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夜間歩こう会

「これで……よし、と」

 入念に櫛を入れた自慢の黒髪を洗面所の鏡の前で一、二度ふりふり揺らしてみる。

 いつもより気持ち長めに、それと襟足のところだけ少し伸ばしているので後ろから見ると漆黒のクラゲが宙空を漂っているようになっている。H自身お気に入りの髪型でもあるが、Kが以前どこかのアイドル歌手を見て「可愛いじゃん」と言ってたのと同じなのだ。輪郭をそっと包み込むように横髪がカールして、細い眉を湛えて憂いを帯びた瞳と潤んで紅い唇が白い素肌を引き立たせる。

「おーい!」

 玄関の引き戸を勢いよく開け放つ音とともに、元気な声が飛んできた。

「あらぁ~~いらっしゃあい。ほらほら、お迎え来たよ。早く行ってらっしゃいな」

「だってえ」

「大丈夫よぉ、アンタかわいいもの」

「うん。いってきまぁす!」

 囃し立てる母に振り返りもせず玄関に躍り出たHを筋肉質でむちむちな丸っこい身体でよく日焼けしたKが上がり框に腰掛けて待ち構えていた。

「おし、じゃ行こうぜ」

 ひょいと立ち上がったKはHの手を取って、HはKに支えてもらいながらお気に入りの靴を履いて、これもお気に入りのデニムのショートパンツから細く白い脚がしなやかに伸びて、ふたり並んで玄関を出て、いそいそ島の夜道を歩き出した時にはみんなもう集まっていて。ペンライトに電気ランタン、提灯型ランプなど思い思いの電燈を手にした村人たちがゆらゆらと闇夜に佇んで、みんな何処となくなんとなく浮ついたような気分で居るようで。


 今夜は二人の住む村から隣の村までの道のりを夜歩く、その名も

〝夜間歩こう会〟

 の日だった……読んで字の如く大人も子供もおねーさんも村の住民が隣村を目指して夜道をそぞろ歩くだけの行事なのだが、Hは意外とコレが楽しみだった。いつもの見慣れた道筋も月灯りに照らされて歩くとそれだけでどことなく幻想的に思えたし、草いきれのなかで歌う虫たちの声も、夜空に踊る星たちも、その日その夜だけの特別なものだと感じていた。そして今は、もっと特別な大親友が隣りにいる──

 と思ったら、Kは五十メートルほど前方で同じクラスの仲間と何やら楽しそう。もう、あまり学校に行けなくなってきているHは満月に照らされて影絵になった彼らとも打ち解けられなくて、向こうでイキイキとしているKをただボンヤリと見ていることしか出来なかった。

 別に向こうの誰かが悪いわけじゃない、自分が引っ込み思案なうえ、いつも他人の視線に怯えたり態度を気にしたりしているだけだ。自分のせいなんだ。

 

 俯いてひとり歩くHの視線の先に、見慣れない足元がうつり込んでいる。

 しゃりしゃりと薄い草履が地面を擦る音、自分以上に細く白い脚。視線を上げていくとやがて半纏を着た女の子の姿があった。痩せっぽちの体に戴いた黒いおかっぱ頭が、やけに大きく感じた。よく見れば半纏も色褪せて擦り切れて、なんだか随分と古いものを着ているようだ。

 暫く様子を見ていたが誰かと話すでもなく、親兄弟や友達と一緒に居るようでもなく、何よりHは同じ村の中にあって、こんな子を見たことがなかった。


 怪訝に思うHの肩を誰かが正面からぼんと叩いた。驚いて体をビクつかせ顔を上げると、Kが懐中電灯を持ってニッカリ笑っていた。

「悪い悪い、みんなで明日ファミコンするんだ。Hも来いよ」

「……僕は、いいよ」

「そっかあ。じゃまた一緒に遊ぼうぜ」

「うん」

 Hもファミコンを持ってはいるのだが、みんなで遊ぶ輪に入れずに居た。Kも自分が遊びに行く時は必ず誘ってくれるけど、どうしても。でも断るとKは必ずHとも一緒に遊んでくれた。だから断ってるのかもしれない。そうすればKを独り占「なあ、あの子誰だ?」

