【セクシー田中さん事件】作家的羞恥の極み!? 相沢○○や黒沢○○など脚本家達が投稿したコメント群!~その恥ずかしさ、大人になって厨二病コメントをSNSで拡散するよりやばいわよ……っ!!~
それでは始めましょう。
なお、このエッセイは2024年02月03日に執筆しています。
世間では「セクシー田中さん」の原作者がお亡くなりになったことで炎上して、日テレおよび小学館が大変なことになっていますね。
この事件の内容はですね、「原作漫画の実写ドラマ化に関係するトラブル」なんです。
簡単に言うと原作者が「原作通りにするならいいよ」と許可を出したものをですね、日テレおよび脚本家達がですね。
「言葉では従いまーす! ……でもそんなの関係ねえ!! そんなの関係ねえ!! 原作改変上等だ!! 原作者は引っ込んでろファッキュー!!」
というようなムーブを全力で行ないました。
それでも原作者は負担を覚悟で実写ドラマに介入して原作を土台にした脚本を手直ししたんですよ。脚本家達がクソの役にも立たないから。もっと言うなら「脚本家が契約通りの仕事が出来ない、できる能力がない」ので「原作者が尻拭いをせざるを得なかった」んですね。
それなのにですね、脚本家連中はSNSで。
「原作者なんて死ねばいいのに」
「原作者に仕事を邪魔された、マジで糞だわ」
というような誹謗中傷を脚本家がSNSで行なってですね、原作者を自殺へ追い詰めたという事件なんですね。これが簡単な内容です。
詳しい発言内容、事件の内容、原作者のコメント、日テレクソムーブなどはユーチューブなどでいくらでも見れるのでみなさんが検索してください。
それでですね、このエッセイではすでに言われていることは扱いません。
例を出すなら、日テレや脚本家達の厚顔無恥ムーブの非道さ、倫理観の欠如っぷり、ビジネスマナーのガン無視でビジネス破綻、などのことです。
これらについては散々ほかで語られていますし、筆者も内容には同意することが非常に多いので語ることねーな―と思ってたんですが。
「あれ? みんな怒りや倫理観や道徳や常識のことはめっちゃいいこと言うけど、この脚本家コメントが作家的に言うなら、くっ殺騎士、深夜徘徊露出狂おじさん、自称霊感持ちの他称変人、みたいな痛いやつを有言実行してる行動なんだけど、ツッコミ少ないな……」
という虚無感と言うか不自然さを感じたんです。
なんでだろうと思ったんですが不意に頭でピコーンと電球が鳴って気づきました。
「通常、深夜徘徊での露出の羞恥心は、露出というものを知る人ほど恥ずかしさの質を理解できるものである。なぜなら露出という行為に関して上半身だけの場合、全裸の場合、靴下だけを履く場合、女子高生に見られた場合、ホモのおじさんに見られた場合などと、具体的なイメージを明確にできるからである。
言葉だけの上辺しか知らない者には本当の恥ずかしさがわからない。あの脚本家達のコメントの恥ずかしさを皆がわからないのはこれらと同様である」
「恥を知るというのは一種の哲学を深め思想を追求する難しくて変態的とも言える行為だ。一般人は不意の事故や無知による愚行をしてしまった時の体験程度しかない。そのため、脚本家達の羞恥心溢れるコメントがいかなレベルかがわからなくても仕方がない」
ということを思いついたのです。
ですので作家志望(笑)である筆者(私のエッセイに自分の創作論を投稿してますが、完全にまとめきれてないのでメモみたいなもんです。しかも投稿ミスしてるのを最近見つけましたが、修正の気力がわかない……)ですが、曲がりなりにも解説できてしまいます。
なので、セクシー田中さん事件で露見した「作家的常識から見ると、原作者に対する脚本家達の、侮蔑よりもまず羞恥を感じ取れてしまう脚本家的本格黒歴史コメント」をご紹介しましょう。
ここからが本題になります。
全部で三つのコメント群を解説しますね。
面倒なので誰が言ったのかは名前を伏せます。探せば見つかるし、その人物に対してのことはどうでもいいんです。
コメントそのものが羞恥の極みで黒歴史なので、我々はそれを見て同じことをしないようにこれからの人生で注意しましょう。賢者は歴史に学ぶというやつです。
ちなみにですが。
もし筆者が「SNSで脚本家達の黒歴史コメントを投稿する」のと「深夜の小学校で全裸になってジョジョ立ちしながら『僕は天才でーす!』と奇声を上げた瞬間をお母さんに目撃される」のとどっちがマシかと……たぶん後者のほうがマシだと思います。はい。
ではまず一つ目のコメント群です。
最初はジャブから行きましょう。
脚本家の相沢のSNSからの抜粋ですね。他にも相沢のコメントがありますが、特に以下の二つがキッツ……だったので、興味が湧いた人は検索してみてください。
