赤い海岸線
黒い雲が風に散らされていく。太陽が顔を出し、地表には日光が降り注ぐ。
「おお、絶好の日和ではないか」
不規則に揺れる馬車の出入り口から、レオが顔を覗かせた。眩しそうに目を細め、快活な笑みを見せる。彼は馬車内を見、頭から毛布を被る者を揺さぶった。
「起きろ農民、いつまで眠っているつもりだ! 顔を出してみろ、潮風が香っている!」
「だから何だってんだよ。畜生、くせぇし髪がべたつくぜぇ、おい」
ジュリは気だるそうにあくびを一つ。彼女はうるさくなったレオを見遣り、目を瞑った。
「ガラン、貴様もだ。班長であるなら率先して嬉しそうにしたらどうだ!」
何も見ず、何も感じず、この時間をやり過ごそうとしている者はトーマ以外にも一人いる。ガランだ。彼も馬車には弱く、不機嫌そうにレオを睨んでから再び毛布を被ってしまう。
「軟弱な。男子たるもの馬車の一つや二つ乗りこなさないで如何とするつもりなのだ」
ウェッジは黙々と本の世界に没頭していた。彼も、馬車はあまり好きではなかったのだが、トーマとガランを見て、不思議と落ち着いていた。自分よりも死にそうになっている者を見たせいだろうか。ウェッジは頭に手を遣り、ページを捲る。
「腹が減った! 昼餉を持てい!」
ガラン班が向かっているのは、セイテン海岸と呼ばれる場所だ。そこまでは街から馬車で数時間掛かる。白浜と青海が広がる、景観の美しい海岸だ。
だが、トーマたちは物見遊山で訪れた訳ではない。れっきとした依頼を受けて、セイテン海岸にやって来たのである。
依頼主は、突風同盟のザッパだ。先日、食堂でガラン班といざこざを起こした、くだんの男である。彼が同じギルドの者に依頼をしたのには理由があった。外部の者、別のギルドの人間に知られたくない内容のものだから、である。
セイテン海岸にはある時期にモンスターが大量発生する。その時は、白い浜も、青い海も真っ赤に染め上げられる。そのモンスターを駆除しに行ったのがザッパ班だった。しかし、彼らでは手が足りないらしく暇を持て余していたガラン班が援軍として呼ばれたのである。
「出来ねぇもんを引き受けんじゃねぇっつーの」
あくびをして、ジュリは目を擦った。
「受けたものは仕方ねえよ。……一応、ウチは大手だからな。よそのギルドに醜態晒す訳にはいかないって、ザッパは判断したんだろう」
「…………誇りか」
「誇りで飯が食えりゃ良いんだけどな」
ガランが寝返りを打つ。彼の顔色は悪いが、話をして気を紛らわそうとしているのだろう。
「誇りを持つのは男として当然であろう。しかし、実力の伴わない誇りとは厄介なものだな」
「金がもらえるんなら何でもするけどよ」
馬車の速度が落ちる。馬が嘶き、車内が強く揺れた。毛布が剥がれ、トーマが頭を抱える。彼は今にも泣き出しそうだった。トーマの顔色を見て、レオは鼻を鳴らす。
「情けないぞ農民っ、今から戦闘を行うと言うのになんだその意気は!」
憤ったレオはずかずかと歩き、トーマに近付いた。
「…………よせ、辛そうだ」
「ええいうるさいぞ射手! こいつは俺の臣下なのだ、下の者がこうでは上に立つ俺の器も測られるというものよ! さあ立てっ」
ウェッジは溜め息を吐き、本に栞を挟む。トーマには可哀想だが、モンスターとの戦闘が始まるのは確かだ。いつまでも寝ている訳にはいかないのである。
御者である、ザッパ班の男が指を指した。その方向に目を遣るまでもなく、ガラン班にはセイテン海岸の状況が見えている。海岸線は赤く染まり、砂浜が僅かにその色を覗かせているだけだ。
その光景を見たトーマは蹲る。
「……何か、いっぱい動いてる……」
「む? そうか? 俺には良く見えん」
