43.
「ミオ!予備のお皿、出してもらえる?」
「はい、ジュリエッタ様!」
腕まくりをして次のスープを皿によそいながら、背後のミオへ指示を出す。お皿に入れられた野菜たっぷりのスープは、笑顔が眩しい子供達へとロロが渡してくれている。
今日の私たちは、どんよりとした曇り空の下、首都のはずれにある孤児院へと炊き出しに来ていた。
孤児院の子供達だけでなく、周辺の貧しい家庭へ向けての炊き出しも兼ねている。ユロメアの屋敷からついてきてくれたマーサや侍女たちが協力してくれ、スープにパン、お菓子なども配っていた。
どこで炊き出しをしても歓迎してもらえているのは、私が神獣使いだということも関係しているのかもしれないが…。
(神獣使いと言っても、神聖力はロロに頼り切りだから、私1人では何もできないんだけど…。名前だけだとしても、自分にできることはしたい、と思う)
食事を配り終えた後は、孤児院の庭で、子供達とゆったり遊んで過ごす。
本を読んだり、追いかけっこをしたり。子供と一緒に遊ぶのはとても体力が必要で、初めの頃は大変だったけれど…。今では、夕暮れまで一緒に遊んでも、体力が保つようになっていた。
遊び疲れた子供達を前に、本の読み聞かせをしていた最中。
「そろそろ夕ご飯だって!」
「お手伝いしてー!」
夕暮れで辺りが染まる中、建物から、年長の子供の呼ぶ声が聞こえてきた。
「私たちも、そろそろお暇しないとね」
「そうだな」
大型の猫の姿で寛いでいたロロは、くああっと伸びをした。
屋敷の侍女たちは先に帰らせているので、残るはミオたち護衛の騎士数人と、私たちだけだ。
「ええー、まだよんでもらいたいのに!」
「続きは夕食後にしましょう?ほら、お手伝いしにいかなくちゃ」
「うん…」
少しだけ不満そうにしながらも、ふざけあい、笑い声をあげながら建物へと駆けていく子供達。
(今日も一日、何事もなくてよかったわ)
穏やかな気持ちで、彼らを追いかけようと歩き出す。
しかし数歩もいかないうちに、立ち止まることになってしまった。違和感に振り返れば、小さな男の子がひとり、そわそわしながらスカートの端を握りしめている。
「どうしたの?」
「あの…ま、マークが、あっちで…」
「マーク?」
「いっしょにきて!」
「あ、ちょっと……!」
ぐいぐいと、懸命に手を引かれる。ロロと顔を見合わせて、取り敢えずはついて行ってみることにした。
(暗殺者の罠……の可能性もあるけど、ロロが一緒だから大丈夫、よね?)
男の子は、私たちを建物の裏側へと連れていく。握られた手に、汗をかいていた。
「マーク!マーク、つれてきたよ!」
そこは、孤児院で使わなくなった家具や物を置いてある、ごちゃごちゃとした場所だった。長く放置されているのか、木の家具にはツタが巻きつき、周囲はかび臭い。
「マーク!ねえってば!」
男の子が必死になって周囲に呼びかけると、家具や戸棚の影から、10歳くらいの子供達が数人、姿を現した。全員、昼間の炊き出しの時に見たことのある顔だが、孤児院の子ではない。この辺りに住んでいる子供なのだろうか。
じりじりと、私とロロを囲むように散らばった子供達に、警戒する気持ちが強くなる。
「……ロロ、これ、大丈夫かしら?」
小声で尋ねると、ロロがふんふんと鼻を鳴らした。
「近くに大人の匂いはないが……いざとなったら、お前だけでもミオのところまで走れ」
相手は子供だ。聖属性魔法で目眩しでもすれば、包囲を抜けることは簡単だろうが……。
「おい!」
突然の呼びかけに振り返ると、1番体格のいい子供が、仁王立ちでこちらを睨みつけていた。
「お前が神獣使いか?」
「そうよ。貴方がマーク?私に何かご用かしら?」
「ちょっとな」
少年がにやり、と笑みを浮かべた瞬間、背後でガチン!と何かの嵌まる音と、低い呻き声がした。
はっと振り返ると、私たちを連れてきた小さな子の足元で、子猫姿まで小さくなったロロが倒れている。
「ロロ!」
小さな体を助け起こす。外傷は見られなかったが、首元に、見慣れない白い首輪があった。首輪の周囲を、くるくると真っ白な魔法陣が回転している。
「ご……ごめんなさい……」
涙でぐしゃぐしゃの顔をして、震えるその子は、だっと走り去っていった。
追いかけて問いただしたい気持ちもあるが、今はそれどころではない。
「ロロ!ロロ!どうしたの?しっかりして……!」
「りー……え、にげ、ろ」
力ない様子で、かろうじてそれだけを伝えてきたロロをぎゅっと抱きしめる。
とにかくこの場所から逃げようと、立ち上がった直後だった。
――ばふん!
