【第1章:軍都リグレアと少年アデル】 第1話:灰の空に生きる者
空は灰色だった。いや、“灰の色”そのものだった。
軍都リグレア――マナの荒れ地に建つ、鋼鉄の都市。そのドームの内側を照らす太陽灯は、今日も煤けたように瞬き、わずかな明かりを地上へと落とすのみだった。
その中央演習場、人工土壌の広がる訓練区画で、一人の少年が立っていた。
名は、アデル・クレイ。
軍士養成機関〈リグレア中央戦術学園〉の訓練兵、17歳。
階級はない。肩書きも、功績もない。ただ一点、“オドの密度が異常に高い”というだけの訓練生。
だが、それは賞賛ではなく、むしろ異常の烙印だった。
彼は、掌を前に出す。
青白い粒子が、空気を振動させながら集まり、螺旋を描くように収束していく。
「……圧縮、開始」
静かな声で呟く。内部から流れるオドを意識し、集中力を研ぎ澄ます。
「――《収束構式・第一段階》……!」
その時だった。
わずかに集中が途切れた瞬間、収束していたオドが暴走した。
――バシュンッ!!
青白い閃光が爆ぜ、周囲に砂煙が舞う。床材が焼け、センサーが赤く点滅した。
「圧縮魔術、失敗。出力過剰。演習を中止します」
無機質な電子音声が、冷酷に響く。
「クソッ……!」
尻もちをついたアデルは、呻きながら立ち上がった。掌には、微かに焦げ跡が残っている。
何度目だ? どれだけ繰り返しても、結果は同じだった。
周囲から、嘲るような視線が注がれる。
「またかよ。今ので何度目の暴発だ? もはや訓練場の“自爆兵”だな」
「オドの量だけは一丁前ってな。バケモノ染みた密度なのに、制御もできねぇとか笑える」
「“量だけ”の奴が一番迷惑なんだよ、ホント」
皮肉交じりの声。誰も彼を庇わない。むしろ、訓練の邪魔者として見なしている。
その中に、ひときわ目立つ少年がいた。
黒い軍装に身を包み、静かな威圧感を放つ彼の名は――リオン・ヘルツェン。
同期の中で最も優秀な訓練生。全ての魔術基礎操作においてA評価以上を叩き出し、実戦形式訓練では教官を圧倒したこともある、まさに“選ばれた側”の存在だった。
リオンは、アデルを見ることすらしなかった。まるでそこに“存在していない”かのように。
アデルは、その背中を無言で見つめた。
(……俺と、何が違うんだ? オドの量だけじゃない。彼は“使いこなしている”。それが羨ましいわけじゃない。ただ……悔しい)
地を這うような劣等感が、胸の奥で疼いた。
*
夕方。寮に戻ると、空はより濃い灰色に染まっていた。
食堂では、交戦のニュースが広まっていた。
「外壁都市カレンヴァルでまた変異獣の襲撃だってよ。オド障壁、突破されたらしい」
「マジか……死者、また出たのか?」
「最近、奴らの動きが妙に“まとまってる”って噂だぜ。進化してんじゃねえのか?」
アデルは、パンとスープを淡々と口に運びながら、それを聞いていた。
(生きるだけで、こんなにも苛酷な世界。だけど、だからこそ……力が必要なんだ)
その夜。
ベッドに横たわったアデルは、久しぶりに“あの夢”を見た。
――「アデル、オドってね、きっと優しい物質なんだよ」
母の声。優しく、柔らかく、温かい。
しかし、次の瞬間には、紅蓮の炎。暴走したオドが母の身体を貫き、赤く染めていく。
叫ぶこともできず、ただ見ることしかできなかった幼い自分。
あの日の無力感は、今も胸の奥で腐り続けている。
*
翌日。演習場ではまた、圧縮・加速・放出の三大基礎訓練が行われていた。
「《加速構式・第二段階》――《爆迅牙》!」
リオンの魔術が炸裂する。高速で収束・加速されたオドの矢が的を正確に撃ち抜き、演習装置が一瞬で爆散した。
「命中率100%、発動時間1.2秒、圧縮比率94%……さすがだな、ヘルツェン」
教官の称賛に、リオンはただ軽く頷くだけだった。
一方、アデルの訓練はまた“赤印”で終わった。
「クレイ訓練兵、またか。お前は力の調整という概念を知らんのか?」
コーネル少尉の声は、冷淡だった。
「次の審査で改善されなければ、“不適合”として除隊になる。それを覚悟しておけ」
(除隊……)
それは、リグレアにおける“死刑宣告”に等しい。軍属でなければ、この都市ではまともに生きることすら許されない。
*
その夜。アデルはこっそり寮を抜け出し、旧市街区――通称“下層”へと足を運んでいた。
目的は、ひとつ。
(どこかに……この暴れるオドを“安定”させる手段があるはずだ。魔術具か、古代の補助構式か……なんでもいい。なんでも)
彼は最近、学園の旧資料室で“魔力制御装置”という古い言葉に出会っていた。詳細は不明。ただ、戦前の文献に「高密度オドの制御を可能にした補助機構」と書かれていたのを見た。
その噂を追って、下層の非合法なマーケット情報を集め、ついに一つの名前に辿り着いた。
――「白衣の魔女がいる。古代術式に通じた元軍人だ」と。
路地裏の一角。ひどく静かで、誰も通らないはずのその通路に、確かに“誰か”の気配があった。
警戒しながら角を曲がると、そこには、汚れた白衣を纏った女性が立っていた。
眼鏡の奥から、真紅の瞳がアデルを射抜く。
その視線は、まるで“ずっと見ていた”かのように静かで、そして冷ややかだった。
「ようやく来たわね。アデル・クレイ」
「……っ!? 俺の、名前……どうして……?」
警戒心が一気に高まる。なぜこの女が、名前を――しかもフルネームで――知っている?
ここに来ることを誰にも話していない。寮の仲間にも、学園の誰にも。
心臓が跳ね、思わず後退しそうになる足を、アデルは力で止めた。
だが、女はアデルの動揺など意にも介さず、話を続ける。
「驚かなくていいわ。調べたの。あなたの“オド密度”は、今や学園内部でも有名。表沙汰にはなってないけれど、私は……そういう情報を得られる立場だった」
それは、嘘ではない。だが、すべてでもなかった。
彼女の口調には、どこか“含み”があった。
「君のオドは、あまりに濃く、不安定で、無秩序……まるで、かつて私が見た“ある存在”を思い出す。だから知りたかったの。君が何者なのかを」
「……“ある存在”?」
「今は、それ以上聞かない方がいい。話せば……きっと後悔する」
その一言で、アデルは言葉を失った。
この女は、何かを知っている。それも、自分自身よりも深く。
――まるで、アデルの運命そのものを覗き込んでいるように。
「君がその“力”を使いたいと願うなら……助けてあげる。でもその代わりに、私の研究にも付き合ってもらう。それが、ここでの“契約”」
リア・フォーン。元軍属。禁忌研究に手を染め、政府に追われる身。
その名が、後に〈マナの門〉を開く者として歴史に刻まれるとは、アデルはまだ知らなかった。
はじめまして、ccchikaと申します。
この度、初めて投稿をさせていただきます。
自分の中で物語の設定を考えていましたが、どうせなら文章に起こしてみようと思っています。
文章力や構成など至らぬ点は多いと思いますが、順次投稿を進めていきます。
暇つぶしに読んでいただけると嬉しいです。