下に仕えると言うのは。貴様なら、バーンハイトの家でも充分に働けると思うぞ」
「そりゃあ嬉しいね。俺とお前がギルドをクビになったら、雇ってくれ」
「うむ、心得た」
話をしているが、モンスターの相手をする事も忘れていない。
楽なのか、そうでないのか分からない任務だな、と。トーマはぼんやりと思った。
周囲の敵を粗方片付けたガランは後方のザッパ班の様子を見遣る。どうやら、少し苦戦しているようだった。
「疲れも、ピーク超えてんだろうなあ。ちょっとあっちを手伝ってくる。ここは任せたぞ」
トーマたちが返事する間もなく、ガランはコウグンガニの死骸をすり抜けていく。
「……ガランさんって、すごい人だったんだなあ」
「一番すごいのはこの俺、レオ・バーンハイトだがな」
レオは大剣を振り回して血振りをした。彼は、だらだらとしながら戻ってくるジュリを認めて喚き出す。
「貴様ぁ何をのんびりとぉ!」
その声が聞こえたのか、ジュリはわざと歩幅を狭くし、ゆっくりと歩き始めた。これ見よがしに水筒の蓋を開け、美味そうに飲んでみせる。トーマは溜め息を吐き、レオの肩を叩いた。
「駄目だってば、そうやってジュリの気を引くような事を言っちゃあ」
「俺は赤毛の気を引くような事を言っておらぬ。奴が俺の神経を逆撫でしているのだ!」
ぶんぶんと剣を振るレオから離れ、トーマはもう一度息を吐く。
全員に水が行き渡り、トーマたちは生き返ったような気分を味わった。
「うむ! これならまだまだ戦えそうだな! 平伏せ雑魚どもっ」
「水飲んだだけじゃねえかよ。マジ、単純」
コウグンガニの数が確実に減っているのを感じて、トーマの腕に力がこもる。
「…………いけそうだ」
「やっぱ大した事ねぇな。ハッ、所詮カニだぜカニ」
先が見えれば気力も持ち直す。トーマたちは歩くのに邪魔になるモンスターを端へと退かしながら戦線を維持していた。相変わらず四人の息が合っているのかいないのかは分からないが、ゴブリン戦での経験は確実に活きている。危なくなれば声を出し、そうでなくても他の者のフォローに回れるようになっていた。
このまま何事もなく終わる。四人は確信し、後方から上がった叫び声を耳にした。
コウグンガニの住みかは海底にある。その為に、どのギルドもモンスターを根絶やしに出来なかった。上がってきたモノだけを駆除するしかない。
「うおおおっ?」
「何だこいつ!?」
最後方にいたザッパ班、その数名が水底から現れたモノを見て驚愕する。現れたそれは確かにコウグンガニだ。ただ、大きさは桁が違っていた。
「足狙えっ、足だ!」
このモンスターの体長にはばらつきが生じる。しかし、人間よりも大きなコウグンガニは滅多に出現しない。ザッパ班は幸か不幸か、珍種と遭遇してしまったらしい。
コウグンガニは脅威ではない。だが、大きさが変われば話も違ってくる。あくまで一般的な体長を有しているならばの話だ。規格外のモンスターは常識に当てはまらない。行動パターンも凶暴性も並のそれとは違う。
ザッパ班は出現したコウグンガニへ勇敢に切り掛かり、立ち向かうが、全ての得物は堅固な外皮を貫けずに弾き返されてしまった。モンスターは鋏状になった腕を振る。逃げ遅れたモノが吹き飛ばされ、砂浜を転がった。
「武器を拾え、囲んで叩くぞっ」
コウグンガニの腕自体が得物であり、ただ振り回されるだけでも容易には近付けない。そうしている間にも、他のモンスターが脇をすり抜けていった。
全員がその姿を確認していた。突如現れた巨大なコウグンガニ、その脅威をもはっきりと見てしまう。
「こっ、こっちに来たらどっ、どうしよう……?」
トーマは慌てふためいていた。彼はモンスターを叩くのも忘れて頭を抱える。
「…………死者は出ていない。向こうで仕留めてくれれば助かるが」
「悠長な事を! 出るぞ者ども、奴らには任せておけん。バーンハイトの威光を示す時が来た!」
突っ込もうとするレオを押さえ、トーマは喚いた。
「あんなの無理だって!」
「がたがたうるせぇっつーの。イノシシよりマシじゃねぇか」
「む? イノシシとは何だ? 俺は知らんぞ!」
ウェッジも頷く。彼は巨大なコウグンガニに狙いを定めるが、諦めて近くにいたモンスターを射た。
「貴様ら二人きりでこそこそとっ、何故俺も混ぜなかった!?」
「ただの依頼だってば! ジュリからも何か言ってよう」
ジュリは面倒臭そうな顔をしていたが、何か思いついたように口元を歪める。彼女は胸元を開け、トーマに向かってしなを作った。
「ああ、すげぇ良かったぜ……」
「不埒な! 斬る!」
「ややこしくしないでよ!」
ザッパは禿頭を指で叩き、トーマたちから視線を外した。
「流石は期待のルーキーだな。ああまで余裕を見せ付けられるとは。コビャクとプリカが推した理由も分かるな」
ガランは溜め息を吐き、恨めしそうに大男を睨む。
「皮肉のつもりかよ」
「いや、俺はそこまで気が利いていない。……しかし、アレを相手するにはまだ早いだろう」
