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風の終わり  作者: 竹内すくね
一部
16/37

踊る料理人・2



「うっせえボケが黙ってろ。……何、その目、鳴かされたいの?」

 彼女は獰猛な笑みを見せたが、それの姿を認めるとナイフを持った腕を力なく下ろした。



 時間が経つに連れて、食堂が騒がしくなり始めた。誰が来ているのだろうと、トーマは顔を上げる。が、彼の位置からでは食堂の様子が確認出来ない。

「何か、騒がしくなってきましたね」

「今日は団体さんがお見えでいらっしゃいますからねっと。ほら、よそ見してないで仕事、仕事」

 通り掛かったコックにぽんと頭を叩かれ、トーマは申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

「良い身分じゃねぇかよ。オレらが汗みずくになって働いてるってのにさあ」

「……サボってるの、言いつけるよ」

 ジュリは他の者から死角になっているところにしゃがみ込んでいた。

「べっつにぃ? 勝手にすりゃあ良いじゃん。つーかオレはお前より働いてんだからさ、文句言われる筋合いねえだろ」

 言い返せず、トーマは野菜に目を落とす。

「誰だよあいつら、うっぜえなあ」

「ザッパさんって人の班らしいよ」

「あ? 多過ぎねえ?」

 ジュリはそっと顔を出し、食堂の様子を覗いた。ザッパ班の人数は三十を超えている。若い男が多く、酒も入っているらしく、迷惑を気にせずに騒いでいた。

「ザッパってのは、あのハゲか」

 一人、黙々と料理に手をつける壮年の男がいる。禿頭の巨漢、シャツを着ているが、はちきれんばかりの筋肉が見て取れた。ジュリは彼を見て喉を鳴らす。

「風格あるじゃねぇか。ウチのデカブツよりもでけぇ」

「ハイゴブリンを一人で倒せるぐらい強いって聞いたよ」

 ザッパ班は突風同盟の中で最も人数が多い。通常、一斑は四、五名で形成されるが、ザッパ班だけは別である。ザッパの人柄、武勇に惹かれ、慕う者がそれだけ多いのだ。彼は自らを慕う者たちを引き入れて面倒を見てやっている。それでも、全員を班に入れる事は叶わなかった。

「…………選りすぐりと言う訳だ」

「わ、ウェッジ。……君もサボり?」

 ウェッジは首を横に振る。

「…………ザッパ班には強者が揃っていると聞いた。だから、ああやって好きに騒げるのだろう」

 トーマは思わず頷いた。今日、厨房が追われているのはザッパ班のせいなのである。彼らはダンジョンから戻り、食堂で宴を開いている次第だ。が、料理人たちにとっては厄介なメンバーである。

「すっごい良く食べて、飲んで、騒いで帰るんだって。夜中まで」

 ジュリは露骨に嫌そうな顔をした。彼女はナイフを手で弄び、食堂で喚く男へと投げる振りをする。

「冗談でもやめときなよ」

「ヒヒっ、じゃあマジでヤっちまうか」

「…………しかし、これが夜中まで続くのかと思うと、な」

 感情を表に出さないウェッジにすら疲労の色が見えていた。

「あいつら、どこまで行ってやがったんだ?」

「セイテン海岸って言ってたかな」

「三つ目じゃん。大した事ねぇなあ、そんであんなえばってんのかよ」

 トーマは溜め息を吐いた。この二人、そろそろ仕事に戻ってはくれないだろうか、と。しかし、ジュリたちにその気はなさそうである。

「あ、こら何サボってんだ新入り! バレない内に作業場に戻れって」

 カウンターへと料理を運ぶ為、通り掛かった者がトーマたちを見て焦ったように言う。ウェッジは仕方なさそうに元いたところに戻っていったが、ジュリは気だるそうに、嫌そうにしゃがみ続けている。