背中に軽い衝撃があり――そして、周囲をピンク色の粉が舞った。
しまった、と思った時にはもう、それを吸い込んでしまっていて……。
身体中から力が抜けてしまった私は、へたりとその場にしゃがみこんだ。きっと、催眠効果か何かのある薬だ。
「おい楽勝じゃん!なんだよあの大人、散々脅かしやがって」
「まあまあ、いいじゃん?これで金貨もらえるんだろ?」
「こんなんで本当にもらえんのか?まぁいいや、おい!誰か知らせてこい」
(だめ……意識を失ったら……)
ぼんやりと遠のく意識の中、相手が子供だからと油断してしまったことを悔いる。
なんとか、腕の中のロロだけは守らなければ、と……必死に抱きしめることしかできなかった。
――次に意識が戻った時。周囲は薄暗く、よく見えなかった。
強い土と緑の匂いが鼻につく。身体の下にはかび臭い板が敷かれていて、時折、くぐもった足音が聞こえていた。
状況的に、何処かに閉じ込められているようだ。
窓ないので、外の状況も、今が何時なのかもわからない。
全身が痛んで仕方なくて、もぞりと動くと、両手が縛られているのに気がついた。
「……目が覚めたか、リーエ」
「ロロ?」
声がした背後へと、痛む身体を捻る。そこには、子猫の姿でくたりと座ったロロがいた。
最後に見た時と同じ、白い魔法陣つきの首輪が、ぼんやりと僅かな光を放っている。
「ロロ、大丈夫なの?何があったの?」
ぐぐ、とお腹に力を込めて、何とか身体を起こす。ロロは「静かに」と言うと、苦しそうにため息をついた。
「すまない、俺がついていながら、誘拐されてしまうなんて……まさか、これを持ち出されるとは思わなかった」
悔しそうに、ロロは白い首輪に触れる。触れた前足が、ばちんと何かに弾かれた。
「これはな、神獣を拘束し、その力を使えないようにするための制御装置だ。神殿が管理しているもので、一度使えば、再使用までに200年もの時間がかかる……非力な人間が、神獣を抑え込むための神具だ」
「なんで、そんなものがあるの?神獣は、女神様が遣わしてくださって、国のために尽くしてくれる存在、なんでしょう?」
「……神獣と契約した人間が、邪悪な思考に染まってしまった時。神獣は契約者からの影響を受けて、正気を失うことがあるんだ。そういったもしもの時のための神具なんだが……まさか、リーエを誘拐するためだけに、こんなものを持ち出すなんてな」
ロロは、吐き捨てるように言って、首輪を睨みつける。少し荒い息が、辛さを現しているようだった。
神殿が管理しているはずの神具。そんな大切なものを、なぜあんな小さな子供が持っていたのか。
それはきっと、彼女が関係しているからで――。
「あら、もう起きたの?」
ギイっと古い蝶番の嫌な音がして、うっすらと光が差し込む。
聞き覚えのある、可愛らしい声の主が、眩しいくらいの月明かりを背に、うっそりと笑っていた。




