『電炎』第一章:伊号百五十三 潜航せり 神雷部隊突撃せよ
電炎 もし戦時中の日本で、マイクロ真空管による電子頭脳によって、技術革命が起こったなら?
『電炎』第一章:伊号百五十三 潜航せり
昭和十九年六月十九日、午前八時ごろ。
艦内は暗かった。
赤灯のみが、潜水艦の腹の中をぼんやりと照らしている。
深度は15メートル、シュノーケル航行。
目指すは、マリアナ沖東方――敵アメリカ機動部隊の洋上展開圏。
伊号百五十三の艦長、木梨鶴雄は静かな男だった、歴戦の潜水艦乗りにして冷静沈着を具現化した様な男、彼はいつもと変わらぬ調子で、計器を見つめている。
だが艦内には、いつもとは違う“熱”があった。
艦首に積まれた特殊兵器――桜花二型甲。
誘導装置を搭載し、巡航と突入の二段階で目標を破壊する、無人の誘導航空機、おそらく人類が初めて手にする力を、今海中から打ち上げる。
それはいまだかつて、誰もやったことのない作戦だった。
シュノーケルに備えられたレーダーが3秒間だけ作動する。
副長・村濱が、ソナー席の兵から報告を受ける。
耳を澄ますように小さく頷き、レーダー席にも目をやった。
すべてを確認し終えると、沈黙を破る声が艦橋に落ちる。
「全周囲、異常ありません。浮上可能です」
静かだった。
その沈黙を破るのは、艦長のわずかな言葉だけだった。
「……時間だ」
その瞬間、空気が変わる。
電算機員がすでに入力していた諸元データを、電流とともに桜花へ流し込む。
発射装置の点検完了、整流カバーの爆破ボルト作動準備、全てが滑らかに進む。
「桜花、発射準備完了」
「各配置、最終確認」
「格納筒、加圧よし」
「通信沈黙継続、電探電源遮断中」
「30秒で済ませろ」
木梨の声は低いが、明確だった。
艦体がわずかに仰角をとる。
警報音が艦内に一度だけ短く鳴り響く。
浮上。
伊号百五十三は、わずかに波を蹴ってその姿を現した。
濃紺の海と、朝空の狭間。
雲も、風もなく、音すらしない。
爆裂音――
整流カバーが飛び、格納筒から真っ白な弾体が姿を現す。
桜花二型甲。
全翼式、三角翼、巡航推力装置2基。
その姿は、不気味なほどに滑らかだった。
主電源が流入、伊号の射出装置が火を吹く。
発射!
轟音と共に、桜花は飛び出した。
わずかに斜めに傾きながら、前方の夜明けの空へと昇っていく。
その姿を見上げる者はいない。
誰も何も言わず、すぐさま次の作業へ移っていた。
「桜花、発射確認」
「異常なし。直ちに潜航を」
木梨が短く答える。
「急速潜航」
「急速潜航ベント開け」
艦は静かに、しかし確実に沈んでいく。
泡の筋も、まもなく見えなくなる。
夜明けの海には、
ただ一つ――弾道の残光と、消えゆく小波だけが残った。
この日10隻の伊号潜水艦が同時刻に桜花を発射した、この攻撃の結末を知る者はまだいない。
神雷部隊突撃せよ
『電炎』第一章:伊号百五十三 潜航せり
ペリリュー島・ペリリュー航空基地
昭和十九年六月十九日・黎明
桜花を抱いた一式陸攻が、滑走路脇に翼を休めていた。
機体番号の上には、白墨で書かれた一行が見える――「乙型試装・神雷二七」。
整備員の藤田一曹は、汗ばんだ額を手の甲でぬぐいながら、爆弾倉内で作業を続けていた。
中には、柔らかくしぼんだような袋が見える。防水キャンバス製の簡易増槽である。
「改良型エンジンのせいで、ちょっと大喰らいになりましてな。
でも、これでたぶん600キロは延びますわ。うまくいきゃ700」
藤田がそう言うと、隣に立った男――野中五郎少佐が静かに問い返した。