「私が脚本を書いたのは1~8話まで、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします」
「今後、二度と同じことが繰り返されませんように」
という発言ですね。これ自体はそんなにおかしい発言ではありません。
ただこれ「可能な限り原作通りに作れという要望を出した原作者との契約を無視して、僕の考えた最強のセクシー田中さんという脚本を書いた結果、原作者に却下され最終話の二話を書けなくなっちゃった人の発言」なんです。
しかも1~8話も原作者に何度も修正されたという結果らしいんですよね、これ。つまりこれのコメントが何を意味するかと言うと。
「私は原作通りという日本語が理解できない愚かな脚本家で~す!!」
「可能な限り原作に忠実に、という能力を欠片も持ってない無能の脚本家で~す!!」
「私は無能だ! 二度と採用するな! これは完全敗北無能宣言であるっ!!」
という解釈とかにならざるを得ないんですよね。
最初はみなさんのように怒りがあったんですが冷静になって出て来た情報から状況を考えるとですね。このコメントは自虐にしかならないだろうという結論になったんです。
いやーなろうにいる創作初心者でもしないしできない斬新な自虐だと思います。
恥ずかしすぎて無理です、筆者はこんなコメント書けません。
だってこれお金を貰って仕事をしてる時に言った、担当作品に関係するコメントですよ?
プライドのプの字もない敗北宣言なんて……とても筆者には……。
唯一この発言がまともになるなら、プロデューサーに「原作改変しろ!」と強要されて仕方なく従った場合のみですが……まあその場合は原作者を馬鹿にするような発言を含めないと思うので、そんな解釈はしなくても大丈夫でしょう。
相沢の「創作能力完全敗北宣言」という黒歴史コメントでよろしいと思われます。
次に二つ目。
これは右ストレートか右フックという中々強烈なやつです。
元は「シナリオ作家協会の投稿動画であった黒沢の発言」ですが、それをSNSで書き起こしてまとめたコメントがあったので、そこから抜粋。
その中でも特に羞恥を煽るコメントがこれらです。
「悲しいかな、原作通りにやってほしい人がたくさんいる」
「私が大切なのは原作であって、原作者はまあ関係ないかな」
ええ、非常に痛々しい発言、作家的羞恥心を刺激される発言ですね。
類似した恥ずかしさをわかりやすい例で挙げるなら。
「深夜にアイドルのライブ会場へ向かっている女子高生がいる。そこへ待ち伏せしていた変質者が服を脱ぎ捨て全裸になり『んほー! ボクチンのほうがアイドルよりかっこいいおー!!』と奇声を上げながらダンスを長時間披露し、女子高生の時間を浪費させ、ライブ会場へ行けなくする」
というものが、例えとして適切に近いでしょう。
いや例文書いててもキッツいわ、キツイ。
まず、原作ありの映像作品は「原作通りにやってほしいという人がたくさんいるのは常識」なんです。中学生でも知っているレベルの『常識』なんですよ。決してマイナー知識ではありませんし、茶道のマナーよりも浸透している常識です。
何故なら実写ドラマ化というのは人気作を対象にして行うもの。お客さんに「私の好きな作品が実写化したものを見たい」というファンが大勢いますし、初見のことを「原作があるんだ、どんなものかを見よう」というもので、初見の人の「その作品=原作に近い実写ドラマ」を期待しているからです。
ここで「原作を元にした全く違う何か」を求める人はいるのかというと、全くと言っていいほどいないでしょう。抽象的に書くといるんじゃないか? と考えたくなりますが、以下の様に具体的な例を思い浮かべて極論で考えるとわかります。
「『セクシー田中さん』というタイトルの漫画作品があったとしよう。彼らはタイトルはそのままで中身が『セクぴー田中さん』『オ・ナーニン田中ちゃん』『スーペルんメん田中っち』のような中身別物の実写ドラマを見たいであろうか?」
こう考えればわかるでしょう。
いやもう言いたいことはわかります。汚物やゴミを見せるなということになるのです。
原作ファンはもちろんですがそうでない人でも「セクシー田中さん」という作品でない限り上記は等しくゴミです。どれほどクオリティが高かろうともです。高い場合でもまず「これはセクシー田中さんではない。詐欺だ」という烙印の元、ゴミと判定されます。
なのでコメントの「悲しいかな、原作通りにやってほしい人がたくさんいる」はいかに羞恥に溢れるコメントかご理解できるでしょう。
そう「仮にも脚本家なのに常識も知らないの? なろうの初心者だって知ってることだよ?」という反応をせざるを得ないんですね。
さらにこのコメントの「悲しいかな」の部分と「私が大切なのは原作であって、原作者はまあ関係ないかな」に注目せざるを得ません。