「全くだ。行くぞ、二人で仕留める」
両手に剣を構え直し、ガランは標的を見据えた。
「懐かしいな。昔はこうやって、お前と組んでいたか」
「はっは、老けたな」
「かもしれん」
ガランが駆け、後ろにザッパが続く。彼らがコウグンガニを相手するのが分かり、ザッパ班は道を開け始めた。
モンスターが鋏を振るう。ガランはそれを片手の剣で受け止めた。次いで、片側からも鋏が迫る。彼はもう片方の剣でそれを防いだ。
「腹が見えてんぞ!」
「見えている」ハンマーを振りかぶり、ザッパは、おおと声を上げる。放たれた一撃はコウグンガニの腹に激突した。
力が抜け、モンスターが後ろに倒れていく。ガランはその場から離れ、ザッパが得物を大きく振り上げた。
班長二人が見せた鮮やかな連係に士気は上がる。それを見越してザッパは周囲に呼び掛けた。
「残りは雑魚だ。一時間以内に片付けるぞ!」
野太い声がそこかしこから上がり、ガランは舌打ちする。彼は統制のとれたザッパ班が羨ましかった。
「……老けたな」
「俺が、か?」
「いや、俺がだ。一撃で仕留められると思ったんだがな。それに比べて、お前にはまだキレが残っている」
「あれだけやれりゃあ上出来だろ。ドラゴンとでもタイマン張るつもりかよ」
ザッパは難しそうに唸り、
「それも良いな」
と、呟いた。
この後、奮起したザッパ班によって一時間掛からずに、セイテン海岸からコウグンガニが一掃された。
モンスターの死骸を集めて焼き、あるいは打ち寄せる波が引き受け、海岸線には色が戻り始める。セイテン海岸が元の姿を取り戻した時、既に陽は暮れ、辺りには漆黒の帳が落ちていた。
「こん中で一泊かよ……」
毛布を被るジュリは心底から嫌そうに口を開く。
「バーンハイトたる俺が馬車で夜を明かすとは……認めん、許せんぞ……!」
「仕方ねえだろ、全員疲れてんだし、暗くて道も見えねえんだ。良いから寝ろ。もしくは黙れ。明日は早いんだからな」
言うと、ガランは早々に寝息を立てる。トーマは彼を見て、横になった。馬車に乗るぐらいなら、歩いて帰る方がマシかもしれないと思いながら。
四人が諦めて目を瞑ろうとした時、馬車の出入口に誰かが立った。大きな人影だったので、中にいた四人には確かめる必要がなかった。ザッパである。
「ガランは起きているか?」
「あ、ついさっき寝ちゃいました」
「……寝つきの良さは変わらんか。なら、お前たちが受け取ってくれ。依頼料を持ってきた」
差し出された袋に、出入口近くにいたトーマが手を伸ばす。が、その手は払い除けられる。起き上がったジュリが、引ったくるようにしてそれを取った。
「ヒヒッ、まいどー」
「ちゃんと分けてよ?」
「早いもん勝ちだろうが」
袋を開け、ジュリが金を数え始める。彼女はいつになく生き生きとしていた。
「ふん、金に目が眩むとはな。情けないぞ赤毛」
「アハハー、そうだな情けねぇなー」
「…………聞いていないな」
「俺を無視するなっ!」
「もう遅いんだから、大きな声は出さないでよ」
ザッパは彼らの様子を見遣り、楽しそうに笑った。巨躯に見合った、大きな声だった。
「今日は助かった。改めて礼を言う。……明日は予定があるか?」
問われ、ジュリを除いた三人は顔を見合わす。
「食堂の使用許可も下りている。今日の成功にかこつけて宴会を開こうと思ってな。好きに飲み食い出来るぞ。お前たちもどうだ」
「良いだ――――っ!?」
トーマがレオの口を塞いで、誤魔化すように笑う。
「…………申し訳ないが、遠慮させてもらう」
「む、そうか」
「つっ、疲れが溜まってるので! 明日はゆっくり休もうと思います!」
「ははは、そうか。いや、年を食うと疲労を酒で誤魔化すようになる。そうだな、若いのだから自然に回復を待つのも良い」
ザッパは満足そうに頷いた。
「では、若者と語らうのは次の機会までの楽しみにしておこう。ゆっくり休むと良い」
時間が経ち、ザッパの足音も聞こえなくなった頃、ようやくになってレオは解放される。彼はトーマの襟元を掴んで揺さ振った。
「貴様ぁ! 俺を殺す気か! その上誘いを断りおって!」
「だっ、だって、だって、こないだの事を忘れたの?」
「……む。いや、忘れる筈はない。よもや食堂にあれほどの強者が潜んでいようとは思いもしなかったぞ」
「…………全く懲りていなかったな」
トーマは首肯する。人の上に立つ者とは、やはりあそこまで豪快でなければ勤まらないのだろうか。
「とにかく、ほとぼりが冷めるまでは食堂で騒いだら駄目だって」
「仕方あるまい。農民の意見に従うのは癪だが……」
「ジュリも分かったよね?」
「うっせぇなあ分かってるって」
「…………明日は食堂を使うのは避けた方が良い」
「では街に行くぞ! 俺はうまいものが食いたい!」
「あ、最近新しい屋台が出てるって聞いたよ」
「決まりだ!」
結局、ジュリは分かっていなかった。翌日、トーマたちが食堂へ行きたがらない理由を彼女が知るのは、ザッパ班に捕まってからの事である。