第2話:「制御なき力と、リアの契約」
朝のドームは、いつもより冷たく感じた。
――昨夜、あの女に会ったからかもしれない。
リア・フォーン。元軍属にして、禁忌に触れた研究者。
彼女の赤い瞳は、まるでアデルの心の奥底まで見透かしているようだった。
「君の中のオドは……まるで“ある存在”を彷彿とさせる」
その言葉が、耳から離れない。
何を意味していたのか? “ある存在”とは?
彼女はアデルの名前だけでなく、過去までも知っているような口ぶりだった。
その真意を問いただそうとしたが――彼女はただ笑った。
「今は話せない」とだけ言い残し、去っていったのだ。
その余韻が、今も胸をざわつかせていた。
◆
リグレア中央戦術学園・演習場第六区。
今日の訓練は、二人一組での模擬戦形式だった。
だが、アデルの対戦相手は誰も名乗り出ない。
「あいつ、また昨日も爆発させたらしいぜ」
「圧縮失敗どころか、自爆に近いって話じゃねえか」
「力だけは一丁前。扱えないなら、それは“凶器”だろ」
耳障りな囁きが背中越しに届く。
アデルは気にした素振りを見せなかったが、その手はわずかに震えていた。
「クレイ。俺が相手してやるよ」
声をかけてきたのは、訓練兵の中でも頭ひとつ抜けた実力を持つ青年――ゼクト・ラファール。
銀の短髪に切れ長の瞳、無駄のない所作から漂うのは、完成された軍人の気配。
彼はアデルとは正反対の存在だった。
訓練では常に高評価。魔術の制御も精密。しかも人格面でも信頼厚く、教官たちの期待も集めていた。
「お前の力がどれほどのものか、興味はあるからな」
ゼクトは挑発でも侮蔑でもない、ただの好奇心でそう言った。
それが逆に、アデルの中の何かを逆撫でした。
(“扱える力”こそ正義――か)
「いいさ。負けない」
アデルは一歩前に出た。
◆
模擬戦開始の号令が鳴ると同時に、ゼクトは動いた。
「《重加速:ラグナ=フレア》」
彼のオドが瞬時に足元へ流れ込み、地面を滑るように接近してくる。
アデルも反応した。
「――圧縮開始、《連環螺旋・改》!」
掌に青白い光が集まり、渦を巻いていく――
が、次の瞬間――
「ッ……また、暴走かよ!」
暴発。
渦の中心が割れ、衝撃波が周囲を巻き込んだ。
オド制御の崩壊が連鎖し、アデルの体が吹き飛ぶ。
衝撃の中、視界が霞む。
爆風で巻き上げられた砂煙の向こう、ゼクトの姿がゆっくりと現れる。
「……やはり、お前は“力”に使われている」
ゼクトはそう言い残し、戦線を離脱した。
爆発の中心に立つアデルに、教官たちの冷たい視線が降り注ぐ。
記録された戦闘データには、“危険”の赤い判定。
その場にいた誰もが、彼の落第を確信していた。
――だが、アデルだけは違った。
(くそ……俺は、あの女に言われた通り、もっと“中核”を見なくちゃいけない)
昨日、リアが残した言葉が頭をよぎる。
『君の力は、“魔力炉”に最も近い。だが、それを扱うには理解が必要。オドの本質を。自分自身の“核”を。』
“魔力炉”――まだ正確な意味はわからない。
けれど、ただの制御装置ではないのだと直感していた。
◆
その夜、再びアデルはスラム街へと向かった。
情報屋の紹介で、得体の知れない女の噂を耳にしたのが数日前。
「魔術の構造を変える女」「マナとオドの境界を知る者」――そんな噂を追って、たどり着いたのがリアだった。
だが、彼女がアデルの名を知っていたこと。
“ある存在”という意味深な発言。
すべてが偶然とは思えない。
スラムの暗がりで、アデルは再び彼女と再会する。
「来ると思ってた。今日の模擬戦、見ていたわ」
「監視してたのか……?」
「いいえ。興味があっただけよ。“あれ”が暴走した時、君の中に光ったものがあった」
「……光?」
「そう。“衝動”よ。恐れじゃない。制御できないと理解しながら、それでも使おうとした。あれは、凡人には絶対に持ち得ないもの」
リアは言葉を選びながら、アデルの瞳を覗き込んだ。
「君が望むなら、私の“研究”に協力してもらう。ただし、それは君に“過去を暴く覚悟”があるなら、の話」
「過去……?」
「そう。君が忘れたがっている母のこと。そして、“オド”が暴走したあの夜の真実を」
アデルの目が見開かれる。
彼女は、あの記憶にまで辿り着いているのか。
「選びなさい、アデル。今ならまだ戻れる。でも、一歩踏み込めば、君はもうただの訓練兵じゃいられない」
静寂が、二人の間を支配する。
数秒後、アデルは言った。
「構わない。俺は……力を使いこなしたい。誰にも捨てられないために。そして……あの時、母を救えなかった自分に、決着をつけるために」
リアはゆっくりと微笑んだ。
「ようこそ、“真実”の世界へ」
こうして、アデル・クレイは初めて禁忌の門に足を踏み入れる。
それは、〈マナの門〉へと至る第一歩だった。