「ちょ、ちょっとジュリ」

「あーあーあー、ヤメヤメ。かったりぃったらねぇぜ。くっだらねぇ、いつまで皮剥きゃ良いんだよ」

「じゃあ、次はこいつを切ってもらおうか」

 話を聞いていた別の者が、ジュリの作業場にかごを置く。皮剥きの終わった野菜が山積みになっていた。

「ザッパさんところの人たちだから、適当に切っといてくれてオッケーね。あ、終わったらあそこにもまだまだあるから」



 ザッパ班の面々には酒と肉が行き渡り、宴の熱も上がっていくばかりだった。無論、突風同盟の食堂である。彼らだけの貸し切りは出来ない。食事をする為に、他の者も席を埋めていく。昼時、忙しい時間だった。

「給仕、ですか?」

 トーマは作業の手を止めないまま聞き返す。

「ほら、酒が大分回ってきてるから、ここまで取りに来られないんだよ」

「や、あの、でも……」

 厨房にまで聞こえてくる荒々しい声に、トーマはすっかり萎縮していた。

「だったら、君はどうかな?」

「……あ?」

 指差されたジュリはぶっきら棒に応対した。

「一応女の子だしさ、トーマ君が行くよりもあちらさんは喜ぶと思うし」

 まずいと、トーマは息を呑む。有り余った力、切られた野菜が床に落ちた。案の定、ジュリの機嫌は悪くなっている。

「てめぇ、オレにウェイトレスやれって言ってんのかよ。ハッ、おっもしれぇ、良いぜ。そんかし、食堂がすこーし汚れっちまうかもな。ああ?」

「……あはは、火に油を注ぐつもりはなかったり。代わりを探すよ」

「ちっ、胸糞わりぃ」

 落ちた野菜の欠けらを蹴飛ばすと、ジュリは包丁をまな板に突き刺した。

「……そんなに給仕さんが嫌なの?」

「愛想振りまくなんざ性に合ってないっつーの」

 確かにそうだ。笑顔を振りまくジュリが想像出来なくて、トーマは小さく頷く。

「人には向き不向きあるもんね」

「したり顔で抜かしてんじゃねぇぞ」

「戻ったぞ!」

 厨房の裏口、その扉が勢い良く開かれた。

「レオ・バーンハイトが戻ったぞ、者ども俺に礼を述べよ! 俺を讃えよ!」

 ブロック状に切り分けられた肉を掲げ、レオは大音声を上げる。殆どの者たちは無視していた。

「野郎、初めてのお使いかよ。どれだけ時間掛けてやがるんだ」

 ジュリは毒づき、トーマは何も言わなかった。

 食材が届いた事により、厨房が慌ただしくなる。トーマは野菜の皮を剥く傍ら、出来上がった料理をカウンターに運んでいた。

「ん」

「あ」トーマはその人物を思わず見つめてしまう。

 カウンターへ料理を取りにきていたのはプリカだった。彼女はシャツとズボンだけの、飾り気のない格好である。尤も、休日のプリカは大概、こうだった。

「そうか、厨房に入っていたんだったな。どうだ、もう慣れたのか?」

「はい。けど、えーと、今日は……」

 トーマの視線を追い、プリカは納得したように苦笑する。

「ザッパたちが帰った次の日はこんな感じだよ。特に、今日はいつにもましてうるさいけどね」

「そうなんですか? ……弱ったなあ」

「これくらいで音を上げてちゃ店なんか持てないぞ」

「あ、そうじゃなくって、その、料理をあそこまで持っていくのが……皆恐がっちゃって」

 プリカは首を傾げる。そも、食堂には最初から給仕がいないのだ。が、ザッパ班のメイテイを確認して頷く。

「なるほど、そういえば、前にも誰かが運んでるのを見た事があるよ。今日はそいつ、いないのか?」

「間が悪くて、今日は他の人もお休みらしいんです」

「ふうん」呟き、プリカは厨房の中を覗く。誰も彼もが忙しそうに駆け回り、必死の形相で料理を作っていた。その中に、どうしようもない奴を見つける。彼女が捉えたのは、偉そうに仁王立ちしているレオだ。