馬車から降りたガランは辛そうにして頭に手を当てた。御者に話し掛け、状況を確認しているらしい。彼らを横目に見ながら、他のメンバーは赤い海岸を物珍しそうに眺めていた。
「…………カニ、か」
「カニだぁ? 何だよ、あの赤いの、全部カニなのかよ」
「俺には何も見えんぞ。あれはカニなのか?」
「目がぐるぐる回って……」
コウグンガニ。それが、セイテン海岸に大量発生しているモンスターだ。体長はばらばらで、三十センチから、一メートルを超えるものもいる。どこからともなく出現し、ひたすらに移動するのがこのモンスターの特徴だ。行軍、その名の由来はここから来ている。が、コウグンガニに目的地はない。ただ、進むだけなのだ。
「なぁ、アレって食えんのかよ?」
ジュリが言うと、ガランは嫌そうな顔をする。彼は手を振って、否定の意を示した。
「食えたもんじゃねえよ、まずい。アレを食うなら海水飲んで腹膨らました方がマシだ」
食用にならないのもあって、コウグンガニは人間にとって厄介なのである。尤も、コウグンガニは共食いをする。彼らは仲間の骸を喰らいながら移動を続けるのだ。進路上の者に集団で襲い掛かる習性も持っていて、放っておけば町までやってくるかもしれない。
「ザッパからも話を聞きたいところだな。あいつは今どこにいるんだ?」
「恐らく、最前線に」
御者が答える。ザッパは班の長として、モンスターの進軍を阻むべく前線に立っていた。彼から詳しい話を聞き出すなら、海岸まで足を運ぶ必要がある。ガランはそう判断して、装備の確認を始めた。
「馬がびびっちまうから、こっからは歩きで行くぞ。全員、必要なもんを馬車から降ろしとけ」
「馬車で突撃すれば良いではないか。甲殻類など一網打尽に粉砕してやれば良い」
「途中で足が止まっちまうっつーの。それに、俺とトーマを殺す気か」
トーマは頷き掛けるも、口元を手で押さえてしゃがみ込む。
「情けないぞ農民!」
「さっきからうるせぇんだよデカブツが! でけぇのは声と図体だけじゃねぇか、ガタガタ抜かしてんならさっさとイってこいや」
「喧嘩すんならあっちでやれ。ついでにカニを潰してくれると助かるんだけどな」
ガランはだらだらとした所作で歩き出した。その足取りはやはり頼りない。トーマとウェッジが彼に続き、レオとジュリが先を競うように早足で海岸へと向かった。
海岸が近づくにつれ、ザッパ班とモンスターとの戦闘風景が明らかになってくる。
「おーおー、やってるやってる」
ガランは気楽そうに言ってのけた。そも、コウグンガニは好戦的だが決して恐ろしい相手ではない。数が多いだけで、戦いは終始有利に進められる。移動が素早くもなければ、基本的には地を這うモンスターなのだ。備わった鋏に捕まる事も皆無であり、こちらの攻撃も当てやすい。ただ、中身を覆っている殻が少しばかり硬く、大量に相手をしているといつの間にか疲労が溜まっている。注意すべき点はそれぐらいのものだ。
やってきたガランたちに気付くと、禿頭の大男が得物である巨大なハンマーを下ろす。その際、コウグンガニが下敷きになった。
「調子はどうだ?」
「旗色は良くない」
正直に告げて、ザッパはのしのしと浜に足跡をつけていく。彼が傍まで近づくと、決して小さくはないガランの体が影に包まれてしまった。
「手が足りんな。今回は数が違い過ぎる」
「はっ、言い訳かよ」
ジュリが悪態を吐き、レオが彼女に乗っかる。ただでさえ余計な口を叩く二人だ、先日の食堂でのいざこざが尾を引いているのだろう。
「重ね重ね済まないと思っている。どうか、協力してはもらえないだろうか」
「ジュリー、レオー、男が頭下げてるんだ。四の五の言わずに依頼を受けるよな?」
ガランに睨まれ、二人はつまらなさそうに舌打ちした。