 並んで歩き始めたKの視線の先には、半纏のあの子。

「わかんない」

 少し疲れてきたHに合わせて、Kも歩調を緩める。ここからしばらく上り坂だ。息が熱く荒くなってきたHがKのシャツを掴む。その手首をKがしっかり握って坂道を上る。

 まるで蒸気機関車が貨車を引くように、えっちら、おっちら上ってく。その少し前を半纏の女の子がヒタヒタと歩く。疲れた様子もなく、しかし楽しそうでもなく。

 Hは荒い息をつきながら、めまいの中でKの背中を見上げていた。同じクラスでもひときわ分厚く広い背中。その向こうの暗い山道には人々の数だけ灯りが揺らめいて、坂道の長さを物語っている。真っ黒な影になってそびえ立つ稜線、青白い満月の美しい光、手を繋いで歩くKの息遣いと上下する肩。冷たい風が心地よく吹き抜けて、汗をかいた首筋を撫でてゆく。

「ねえ!」

「なあに」

 応えようとして、Kが呼びかけたのは自分ではないと悟った。彼の呼ぶ声の先には「明かりも持たないで大丈夫かよ、どこの子だい? 見かけない子だな」

 半纏の女の子はKの呼びかけに足を止めて振り返るが、虚ろな顔でうっすら頷くだけで答えようとしない。

「まあいいや、一緒に行こうぜ」

 そんな彼女を促して、また歩き始める。

「もうちょっとだ」

「うん……」

 励ましながらHの手を握るKが少し強く引いた。けどそれに足が追いつかなくて、よたよたとよろめいて、汗ばんだ彼の背中に頬をぶつけて。生暖かく湿ったシャツごしに「ごめん」と小さく呟いて、そのままシャツを掴んで。

「どっから来た?」

「……」

「俺達の村の子じゃ、ないよな」

「……」

「あっちの村の子だった?」

「……」

 Kの問いかけに、ただ黙ってあの子が頷くところを見ていた。


「だってさ」

「……そう」

 Kは半纏の子に興味津々なのか、そのあとも色々と話しかけたり声をかけたりしていた。誰と来てる、友達は、そこは危ない……だけどやっぱり、全然しゃべらない。

 大人たちや子供たちやおねーさんたちが手に手に掲げた灯りが遠ざかる。まるで滑るように、闇夜の奥へと深く潜ってゆく。行く先の道は同じなのに、とても遠く果てしなく思えた。月明かりも星の瞬きも、僕たちの足音だけを聞き分けて意地悪に遠ざけているような。

 力なく広がった喉の奥に乾いた空気だけが流れ込む音が耳の中から響いてくる。上がった息が熱く、苦しい。

「ほら」

 握りしめて汗ばんだ手を少し強く引いたKが、左手で指さした。彼は左利きなのだ。

「もうトンネルだ、あと少しだ」

 うん、と頷く気力も今は失せていて、うつむきながら小さく頷くしかなかった。何より、あの真新しい真っすぐのトンネル自体が二キロ近くあることは島じゅうのニンゲンが知っているのだ。まだ、けっこう歩くんだなあ……。

「辛かったら、おんぶしてやるから。な」

 平坦に戻った道のりでKがHの横に来て、腰のあたりを支えるようにポンと叩いた。冷たい空気とシャツの布地を通して伝わる、その手のぬくもりが腰から背骨を伝って心臓の隅々まで駆け巡り、脳裏に届いて踊り出す。

「うん!」

 ちょっとだけ、ほんの少しだけ元気に見せるつもりが満面笑顔のフルパワーでお返事してしまったため、まだもうちょっと歩く羽目になってしまった。

 毛陣けじんトンネルはボクたちが小学二年のときに完成したばかりの長い長いトンネルで、今でもまだピカピカに見える。天井に左右二列で並ぶ濃いオレンジの照明が眩しく光る。いつもはクルマに乗って通り過ぎてしまうだけだからわからなかったけど、こうして歩きながら見ていると小さな汚れや水たまり、チョロチョロと逃げてくトカゲなんかが意外と目に付く。

 オレンジに染まった冷たい空気を、ときどき軽トラックやオートバイが切り裂いて走ってゆく。その排気ガスの匂いと、コンクリートのひんやりした匂いが人々を包みこんでいる。

