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風の終わり  作者: 竹内すくね
一部
13/37

赤毛のジュリ



 ゴブリン討伐の依頼が終わってから、三日が経っていた。

 ガラン班の全員が目に見えて前に進んだ訳ではなければ、明確に変わった訳でもない。しかし、彼らの纏う雰囲気は少し、柔らかくなっていた。

 目が合えば挨拶をする。食事を一緒に食べる。街へ連れ立って出掛ける。当たり前の事が嬉しくて仕方がない。やっと出来た新天地での絆に、トーマの心は浮き足立っていた。何せ、料理人になる事に関しても目処が立ったのである。プリカの紹介で厨房のメンバーと仲良くなり、少しずつではあるが料理に関しての知識を吸収していく日々。毎日が楽しくて仕方がなかった。

「おい」

 だから、油断していたのだろう。彼女を、忘れようとしていたのだろう。

 予想していなかった人物から話し掛けられて、トーマの思考は暫くの間止まった。



 自由だと、そう聞かされてから三日が経っていた。

 ジュリの知る限り、他の班員はその自由とやらを謳歌しているように見える。トーマは料理人になろうとしているし、レオはギルドマスターになるのだと毎日ダンジョンに出掛け、他のギルドメンバーに喧嘩を売ったり、売られたり。ウェッジだけは何をしているか分からないが、この間、彼が誰かと街で話しているのを見た(という話を盗み聞いていた)。武器を持っていたから、きっと依頼を受けてどこかへ出掛けていたのだろう。

 さてと。

 では、自分は何をしているのだろうかと、ジュリは己に問い掛ける。答えは単純だった。と言うかそこに転がっている。日がな一日、ベッドに転がっている。これが答えであった。

 食事を得る為に、部屋から一歩も出ないという日はなかったが、明日はどうなるか分からない。自由とは、惰眠を貪る事ではない。が、そもそもこの至れり尽くせりの環境が悪い。そうに決まっていると、ジュリは自分に言い聞かせている。

 このままではいけないと思ったのは、何気なく手鏡の中の自分を覗いた時だった。

 目付きが、良くなっている。ぬるま湯に浸かった生活のせいか、険しさだとか、鋭さが薄れかかっているように感じたのだ。同室の人間の雰囲気にあてられたのかもしれない。

 とにかく、ジュリは三日目にして、ようやく食事以外の用事で部屋を出た。ギルドの敷地内に設置された掲示板、そこに貼り出された依頼を確認する為である。

 どうせなら厳しい依頼が良い。凶悪なモンスターの退治であったり、凶暴な人間を追い掛け回すような。危険であればあるほど元の自分を取り戻せる筈だと、そう思いながらジュリは依頼を確認していく。

 しかし、危険な任務であればあるほど多くの人員を募集していた。一人きりで受けられるような依頼は宿屋のお使いであったりゴブリンの残党狩りであったりと、ジュリの望むようなものは見つからなかった。第一、彼女は突風同盟に知り合いがいないのである。パーティを組む者を探すところから始めねばならない。

「……めんどくせぇな」

 ふと、掲示板の一番右端の依頼が目に留まった。依頼の内容が書かれた紙を留めているピンを抜き取り、字を目で追っていく。

 ジュリが確認した限り、依頼は単純なもので、早い話がモンスターの死体を持って来いという内容だった。彼女は掲示板の前で一頻り悩んだ後、その紙を持ち去っていった。



「おい」

「……えと、何か用?」

 トーマに話しかけてきたのはジュリだった。彼はおどおどとしながら口を開く。

「たりめぇじゃん。用がなけりゃお前みたいな田舎もんに話し掛けるかよ」

 はっと鼻で笑い、ジュリは嫌らしく笑んだ。トーマは、彼女の他人を馬鹿にした素振りが苦手である。

 トーマはジュリが苦手である。

 目が合えば挨拶はする。しかし目はなるだけ合わせないようにしていた。だから、レオやウェッジとは違って、ジュリに対してだけは食事に誘う事も街へ出掛けようとも、余計な口を利かないよう、声を掛けないようにしていたのである。それは、トーマが彼女を毛嫌いしているからではない。むしろ逆だ。ジュリが自分を嫌っている。そう思って、自分からは何もしないように心掛けていたのだ。