これらは何を裏付けるのか。
漫画「セクシー田中さん」を使って表現するとこうなります。
「セクシー田中さんを原作に持つオ・ナーニン田中ちゃんがもっと世間で認められる風潮であってほしい。大丈夫、私のオ・ナーニン田中ちゃんはセクシー田中さんより面白いから」
という願望を、間接的に表現していると捉えられても仕方ない、と思われます。
特に「原作者はまあ関係ないかな」というのが致命的ですね。原作の生みの親である以上、関係ないというのはありえません。それこそ原作者が「原作は無視してもかまわない」ということを言わない限りはね。
例を出すと、第一話の何気ないヒロインの台詞がとんでもない伏線で、ドラマの尺の都合で削ってしまったという問題が出たりすることがあるからですね。
こういうのを無意識に削り取って原作作品でなくなることを防ぐために、原作者とは親密な関係を築くに越したことはありません。いわゆる裏設定とかも教えてくれることもあるのですから、漫画を実写ドラマ化する際には原作者の協力が必要だと言うのはバカでもわかるでしょう。
それが関係ないとか言うのはね、原作は無視して原作の集客力がほしいというのと変わらないのです。
ここで先ほどの「露出狂の例」で例えた意味がわかるでしょう。
そう、一緒なんですよ。
「アイドルのファンである女子高生が、ライブ会場へ向かう途中の道で待ち伏せされ、露出狂の変態に痴態を散々見せられて時間を浪費させられた挙句、アイドルのライブを見ることが出来なくなる」
これと同じ構図なんです。
実写ドラマが始まったら「セクシー田中さん」が放映されず「オ・ナーニン田中ちゃん」を視聴するしかなかった視聴者、という構図とね。
以上を持って、このコメントを総じて筆者は「脚本家式露出狂ムーブ系コメント」と言わせていただきたいと思います。
では三つ目。
ストレートとかフックのレベルじゃないですね。
金的パンチとか目潰しとかそういうレベルのやばいやつです。
これは「セクシー田中さん」の事件とは直接関係ありませんが、日テレとは関係があったため。改めて注目されてしまったコメントです。
というのも「葬送のフリーレン」という人気アニメが日テレでやってるんですが、あろうことかそのフリーレンの作画監督が過去にとんでもない羞恥コメントをSNSで投稿しておりました。それがこちらです。
「アニメ制作において何一つ、石ころより役に立たないのが原作者と言う存在。役に立たないならまだしもあの手この手で妨害工作を出してくれる輩がいる。そんな数々の妨害にも負けず鋭意制作中です!」
「あ! 誤解なきように言っとくけど、良い原作者の先生もいますよ、世の中には。一切口を出さないとか、もう死んでるとかね」
このコメントになります。
一見、これらは吐き気を催す邪悪なコメントに見えます。
しかしこれは――作家的な視点で見るととてつもない羞恥溢れる痛々しいコメントと受け取らざるを得ないのです。
わかりやすい例えですと恐らく。
「最速130キロしか出せない高校ピッチャーの私は、週五日で3時間くらい普通の練習をしただけで、170キロを投げれるようになって大谷を超えるピッチャーとなるし、ホームランも大谷より打てるようになる、超ウルトラな才能を持つ大天才である」
という感じで常に周囲のクラスメイト、チームメイト、指導者、ご両親などに言いふらして有名人になっている状態ですね。
もちろん有名な理由は現実を見れない痛々しい人だからです。
大谷レベルの才能が~とかそういう方向で有名ではありませんよ。
病院へ診察するかどうかの検討さえするレベルの痛々しさ、というのが伝わるでしょうか。
常識的な人ならわかると思うんですけど「基本的に原作の良さを一番引き出せるのは原作者である」なんですよ。得意媒体でそりゃあ差は出ますけど100が95とか97になるっていうだけで、妨害になるっていうのはまずありえないんですね。
このコメントにおける「原作者の妨害」というのは野球の例にすると「こういう投げ方だと140キロのストレートを投げれる正しい指導」のことを指すでしょうね。つまり頭悪すぎて「適切な指導を嫌がらせと曲解している」状態なのです。
いやあキツイですねえ。
これを「セクシー田中さん」という作品で例えるなら「セクシー田中さん」という作品になるように原作者が助言することに対して非常にうざがり、「オ・ナーニン田中ちゃん」を作ろうとしていると捉えることができる、凄まじい発言です。
原作者は死んだほうがいいとかの発言は先ほどのことをより確信させてくれます。誤解を恐れているようですけど「大丈夫! 正確に伝わってます! 私の恥ずかしい発言! ずっと覚えておいてくださいね!」というレベルで正確に伝わってますよ。キッッッツ!!