「よーし良い子だ。で、ザッパ、俺たちは何をどうすりゃ良い?」
「とにかくモンスターの数を減らして欲しい。交代で休みを取らせていたんだが、そろそろ限界だな。ここらで俺の班員には大休止を取らせてやりたい」
「つまり、俺たちは休みなしでモンスターと戦えって訳だな」
ザッパは済まなさそうに頭を掻き、低く唸る。
「その通りだ。依頼を受けてくれるか、ガラン」
「ああ、最近はモンスターとも戦ってなかったしな、鈍ってた体を解すには丁度良い相手だろ」
班員にも同意を求めるが、誰一人して頷かなかった。トーマに至っては、話を聞いているのかどうかですら、定かではない。
「おーい、話聞いてんのかお前ら」
「ふん、無論だ。戦うのはやぶさかではない。良かろう、この俺、レオ・バーンハイトの力を庶民どもに見せ付けてやるとしよう」
レオが得物を担ぎ、コウグンガニに向かって歩いていく。
「おいっこらレオ! 畜生あの馬鹿、何も聞かずに行きやがった。……良いか、コウグンガニの甲羅は硬い。ウェッジとジュリは奴らの目を狙え。動けなくなったモンスターには別のモンスターが共食い仕掛けてくれる。先頭歩いてる奴から順に始末していくぞ」
「指図すんなボケが」ジュリは呟き、鞘からナイフを取り出し、くるくると回した。
ウェッジは無言で頷き、心配そうにトーマを見遣る。
「馬車に酔ったからって甘えんなよ。トーマ、お前はレオと同じだ。力があるんだから、思い切り甲羅をぶっ叩け。そこの二人が先に仕掛けるだろう、動きの止まった奴から仕留めていけよ」
「……分かりました。ガランさんは、どうするんですか?」
ガランは海岸の戦闘をじっと眺め、両手に剣を構えた。
「俺はザッパ班の援護だ。崩れそうなところを優先的に回ってく。正直、戦闘が始まったら指示は出せねえ。お前らでしっかりやるんだぞ」
「掛かってこいモンスター! バーンハイトが長子っ、レオ・バーンハイトが貴様らの相手だ!」
「……マジで、頼んだぞ」
ザッパ班の内、数人がコウグンガニとの戦闘から離脱していく。彼らの穴を埋めるかのように、ガラン班がそこに入った。
まずはレオが切り掛かる。が、彼は不思議そうに顔をしかめた。モンスターの甲羅を断ち割るのには成功している。しかし、思っていたよりもその感触は重かった。レオは人の話を聞かず、我意を押し通す。しかし、決して頭が悪い訳ではない。彼なりに物事を考えているのだ。
「なるほど、硬いぞ!」
「馬鹿がいやがる」
ジュリがモンスターの目玉を貫く。傷つき、動きが止まったコウグンガニに別のコウグンガニが襲い掛かり始めた。彼女はその光景を背に、別のモンスターの視界を的確に奪っていく。
コウグンガニの群れ、その先頭の動きが鈍くなり始めた。ウェッジとジュリがモンスターの目を潰しているからだろう。そこを、トーマが一体一体、着実に叩いていく。
「う……」
スコップから伝わる手ごたえと飛び散る体液。真っ赤に熟れた果実のような肉が見え、トーマは吐き気を催した。まだ始まったばかりで吐いてもいられない。彼は堪え、天を仰ぐ。真っ青な空は、今のトーマには清涼剤となり得た。
数は目に見えては減っていない。赤い絨毯が押し寄せてくる。足元にはモンスターの死体が転がっていた。
「キリがないな。俺の臣下は無事か!?」
返事はないが、同じ班の三人を確認してレオは満足気に頷く。
ウェッジが矢をつがえ、その隙をトーマがフォローした。トーマの顔色は少しずつ良くなり始めている。彼は周囲に気を配れるようになって、ガランの姿を見た。
ガランはザッパ班に混じり、両腕に一本ずつ剣を持ち、巧みに使いこなしている。彼の得物を振る速度は凄まじく、トーマではその動きに追いつけない。ガランは周りの者に指示を飛ばしながらも、モンスターを仕留めていく。
