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幽冥婚姻譚  作者:
第二幕 山桜の水鏡
20/43

八 春の夢②

 春芽吹く。

 椿が山桜の主の領分を訪れてからと言うもの、青々と生い茂る新緑は更に濃く深まり、山桜の薄紅は色付きが鮮やかさを増す。

 精気が満たされる様を肌で感じながら、椿は山桜の主と共に領分の中心に座し天を仰ぎ、変わり行く景色を眺めた。


『お前が来てくれて助かった。面白い力を持っているな。お陰で、ようやっと我が魑魅(すだま)(霊魂)も平静を取り戻せた』


 隣に並ぶ女は顔つき、口振ともに穏やかで、とても人を喰うなどと言う恐ろしい行為に身を投じているようには見えない。淡く笑う唇は徐々に薄紅を取り戻し、幽鬼から聖母然とする。

 

「……まだ何もしていません」

『何、お前の力は不思議よの。お前は此処に来るまでに、一つとして悪意ある考えを浮かべなかった。昨日の些細な事、夫の事、――死んだ両親の思い出。それも嘆きでない、実に穏やかな心覚(こころおぼ)えであった』


 悪意なき心根が魑魅(すだま)を染め上げたのだと、主は穏やかに言う。だが、椿は褒められても困り顔へと変わるばかりだった。

 

「……私、まだ自分の事良く知らないんです」

『仕方がない事。お前の力は生まれたばかりで赤子も同然だ。お前の夫が人の姿を保つのも、お前との繋がりがあって初めてなし得る事であろうよ。()()()()()()()()同調(どうちょう)させてしまうとは恐れ入る』


 全てが筒抜けで、椿は気恥ずかしくなり顔を俯ける。その姿は実に初々しく、山桜の主は目を細めて微笑んだ。


『私にも夫がいた。其方達夫婦と同じで、あちらは人間であった。夫は捧げる供物が無いから身代わりに此処に来たと言ってな。人を喰う趣味が無い上に人と婚姻を結ぶ気も無かったが、男の方から婚姻を申し込まれた。実に面白い男であった』


 山桜の主は人と添い遂げる気は無いからと男を追い出した。

 しかし何度追い返しても、男は山桜の主の下へと現れる。男は純粋に山桜の主に惚れたのだと言って、引き下がろうとはしなかった。


 結局、折れたのは山桜の主だった。男に興味持ったというのもあったが、健やかなる男の心根、思想に興味を持ったのだ。

 

 それから、男は山桜の主の領分で暮らしたのだと言う。それまで、山桜の主は人との関わりを最低限に保ってきた。山の頂きから見える、水鏡に映る山桜や道を行き交う者を眺める程度。

 心や愛などというものを知らずに生きてきた山桜の主にとって、男は新鮮味があったとも言えるだろう。


 愛を語り、想いを述べる。

 村に置いてきた家族を語る姿は寂しげだったが、男は山桜の主の側を離れる事はなかった。


 だが――


『人間には寿命がある。男は我の領分で生きた分は人から違えた存在になりつつあったが、それでも最後は老いて死んでしまった。それから――』


 それからの記憶は曖昧だったと、山桜の主は語る。

 精魂の濁る感覚だけが、ぞわぞわと山を染めていく感覚を感じても、錯乱した意識は人の魂を求め彷徨い山を降りた。


 愛した男に似た匂い。特に人間の男の匂いは、殊更に似ていた。気が違え、些細な違いが判別できなくなっていたのもあったのだろう。

 適度に似た姿、似た匂いの者を領分へと連れ帰ると、夫ではないと思い知る。しかし、不思議とそれを目の前にすると腹が減った。

 感じた事のない感覚を空腹と錯覚したのかもしれない。

 気づいた時には、山桜の主は人の味を覚えてしまったのだという。

 


 語り終えた山桜の主が、『ふう』と小さく息吐いた。その息は、甘く(かぐわ)しい花の香りに混じって、死の匂いが漂う。

 その匂いは、決して他人事ではないものだ。ここ暫くは嗅ぐ事のなかっただけで、蔵を抜け出した夜に交わした口付けの匂いは正しくそれだったのだ。

 人を喰らう存在――朧と同じような、あやふやで、実しやかな存在を目の前にして、椿の口は滑らかに動く。


「私も、同じ道を辿るのでしょうか」

『さて、どうであろうな。私には、あの男を完全に()()()()に化生へと変じさせる力が無かったとも言える』


 山桜の主はそれ以上を知らないと言うと、もう一度小さく息を吐く。

 その瞬間、花弁が散り始めた。ちらほらと舞う山桜の花弁は、雪花(せっか)の如く地に落ちる。風吹けば再び舞うが、さらさらと風に流れて何処かへと消えていった。

 花吹雪の姿は、じわりじわりと命が川の如く流れ出ているようで椿は思わず立ち上がる。


『さて、此処も終いにするか』


 椿が花吹雪に気を取られている間に、山桜の主もまた立ち上がり天を眺めていた。

 またも、ふわりと風が吹き抜ける。今度は、咲き乱れる桜の花と共に、山桜の主の身体が崩れ始めた。


「……何処に行かれるのですか?」

『飢えは(おさま)ったが、戻らんという保証はない。我の魑魅(すだま)をもう一度山へと戻そう。さすれば、この山に新たな主でも宿るだろう』


 山桜の主の顔に未練はなかった。清々しくも儚げに、()()を思い出してはうっとりと幻想の彼方を眺めている。


『最後に、()()()を思い出せて良かった』


 思い出の愛し君に(いだ)かれて、山桜の主は花吹雪の中へと包まれていった。

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