「用事って何さ?」

「暇だろ? ちっと付き合えや」

「ううん、ごめん。僕、今から野菜の皮むきを教えてもら……」

「暇だろ?」

「う……」と、トーマは何も言えなくなる。

「良いじゃねぇか、皮ぁ剥くぐらいオレが教えてやんよ。だから、つべこべ言わねぇで来いってば」

 珍しい事もあるものだと、トーマは腕を組んで目を瞑った。ジュリがこうして外に出ている事といい、自分に話し掛ける事といい、珍しくて、やっぱり嫌な予感がする。

「どこに付いてけば良いの?」

 しかし、頼み事を無下に断るのは躊躇われた。それに、今日のジュリは少しだけ機嫌が良さそうに見える。

「トバの森」と短く答え、ジュリは依頼の書かれた紙をひらひらと弄んだ。

「あ、そっか。依頼を受けるんだね。そいで、レオとウェッジはどうしたの?」

「あ? 誘ってねぇよ、この紙にゃ二人までって書いてたからな」

「え、あ、そ、そうなんだ」

 トーマはその場に倒れこみそうになるのを堪える。が、彼の顔は引きつっていた。依頼を受けると聞いたのだから、てっきり班全員で行動すると思っていたのだが、まさかジュリと二人きりになるとは、この状況はトーマにとって完全に埒外である。

「じゃあ、ちょっと待ってて。今から謝りに行ってくるよ」

「はあ? 誰に?」

「僕に野菜の皮むきを教えてくれるって言ってた人にだよ」

「別にかまわねぇじゃんよ」

「君だって何もなしに約束を破られたら嫌だろ」

 少しだけ考えて、ジュリはつまらなさそうにトーマを見た。

「んじゃ、入り口で待ってるからよ。さっさと済ませて来いよな」

「分かった。ちょっと時間掛かっちゃうかもしれないけど」

 出来るなら、あまり行きたくはないのだけれど。とは、流石に言い出せなかった。



 トバの森は高木が立ち連ねる巨大なダンジョンである。森は棲息するモンスターの危険度によって一区、二区、三区と三つのエリアに分けられており、丸一日探索に費やしても、そのフィールド全ては踏破出来ない。

「依頼って、何をすれば良いの?」

「あー……」と間を置きながら、ジュリが胸元に手を突っ込む。トーマはぎゃあと悲鳴を上げて彼女から距離を取った。

「へっ、変態だ!」

「てめぇ良いもん見させてもらっといて何言ってんだよ」

「母さんが言ってた。そんなところにものを入れるなんて、変態じゃないか」

 ひらひらと、依頼内容について書かれた紙を見せびらかしながら、ジュリは意地悪そうな笑みを浮かべた。

「ヒヒっ、だっせぇなあお前。胸ぐらいでガタガタ抜かすなよ。お、何なら全部見せてやろうか?」

「いっ、いらないよっ」

 トーマはそっぽを向いて、森に向かって歩き出す。

「アハハハっ、顔真っ赤じゃん。心配すんな、冗談だからよ。お前みたいな田舎もんには勿体なさ過ぎるぜ」

「……じゃあ、僕みたいな田舎者を連れ出さないでよ。依頼なら、レオやウェッジの方が頼りになるだろ」

「まあな」と、ジュリはあっさりと頷く。トーマのプライドにほんの少しのひびが入った。

「けどよぅ、うるせぇのと根暗、極端過ぎんだよ。オレとあいつらのどっちかと二人きりなんて、五分で限界。切り掛かっちゃうぜ」

「僕は平気なの?」

「消去法って知ってっか田舎もん」

 知っていたからトーマは黙る。

「ま、お前が一番やりやすいかな。荷物持ちにも使えるし、盾代わりにもなるしよ。ああ、それに、いざって時は……」

「言わなくても良いよ! 酷いや、もう帰りたい」

 やっぱりジュリの頼み、もとい脅しなどに屈しなければ良かった。これから依頼が終わるまで彼女と二人きりなのである。トーマは溜め息を吐いて、木の幹に背を預けた。

「依頼って、どんなの?」

「あー、トバの森一区。ここに棲息するマッドボアの牙を持ち帰ってくれ、だとよ」

「……マッドボア?」

「でけぇイノシシだよ」と、ジュリは事もなげに言い放つが、詳しい依頼内容について初耳だったトーマの気は萎えてしまった。

「またモンスターと戦うのか……」

「しっかりスコップ持って来てんじゃん。期待はしてねぇけど、足は引っ張るなよ」

「ねえ、僕たちだけで大丈夫なの?」

「あーっ、もう一々欝陶しいなお前。ビビってんじゃねぇよ」

 ジュリはトーマの尻を蹴り飛ばして、森に入っていく。一切の躊躇すら見受けられない足取りを見て、仕方なく彼も後に続いた。



 トバの森で危険だと言われているのは三区だ。一区と二区は街のプレイヤーが有志を募り、開拓を進めている。森へ入る為の入り口を作り、歩きやすいように木を伐り、道を作った。先人の恩恵に与りながら、トーマたちは森の奥を目指して歩く。