「役立たずが立ってるじゃないか」

「レオはさっきまで買い出しに行ってくれてたから、もう良いんです」

 プリカは考える。朝食だけは食べに来たが、今日は別段予定はない。街を冷やかしに回ろうかとも思っていたが、

「プリカさん、どうかしました? あ、忙しくても手は抜いてませんよ。絶対においしいですから!」

「なあトーマ、イジーはいるかい?」

 たまには、変わった事をするのも良いだろうと、そう思った。



「いや、やっぱりこうなるのかなって思ってました。……あの、いつも怒らない人が怒ったら、それだけで、あのう」

 彼は声を震わせて、これ以上は何も語らなかった。



 トーマはちらちらと食堂を見ていた。そのせいで作業は中々進まず、隣にいたジュリに睨まれてしまう。

「てめぇ、オレにはああだこうだって言ってるのにさ、やってくれるじゃん。何だよ、そんなにあのアマが気になんのかよ」

 ジュリが指すのはプリカだ。彼女は給仕役を買って出て、先程の服装の上にエプロンを着ている。笑顔こそ見せないが、仕事はきっちりとこなしている様子だった。ザッパ班の連中も、相手がプリカという事もあって調子には乗れないようである。

「大丈夫かなって、そう思っただけだよ」

「馬子にも衣裳ではないか。あの女も、ああしていればらしく見える」

 レオは仕事をせずに邪魔ばかりしていたので、出ていかないのならせめて、と、トーマたちの傍にいるよう命じられていた。彼は食堂の椅子を持ってきて、今はそこに座っている。

