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怪談(KとH)  作者: 佐野和哉


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マキノさん

 小学校5年生の冬のこと。

 この日は大棚小学校恒例、6年生の予選会も兼ねた全校生徒による合同遠足で複式学級の1、2年生と3、4年生が合わせて15名ほどに5年生と6年生がそれぞれ6名で12名、あわせて27名と引率の先生がマイクロバスに乗り合わせて、奄美自然観察の森というところに向かうのだ。

普段と違う場所でのびのび遊べるとなればテンションも上がる。早くも大騒ぎのバスの中にあって、Hは呼吸が浅く苦しくなって俯いていた。頼りのKはドッヂボールのチーム決めで忙しそうだし、隣のクリクリ坊主の1年生では心もとない。先生を呼びたくても声は出なくて、額や背筋に冷たい汗がにじんでくる。

「だいじょうぶ?」

 前の座席からひょっこりと顔をのぞかせたのは赤いヘアバンドで長い黒髪をまとめた女子生徒で、Hに声をかけるとそっと肩に手をやった。あたたかな手のひらを辿っていくと、澄んだ眼差しが心配そうな色をしてコチラを見ている。

「マキノさん」

 6年生の彼女はHが心を許している数少ない人物で、唯一の女子だった。別に他の女の子たちが疎ましいとか、疎まれているとかではない。と思う。ただHのほうが、なんとなく誰とも溶け込めないでいるのだ。

「ありがと……ちょっと」

 人間は孤独が一番の苛みだというのは本当で、これだけでもHの不調は徐々にではあったが和らいでいった。マキノさんも安どの表情を浮かべて姿勢を戻している。


バスを降りると早速ドッヂボールや鬼ごっこを始めたグループや、座り込んでお喋りを続ける子たちを尻目にHは大きな木立の手頃な根っこに腰掛けて早くもボンヤリを決め込んでいた。

 向こうの原っぱでは今まさにKが6年の投げたボールを受け止め、お返しの剛速球で外野に叩き出して、仲間や先生からヤンヤの喝采を浴びて、額に汗を光らせて躍動している。

 冬といえども奄美大島は暖かい日もあり、好天に恵まれたこの日は特に少し動くと汗ばんで来るほどだった。

 

 やがて昼食の時間になり、みんな思い思いの場所に座を広げてワイワイ食べ始めた。Kは東屋に陣取った一団のど真ん中にデンと座って、二段になった弁当箱を取り出して、周囲とオカズを取り替えっこしたり横取りされたりして、楽しそうに笑っている。

 さっきよりもう少し森の奥へ入ってリュックから取り出した弁当箱と、おにぎりをそっと戻して、それを膝で抱え込んでHは俯いていた。温かな陽射しが背中を包み、冷たい海風が頬や足元をくすぐるように吹き抜けてゆく。普段なら心地よいそれも、今は袋小路に積もった木の葉を巻き上げてゆく隙間風。見ないように、聞こえないように、考えないようにしたいのに、はらはらと舞い散り、また積もらせる。前よりも惨めに。

 お弁当箱も大きめ、おにぎりも多めに。絶対に自分じゃ食べきれない……ううん。本当なら、この大きめのおにぎりだって一つ食べきるのがやっと。あとは全部、彼に食べてもらうつもりだった。

 Kは早くも弁当を食い終わり、また一団を引き連れてドッヂボールの続きを始めた。木立を隔ててそれを遠巻きに見つめるHの視界を、不意に遮って歩く影。

「マキノさん」

 声をかけたHの声が届いたのか、振り向きもせず暫くじっと立ち止まっていたマキノさんが、そのまま再び歩き始めた。

 無言だったが、Hはそれが自分を誘うように感じてついていった。

「マキノさん、ねえ!」

 後を追うHに構わず、マキノさんは足を速めた。

「ちょっと、ねえ、どこ行くの!?」

 張り上げたHの声にも反応せず、森の奥へ。

「待って、待ってよマキノさん!」

 風を切って走り出した彼女のヘアバンドがゆらめく木漏れ日に溶けだしそうな鮮やかな緑色をしていた。

(あっ、ヘアバンド変えたんだ)

 息を切らして走り続けるHが、ふとそんなことを考えていると……やがて森を抜け、青空が広がり、緑の草むらの向こうでマキノさんがぴたりと立ち止まった。


「なにしてるの!?」

 そのとき。背後からHを呼び止めた声の主は……マキノさんだった。

「えっ……えっ!?」

 いつの間にか太ももまで伸びた草いきれが消え失せて、すぐ目の前は陽光煌めく海。その向こうは柵もなく剥き出しの崖であった。そして……その先でこちらに背を向けたまま潮風に長い髪を躍らせながら浮かんでいる無言のマキノさん。らしき後ろ姿。

「ねえ、危ないよ! そこ立ち入り禁止だよ?」

 なおも聞き慣れたマキノさんの声が響いてくる。聞いたこともないくらい切羽詰まった、泣きそうな色をして。


「どうしたの? 今朝からバスの中でふさぎ込んでたから心配で探してたらどんどん森の奥に向かって走ってくし……誰も居ないのに前に向かって大きい声で叫んでるし。それに、私のこと呼んでたよね。私ずっと後ろから呼んでたのに聞こえてなかった?」

「え、だって、マキノさんずっと前を走ってて、呼んでも呼んでも答えてくれなくて」

「私だって何度も呼んでたよ。もうホントに危なかったんだから」

「ごめんなさい。でも、あそこに」

 赤いヘアバンドの下に鎮座する切れ長で形の良い相貌から強張りが抜けていったのを見て取ったHが改めて崖のほうを向き直ると、マキノさんらしき人影は忽然と消えていた。

「今朝からずっとふさぎ込んでて、崖に向かって走ってくから本当に……よかったあ」

 涙ぐむマキノさんを見るほどに、何故あの時あんなに冷たい鉄仮面みたいな顔をした誰かを彼女だと思い込んでしまったのか。Hは他人事のように考えたが、よくわからなかった。だけどもう、公園に着いたときから背中にまとわりつくような、心の奥底から湧き上がるような、あの寂しさは何処にも感じなくなっていた。


 マキノさんは中学校に上がってしばらくするとお父さんが亡くなり、家族で大阪に移り住むことになってしまった。見送りに来たHの前で彼女は、あの時と同じように切れ長の澄んだ瞳に涙を浮かべていた。


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