「わ、クマだ」

「目ぇついてんのかお前。牙もねぇし、大体これがイノシシに見えんのか?」

 トーマが掴んでいるのはハグベアの子供だ。灰色の体毛に、彼が片手で掴めるほどの大きさ。森に入ってすぐに出くわしたのだが、ハグベアはつぶらな瞳を潤ませたまま動かなかったので、トーマは何となく掴み上げてしまったのである。

「見えないよ。だから、クマだって言ったじゃないか。……親とはぐれちゃったのかな」

「探してんのはイノシシだろうがよ。おら、そいつよこせ」

「……? どうして?」

「あ? 殺すに決まってんじゃん」

 ジュリが何を言っているのかが理解出来ず、トーマはハグベアに視線を送った。モンスターはきゅうう、と鳴き声を漏らす。

「ハグベア、知らねぇのかよ? でかくなったら人だって喰っちまう奴だぜ。今の内に殺しとくのが為になるってもんだろ」

「そっ、そんなの可哀想じゃないか。だってまだ、子供だよ」

「見りゃ分かるよバーカ」

 早く渡せと急かされるが、渡せばハグベアの子供は殺されてしまうだろう。トーマは首を横に振り、ジュリから離れた。

「僕たちが探してるのはマッドボアだろ。何も殺さなくたって良いじゃないか」

「じゃあ、でかくなったそいつに食い殺されても文句はねぇんだな?」

「ないよ」

 殺した。殺している。自分は既にギナ遺跡でモンスターを殺しているのだ。だから、偽善でも良い。これからは戦いを出来るだけ避けたいと、トーマはそう思っている。

「……クソが。ちっ、白けちまったぜ。あーあー、いーよもう、逃がせば?」

 ジュリはその場にしゃがみ込み、小石を拾って、森の奥に投げ飛ばした。



 マッドボアは水のある場所にいる。

 小川の場所を知っていると言ったジュリを先頭に森の中を歩き回っていたのだが、

「ねえ、もしかしてさ」

「話し掛けんなよ」

 一向に辿り着かなかった。それどころか、先のハグベアの一件でジュリは気を悪くしたらしく、二人の間に漂う空気は険悪で、ぴんと張り詰めてしまっている。

「道に迷ったんじゃないの?」

「話し掛けんなって言ってんだろ!」

 ジュリは立ち止まり、手近な木にナイフを突き立てた。ぐりぐりと柄を動かして樹皮を抉り取っていく。

「……止めなよ」

「オレに指図すんじゃねぇ。木の一本や二本でガタガタ……」

「木じゃない。そうやって何も言わずに荒れるの、良くないと思うんだ」

「……へえ?」

 トーマに向き直ったジュリは口の端をつり上げて、彼を流し目で見た。

「言いたい事があるなら言いなよ。僕が何かしたんなら、謝る。けど、何も分からないままって良くないと思うんだ」

「アハっ、何? 何だよお前、何様のつもりだ」

 ジュリはナイフを逆手に構えて、一歩踏み出す。

「勘違いしてんじゃねぇぞ。オレにとってお前は何でもない。ただそこにいるだけの、木と変わらない奴なんだぜ」

「そんな、君は……」

「説教垂れようとしてんじゃねぇよ。お前にオレは分からねぇ、オレもお前を分かるつもりないしな。……は、何その目。泣かされたいの?」

 道に迷って苛々していた。意見がぶつかって思い通りにいかなかった。そう言えば済む話なのにと、トーマは俯く。彼にはジュリのような人間が理解出来ない。一方で、今の状況は自分が蒔いた種が原因なのかもしれないと思った。