 全長約二キロという毛陣トンネルは歩いても歩いても先が見えなくて、とうとうHはギブアップ。Kの背中に揺られることと相成った。

「よっこらせ。羽根みたいに軽いな、Hって」

「いつもありがと」

「いいって。行こうぜ」

「しゅっぱーつ」

「……元気じゃん?」

 Kの背中に収まってご機嫌のHは兎も角「あれ?」

「?」

「あの子」

 気がつくと半纏の子の姿が見えない。そう、あの、半纏を着た女の子。

「居なくなってる」

「もう先に行ったんじゃない?」

「そうか……」

 別にいいじゃん、と心の奥底で少し思ったけど黙ってた。


 えっちらおっちら、二人で一つの影になって歩いてく。オレンジ色の明かりが横顔を照らしたり翳らせたり。Kの子供にしては逞しい背中の上でHの夜のように黒く風のように柔らかな髪が踊るようにゆらめいて、それがちょっとKはくすぐったいらしい。

 やがてその長いトンネルも終わろうという頃、先行していた村人たちは出たところの待避所や広い路肩で三々五々といった感じに休憩をしていた。

 KとHの姿を認めると、これでみんな揃ったなと口々に安堵の声がこぼれた。やがてそれが一座を漣のように洗って、また歩き出そうとする。

「おいおい。オレまだ休んでねえよ」

 と唇と尖らせたKだったが、構わずそのまま歩き出そうとした、そのとき。


 最後尾だったKとHの背後から、耳をつんざくような少女の悲鳴が響き渡った。

 何かに驚いたり蹴躓いて転んだりした様子ではなさそうだ。すぐさま男衆がトンネルに向かって駆け出していく。

 しかし、暫く探しても少女は見つからなかった。消えたのは村の〇〇という子で、さっきまで友達や両親と一緒に居たはずなのだという。それが、なぜ──

 そもそもトンネルから出てきたのはKとHが最後で、それまでに〇〇ちゃんの姿など見ていなかったのだが……。

 不安が広まるなか母親たちが子供を宥めて回り、年寄りたちは残り番を買って出た若い衆と評定を始める。このまま残るか、進むか、それとも引き返すか。

 しかし道のりは半ばを過ぎ、背後には悲鳴の残響が滲み続ける毛陣トンネル。正直HもKも、引き返す気にはなれなかった。帰るならせめて明るくなってから……なんなら誰かに迎えに来てもらえたらいいな。と、思っている。が、そんなことはオクビにも出さず呆然と佇んでいるしか無かった。


 やがて出ていた結論を確かめるための回り道みたいな評定が終わり、やはりこのまま進むことになった。男衆が数名居残って捜索を続けるが、残りはそのままゴールである隣村の神社まで向かって解散。その夜はそれぞれの宿に泊まる。予定通りに会を続けるという……もはや行くも戻るも同じなら、あのトンネルを通らないほうがマシかも知れない。こうなったら早いとこ辿り着いて、お風呂してご飯食べて寝てしまおう。Kがそういうと、Hも異議なし大賛成。だって「おばさんに、玉子のスープとカツ丼用意してもらったからね」「おっ! そうなのか!」「お布団もフカフカだよ」「やったね!」今夜は二人同じ家に泊まれるから。

 というか、Hの叔母さんが隣村に嫁いだので、毎年そこでお世話になっているのだ。大っぴらに布団を並べてひとつ屋根の下で眠れるとあっては、引き返すわけにはいかない。

 内心、大人たちの決断に大満足のHであった。といっても、まだKの背中に居るのだが。


 そこから隣村の神社まで、いつもより早く着いた気がする。みんなやっぱり怖いし、心配なのだろう。隣村の男衆にも応援を頼むべく、出迎えと顔を合わせるなり大人たちは俄然、慌ただしく動き始めた。子どもたちは引率役の保護者に連れられて神社を目指した。

 隣村も海が近く、真っ暗な夜空を這うように潮騒が聞こえてくる。ぽつり、ぽつりと灯る街灯の丸い光をわたるように夜道を歩く子どもたちはみな言葉少なく、重苦しい雰囲気のまま進む。と、