「しかし愛想が足りんな。バーンハイトの家ならその場で打ち首にされてもおかしくない。教育の必要がある。そう思うだろう、農民」

「え? いや、でもプリカさんは君んちのメイドさんじゃないよ」

「はっはっはっ、いずれそうなるかもしれん」

「さっきから口しか動いてねぇぞてめぇら。芋の代わりに切られたくなけりゃ黙ってろよ」

 ちなみに、ウェッジは昼を越えた辺りで倒れてしまった。彼は今、控え室で寝かされている。

「つーか、あいつらいつまで飲み食いしてやがんだ。こっちは何も口に入れてねぇってのによ」

「うむ、その通りだ赤毛。バーンハイトの長子たる俺にこのような仕打ち! 報いは必ず受けてもらおうではないか」

「二人はさっきから摘み食いしてるじゃないか。ばれても知らないよ」

「うるせぇぞ田舎もんが」

 言いつつ、ジュリはずかずかと歩き、カウンターに置かれた皿から焼いた熊肉を摘む。

「おっ上品な味付けだぜ。もっと甘っ辛くしても良いんじゃねぇの」

「俺は薄口が好みだ」

 トーマは溜め息を漏らし、食堂から視線を外す。瞬間、何かが割れるような音が聞こえた。厨房内にいる者たちはその音を聞いていたが、わざわざ確認しに行くほど暇ではない。

「うーわ勿体ねぇ」

「あ……」

 ザッパ班の男が皿をテーブルから落としてしまっていた。プリカは何か言いたげだったが、わざとではないので口は出さない。

「……誰か、ちりとりと箒を」

 厨房からウェッジが姿を見せる。彼は状況を理解して、掃除用具を取ってくる為、再び控え室へと戻った。

「ぎゃっはっはっ、おいおいもう酔っちまったのかよ!?」

「酔ってねえーようるせえぞデブが!」

「ああ!?」

「やんのかてめえ!」

 立ち上がった男たちへ野次か飛ぶ。が、一言も発していなかったザッパが彼らを睨んだ。それだけで、班員は決まり悪そうに黙り込んでしまう。

「……喧嘩するなら外でやれ。食堂内での戦闘行為はご法度だろう」

 低く、深い声に諭されて、立っていた二人は席に戻った。

「……盛り下げてしまったか。しかし、ルールはルールだ。お前ら、守れるな?」

 野太い声が揃う。宴は再開された。その様子を見ていたジュリは舌打ちする。

「解散すんのかと思ったぜ」

「あの、仕事しようよ……」

「るっせぇボケが」

 発端は思わぬところからだった。ザッパ班も当分は大人しくなるだろうと、誰もが思っていた。それは、班の者たちも同様である。

「おい姉ちゃん、ちょっと酌してくれよ。おら、ザッパさんに注げって言ってんだ」



 ちり取りが見つからなかったので、代わりにバケツを持ってきた。ウェッジは食堂に戻ると、目を擦って厨房に戻る。

「…………何があった」

 と、トーマに尋ねるが、彼は一心不乱に野菜の皮を剥いていた。

 カウンター越しに食堂を覗けば、やはり先ほどと変わらない。プリカがザッパ班の男を殴り飛ばし、レオとジュリもそこに入り混じって乱闘に加わっていた。椅子と怒号と罵声と野次が飛び交い、料理人たちが逸れた者を袋叩きにしている。関係のない者も殴り合いに参加していた。

 思うところがあったのだろう。溜まりに溜まったものが爆発したのだろう。ザッパ班の鈍ちゃん騒ぎに腹を据えかねたのだろう。ウェッジは巻き込まれないように身を縮める。厨房の中に皿が飛んできた。

「このレオ・バーンハイトを恐れぬならば掛かって来い愚民ども!」

「おいあのでかいのを引き摺り下ろせ!」

「ザッパ班を食堂から追い出せー!」

「やれっ、囲め囲め! あっ、おいそっちにチビが行ったぞ!」

「アハハハハっ、追いつけるもんなら追いついてみろよウスノロ!」

「逃がすなオラァ! まとめて相手してやるってんだよ!」

 阿鼻叫喚、地獄絵図。その中で、一人の男が椅子を引く。ザッパだ。彼はプリカを瞥見した後、すうと息を吸い込み、雄叫びのような声を放った。しいんと場が静まり、全員が耳を押さえる。

「ふん、声と図体は相変わらずだな」

 プリカに冷たく言われるも、ザッパは済まなさそうに黙すだけだ。彼は班員を見回した後、解散、と、一言だけ告げる。

「ざっ、ザッパさん!?」

「ちょっと待ってくださいよ!」

 ザッパ班が引き上げ始めた。残されたのは厨房のメンバーと、荒れ果てた食堂。

「…………ん」

 ウェッジは振り返る。底冷えするような、極上の殺意が彼の背後に立ったのだ。ウェッジはそれの姿を認めて、ごくりと唾を飲む。終末が来たのだと、心のどこかで思った。

「お、おしまいだ……」

 トーマは震えている。彼は、それの存在を知っていたのだろう。だから、耳を塞ぐ。

 食堂での戦闘行為を禁じたのは、料理長のイジーではない。イジー以外の、全員だ。突風同盟の暗黙のルールとしていたのである。理由は、彼がそれを許さないだろうから。そして、怒らせてはならない存在だったからだ。

 誰かが悲鳴を上げる。次いで、料理人たちが一斉に謝罪の言葉を叫んだ。乱闘に参加していたガラン班の二人は顔を見合わせ、ジュリはへらへらと、おかしそうに笑う。

「あぁー? コック如きが調子に乗ってんじゃ……って、おい。やめっ、てめぇこらなんてもん持ってやがる!」

「うっ、おおおお!? 貴様本当に人間かっ、こちらに来るな! こっ、この俺が! レオ・バーンハイトがああ!?」

 ウェッジは目を伏せた。とてもじゃないが見ていられない。彼はトーマの肩を叩き、首を横に振った。

「イジーさん、イジーさん、駄目です! それを使ったら死んじゃいますって!」



「殺されるかと思った」

 彼女はエプロンの裾を握り締めて、それきり口を開かなかった。



 後日、ガラン班、プリカ班、ザッパ班の面々は食堂の五日間の利用禁止を言い渡された。誰一人、抵抗しなかった。

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