「ごめん」

 分からない。しかし、自分はジュリを分かろうと、仲良くなろうとしなかった。彼女に何か言われるからと怯えて、避け続けていた。

「ふうん、都合悪くなったら謝って逃げようっての?」

「ごめん。僕、君を避けてた」

 ジュリは目を細める。トーマが何を言おうとしているのか、計りかねたのだ。

「ご飯を食べる時、君だけは誘わなかった」

「…………あ?」

「買い物に行く時も、レオとウェッジにだけ声を掛けてた」

「あ、な、いや、ちょっと待てよお前」

 トーマが何を言っているのかジュリには分からない。そも、彼女だって同じなのだ。田舎の村から来た、それだけの理由で彼を馬鹿にしていたのである。故に、トーマを分かろうとはしなかった。仲良くなろうなどとは考えにすら及ばなかったのである。

「あの時、遺跡で他の人の事を考えて、なんて言ったけど、ごめん。自分の事だけ考えてたのは僕なんだ。……そんなので、僕は君に……」

「そういう意味じゃねえんだけど」

 鼻を鳴らすトーマを見て、ジュリの怒りは急速に萎んでいく。毒気を抜かれたような気がして、彼女はぽりぽりと頭を掻いた。

「もう、良いわ。お前って本当有り得ねぇよ。……あー、そうだよ。苛々してたんだっつーの。道にゃ迷うし、お前はモンスターを庇うしな。おら、これで良いんだろ? 満足したかよ、なあ?」

 諦めよう。どうやら、自分と彼とでは見ているものが違い過ぎるのだ。そう判断したジュリは溜め息を吐いて、鞘にナイフを戻す。

「……み、道に迷ってたの?」

「悪いかよ」と、悪怯れる素振りすら見せずジュリは言う。

「じゃあ、僕が水場を探すね。こういう場所は慣れてるんだ」

「先に言えよグズ」

「だって、恐かったんだもん。君が先に行くって言ってるのに僕が出しゃばったら……」

 さっきから気になっていたのだが、自分は相当恐がられていたらしい。ジュリは今まで無視されていたのを思い出して、不機嫌そうに眉根を寄せる。

「飯だとか買い物だとかよ、端っからオレは付き合う気ぃねぇよボケ。けどな、後で言われてもムカつくから、声だけは掛けろよな」

「う、うん、分かった。あ、それとついでだから言っとくね」

 トーマはにこにこと、笑みを浮かべながら口を開いた。

「僕、やっぱり君が苦手なんだと思う。挨拶するのも、目を合わせるのだって嫌だなあ、って……」



 トーマはトバの森に来るのは初めてだが、村の近くにはこういった場所しかなかった。その為か、彼には何となく、と言った程度にはここの歩き方が分かる。空気の湿り具合、水がせせらぐ僅かな音を確認しながら少しずつ歩を進めていく。

「何も殴る事はなかったんじゃないのかな……」

「オレを馬鹿にするからだろ。良かったな、殺されなくて」

 ジュリを馬鹿にしたつもりは毛頭ないのだが、彼女を怒らせてしまったのは事実なのだ。トーマは深く反省して、やっぱり街で住む人の、しかも女性の心など理解出来る筈はないのだと諦める。

「あ、道がなくなっちゃった」

 切り開かれていた道がなくなり、トーマは一度立ち止まった。彼は、小川があるのは草木に閉ざされた向こうだと踏んでいる。

「モンスターと遭っちゃうかもしれないね」

「望むところだっつーの。出てこなきゃ話になんねぇだろう」

「……嫌だなあ。僕、もう戦いたくないのに」

「ウッジウジしてんなや、それでも男かよ。オレはよぅ、お前のそーゆーとこが気に入らないんだよね」

 性格、と言うか性質なので仕方ない。直したくても直せない。第一、トーマは自分の性質を直したいとは思っていなかった。

「男のくせにとか、そういう言い方は好きじゃないんだけど。君だって、もっと女の子らしくした方が良いんじゃないのかな」

「……は、アハ。スカートでも穿けってか?」

「見た目じゃなくて中身だよ。ちょっと、あ、いや、あまりにも……」

「アハハハっ、お前殺すよ?」

「笑いながら言わないでよ。恐いから」

 マッドボアと出くわすのは嫌だが、見つからなければジュリと二人のままだ。どっちに転んでもトーマにとっては地獄のような展開が続く。彼は深く溜め息を吐き、草むらの先が村に繋がっていれば良いのにと夢想した。

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