「あっ」

 Kが何かを見つけた。いや、誰かを。

「あの子、戻ってきてた」

「ほんとだ」

「ねえ!」

 鋭くよく通る、腹に力の入ったKの声が半纏越しに彼女の耳に届いた。

「ドコ行ってた? ひとり居なく居なってるんだ。一緒に行こうぜ」

彼女は虚ろな目をして、ゆっくりと頷いた。この騒ぎのさなか、何処にいたのか。不安や恐怖は無いのか、あの悲鳴を聞いてたか、アレコレ訪ねても結局あまり返答は無く。

 間もなく隣村の神社に着くといったところで漸く彼女が口を開いた。

「あそんでくれてありがとう」

薄く抑揚のない声色は高くも低くもない不思議な響きだった。

 きょとんとする二人を置いて、彼女は足早に境内へと続く階段を上ってゆく。

「待ってよ!」

 駆け出したKの足元を、闇夜に揺れるHの髪の毛を、雲の切れ目から降り注ぐ月光が照らし出す。長く青い影がふたつ石畳に伸びて、鳥居の向こうへ先に着く。

 社殿の扉の前に立つ彼女の足元で青白い石畳が冷たく光る。

 そしてふたりの眼の前で、彼女は扉の向こうへ消えていった。透き通るように、闇夜の空気の粒に溶けてしまうように。扉は閉ざされたまま。

 驚きは、やがて疑念に変わる。そして社殿の奥に待ち受けているものへの恐怖に。HはKの肩口に顔をぎゅっと押し付けてきつく目を閉じた。Kは足が震えそうになりながらも気丈に歩き続け、扉の前までやってきて深呼吸をした。背中に突っ伏したHの後頭部が一緒に大きく揺れ動き、意を決したKが扉に左手をかけて、スパーンと一気に開いた。

「……あっ!」

「え」

 恐る恐る顔を上げたHが見たものは、社殿の床に突っ伏している行方不明の少女だった。

「〇〇ちゃん!」

「ここ頼んだ、誰か呼んでくる!」

 Hを下ろしたKは踵を返すと矢のように走り去っていった。Hは少女を揺り起こすと、彼女は間もなく目を覚ました。

「あれ」

「どうしちゃったの、みんな探してたんだよ!?」

「あっ……あのね、あたし、トンネルで」

「おーい!」

「よかった、よかったねえ奥さん!」

 そこへ、Kの知らせを受けた大人たちが雪崩込んで来た。

 みんなで口々に安心と心配を語り、Hと同じ質問を浴びせた。

「えっとね。トンネルを出ようとしたら知らない女の子が居て……ボロボロの着物で」

「待って、そんな子どこに居たの」

「わからない。でも気が付いたら一緒に歩いてて、遊ぼうって言われて、それで」

「ここに連れてこられたの?」

「ううん、起こされて……ここで寝てたの」

「何も、わからないの?」

「うん……」


 結局、記憶も事実もウヤムヤなままだったが〝無事に見つかったからヨシ!〟という雰囲気が多勢を占め、その後はそれぞれ三々五々と言った感じで今夜の宿へと向かっていった。

 KとHも、トボトボと境内を歩いている。あの場に居合わせた誰もが……いや、おそらく今夜、歩いてきた全員が、あの半纏の女の子を知らないのだ。自分たちにしか、きっと見えていなかったのだ。彼女が連れ去られる前は。それが、なぜ、どうして。

「あそんでくれてありがとう」

 彼女は確かにそう言った。遠くて近い、消えてしまいそうな声で。

どこへ?

 わからない。わからないが、無性にさみしく、気味が悪かった。


 結局その後は何事もなく朝が来た。Kの隣で目を覚ましたHは、彼の無邪気な寝顔を見ても気分が少し晴れなかった。村に帰っても、みんななんとなくその話を避けているようだったし、Hの叔母さんも知らないという。神社で何かあったのか、それともトンネル……?

 謎は謎のまま、行事は今も続いているという。


夜間歩こう会 おしまい。



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― 新着の感想 ―
あれは何だったのか…というのが、またホラー感が強くて、室内なのに寒気がしました……。
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