ちなみにこの発言を投稿した人はさらにヤバい発言も投稿してるんですね。
それがこちら。
「原作者が現場に口出ししたいなら、自分でプロダクションを作って人を雇って生活の保障もしてとなると、どーしても手塚治虫先生コースになっちゃうね。業界内ではいまだにアニメの低賃金が手塚先生のせいみたいに言われてて、下手すると素人さんまで悪口言い出す始末だけど、そんなことはない訳で」
というコメントです。
後半の賃金に関してはなんとも言いません。今回のこととは違うし。
注目するべきは前半ですね。いやあ凄いですね。曲がりになりにも「あなたの作品が凄いのでぜひウチで映像化させてください!」って原作者へ頭下げた会社に所属する人間のセリフじゃないんですよ。
社長が頭を下げて頼んだ顧客に対してね、社長の部下が。
「顧客が要望を口にするなあ!! 口を出したいなら我が社が何もしなくてもいいレベルで金を出せえ!! 生活の保障も忘れるなぁ!!!!!」
と人のいるところで大切な顧客に怒鳴りつけてるんですよ。顧客からすると「怖い……そちらの会社での仕事はなかったことでお願いします。さよなら」って反応になるんですね。ビジネスが成立しないのですから、これが当然の反応でしょう。
社長としてはもう恥、恥、恥、ですよ。人に対する礼儀はなってないし、教育不足や指導力不足を痛感せざるを得ないし、なにより自分の人間観察能力に絶望を覚えるレベルの恥さらしなんです。しかも仕事がなくなるというおまけつき。
自分だけが恥をかくならまだしも、確実に身内に迷惑と羞恥を撒き散らすコメントはやばすぎますね。
隣にいるだけで自分の羞恥を煽るやばい人というやつです。
と、以上です。
これらが羞恥溢れるコメント達になります。
気になった方はぜひ「セクシー田中さん」で検索してみてください。
日本の脚本家に対して軽蔑の念を抱きますよ。ハッハッハ。
改めて「セクシー田中さん」の作者さんにはご冥福をお祈りします。
ただ失礼を承知で言わせていただきますと、自殺をするべきではありませんでしたね。
もっと私のように素直に常識を説き、小学館のケツを叩き、SNSでどちらの考えが正しいかを日本のみんなに問う弾劾裁判のようにして投稿を持ち込んでもよかったと思う。
正当な反論をSNSを利用した攻撃と誤認しちゃったのが、よろしくなかった。
まあまともな状況ではなかったでしょうけど、自殺は良くなかった。
その結果で原作者の立場は確実に良くなるし、規制も入って厳しくもなるでしょう。けど、たかがそんなことが希少な才能を持つ漫画家の命と釣り合うのかと言われれば、断じてノーと言わざるを得ないですね。
以上でエッセイを終わります。
あ、それとコメント欄はオフにさせて頂きます。
ここで盛り上がるのもなあ、という心境になってるんですね。すいません。
ただ「おいおい、しょうもないなろうユーザーがエッセイで妙なことを言ってるぜww」とか「セクシー田中さん事件」の脚本家達のコメントに「そういう解釈もあるかあ」とツイッター(X)やユーチューブとかで言ったり、説明で使ったりするのは全然構わないです。
というわけでエッセイがゴミと思ったら評価なしや低評価を。良いと思ったら高評価を。あなたの思ったことを素直に評価してください。
以上で終わります。