「どうやって落とす?」
「敵艦の手前、百キロあたりです。袋なんで、燃料が減って自然に萎んできたら、
ここのフックが外れて、勝手に扉の上に落ちますわ。
すみませんが落ちたら爆弾倉開けて機外に捨ててください。
南方の給水袋を応用しました。……敵は多いですから、少しでも多くの仲間が帰ってきてほしいんです」
野中は無言で頷き、格納された桜花に目をやった。
真っ白な胴体。その先端に描かれた桜の絵が、整備用灯の投げる光の中に沈んで見える。
「藤田、よくやった」
「ありがとうございます」
藤田は一礼し、少し沈黙してから、静かに口を開いた。
「……うちの弟、あんたの隊で飛んでました。あの時、ラバウルから、ガ島へ。
最後の出撃の整備、私がやりました。燃料、積めるだけ積んで……それでも、帰ってきませんでした」
「だから今日は、ちょっとでも多く――帰って来てほしいんです」
野中は応えず、ただ静かに機体に手を添えた。
外板の向こうにある鋼と火薬、そして整備員の想い――それが、自分たちの武器だった。
「桜花は撃つ。……必ず届かせる」
それだけを残し、野中は機体を離れた。
ペリリューの朝日が、ゆっくりと滑走路を照らし始めていた。
第七〇一海軍航空隊(通称:神雷部隊)作戦指揮所
昭和十九年六月十九日 〇五〇〇
地図の上に赤線が一本、真っすぐに伸びていた。
ペリリューから北東へ――その終端には、敵機動部隊。
野中五郎少佐は地図を背にして、隊員たちに静かに語りかけた。
「本日、我が神雷隊は桜花乙型を携え、米艦隊を叩く。
目標は敵空母、他に護衛艦艇多数とある。
我々の任務は、桜花を届けることにある」
集まった搭乗員たちは一言も発しない。
だが、そのまなざしには、訓練では生まれぬ“覚悟”があった。
「桜花は、我々の鉾であり希望である。
目標の上空三千で分離、照準は艦中心部。投下後は反転、全速で帰投せよ。……皆生きて帰れ」
続いて、一人の技術士官が前へ出た。
田島技術中尉。痩身の若者で、軍服の袖には油と汗の滲んだ跡がある。
「桜花二型乙について、技術補足を申し上げます」
その声は静かだったが、よく通った。
「本機は、機首に赤外線受光装置を備えております。
マイクロ真空管式の演算回路が内蔵されており、
敵艦の排熱、特に敵艦の煙突の赤外線輻射を追尾します、
一定条件下での自動進路修正が可能であります」
ざわめきは起こらない。
既に各自が仕様書を読み込んでいたからだ。
「諸兄の役目は、敵艦の手前45キロまで進出し、高度二千七百で投下する事。
あまり高度が低いと敵の煙突だけを突き破るかもしれません。
高度と距離さえ守れば、あとは桜花が、見て、狙い、突っ込みます。」
「これに人を乗せなくて済んで心底ほっとしています。」
田島は一礼して退いた。
野中は短く言った。
「全員、出撃準備につけ」
⸻
〇五三〇、滑走路。
ペリリューの空は、東の水平線からわずかに明るみ始めていた。
エンジンが一斉に吠えた。
桜花を吊るした一式陸攻が、列を成してゆっくりと動き出す。
整備員たちは滑走路脇に並び、誰一人として言葉を発しなかった。
ただ、まっすぐに敬礼する。
その列の中に、藤田一曹の姿もある。
野中五郎の機が先頭に立ち、機首を朝空へと向けた。
無線が一度、開く。
「野中一家、発進せよ、高度1000で空中集合、編隊を組む」
雷撃のごとき轟音と共に、
神雷の名を冠した爆撃機群が、黎明の空へと昇っていった。
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