「ぼさっとしてんなよ田舎もん。カニなんかに殺されたくなけりゃしっかりやってろクズ」
「わ、分かってるよ」
「…………ザッパ班には指示を出す者がいないのか」
言われて、トーマは改めてザッパ班の戦いぶりを確認した。それぞれがばらばらになってコウグンガニを相手にしている。班員同士の連係などはなく、個人の力量にのみ頼っていた。
「ハッ、力馬鹿は嫌いだぜ。あいつらがあんなだからオレまで駆り出されちまう」
「…………班長が入った事に期待するとしよう」
ウェッジはレオの死角に回っていたモンスターを射る。
「ジュリ、レオが囲まれそうだよ」
「知るか。あいつを呼び戻せば良いだろ」
だが、モンスターの群れ、その先頭集団と交戦しているのはレオなのだ。彼が退けばコウグンガニを止められない。レオ本人は知ってか知らずか、最も負担を強いられているのだ。
「ジュリが一番足が速いんだ。ここを片付けたら僕たちもそっちに行くから」
「……お前の使い走りじゃねぇんだぞ」
ナイフを鞘に納め、ジュリは孤軍のレオに向かう。彼女はコウグンガニの間を擦り抜けながら、別の得物を鞘から抜いた。
「ウェッジ、僕たちも上がってこう。ガランさんたちに他は任せといてさ」
頷き、ウェッジは矢を放つ。彼は少しずつ後退りし始めた。トーマは進路上の敵だけを潰していく。追ってくるモンスターの相手をしながら、赤い絨毯、その突端を目指した。一番先まで行けば前方にのみ集中出来る。中程から上がってくるガランを含めたザッパ班との挟み撃ちを狙っていた。
「遅いぞ貴様ら! レオ・バーンハイトを放置して何をやっていた!」
ジュリは片耳を手で塞ぎ、コウグンガニを足で引っくり返す。露出したのは柔らかな腹だ。レオはそこに剣を突き立てる。
「ほう、面白い。こういうやり方もあったのだな。でかしたぞ赤毛、さあ、どんどんひっくり返せ!」
ジュリはレオを無視して、コウグンガニの眼球をナイフで突き刺した。
仕方ないので、レオはしゃがみ込み、こつこつとモンスターをひっくり返していく。そこに、トーマとウェッジが合流した。
「……何をやっている」
「見て分らぬか射手。こいつらの腹は柔らかい。甲羅の上から叩くよりも効率的だ」
「お前さ、オレが考えたんだから我が物顔で言ってんじゃねぇぞ」
「ならば使用料を払おう! 農民、金貨を出せ!」
金貨を出すつもりはないが、良い方法に変わりはない。砂浜の上は、ギナ遺跡のようにしっかりとした床とは違う。ただ歩くだけでも億劫なのだ。戦闘となれば、疲労の溜まり具合は段違いである。無駄に体力を使うよりよっぽど良いと、トーマは判断した。
「何だか間抜けだけど」
ウェッジは無言で頷く。
「あ、そっちに行ったよ」
「俺に任せろ」レオはしゃがんだまま、ひょこひょことモンスターを追いかけ始めた。
「…………しかし、先が見えないな」
トーマたちがセイテン海岸に到着してから、まだ一時間も経っていない。コウグンガニの数は減っているのだろうが、その成果は分かりづらかった。
「何を言うか射手、ゴブリンどもよりはマシだろう。こいつらは走らないし跳びもせん。ただ地べたを這いずり回るのみ。我らに叩き潰されるのを待つだけの身だ!」
大仰な事を大声で言い放ち、レオはカニをひっくり返す。彼の台詞と言動が合致していないので、トーマは人知れず苦笑した。
正直、余裕はある。レオの言った通り、ギナ遺跡でのゴブリンたちの方が手強かった。それを考えれば、今は戦闘でもないのだろう。
「皆、頑張ろう!」
「うるせぇボケが勝手に言ってろ」
辛辣な声が返ってきたので、トーマは黙った。