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41.



 赤みがかった金髪に、王家特有の、強気な紫の瞳がぎらっと輝く。


「第二王子殿下……」


 突然ユロメア邸へと押しかけてきたのは、聖女アリサの婚約者である、第二王子のヴォルシング・アーヴェルトそのひとだった。

 いくら王族とはいえ、先触れすらない大変失礼な訪問だ。ひと足先に玄関ホールへと出迎えにきていたお母様も、扇子で口元を隠しながら、目元を険しくしているのがわかる。


「釣れないなぁ、ジュリエッタ。俺と君の仲じゃないか。そんな他人行儀な呼び方はやめてほしい」


 丁寧な所作ではあるが、なんとなく違和感を感じた。ぞわりと肌が粟立つような感覚がある。

 ……何より。彼との婚約はとっくに解消されているというのに、こう何度も名を呼び、馴れ馴れしく笑みを向けられるのはとても不愉快だ。

 玄関ホールへの階段、その中ほどに立つ私のところまで、歩み寄ろうとでもいうのか。ヴォルシングがこちらを見上げ、足を踏み出した。


「――止まって」


 即座にぴしゃり、と強い口調を投げ、彼の歩みを止める。

 人の姿でついて来ていたロロが、一瞬で有翼の大きな黒ヒョウの姿に変化すると、私の腰周りに擦り寄りながら、威嚇の唸り声を上げた。

 滑らかなその背に触れると、手のひらに伝わる温もりが、心を奮い立たせてくれる。


「貴方様との婚約は、とっくの昔に破棄されたはずです。私たちは今や他人同士。以前も申し上げましたが、その様に馴れ馴れしく名を呼ぶのはおやめください」


 一瞬顔を歪めたヴォルシングだが、それでもめげることなく、ふっと笑みを浮かべてみせた。


(私の知る彼は、こんな顔をする人ではなかったのに。一体何が……)


「それで、ご用件はなんでしょう?」


「君と話がしたいんだ。少し時間をくれないか?」


「わかりました。では、この場でお伺い致します」


「この場で……とは?玄関で?」


「ええ。この場所で、お話しください」


 一度婚約破棄をした以上、2人きりになんてなる気は毛頭ない。礼を欠いた訪問をしたのはあちらなのだし、わざわざ応接室まで案内して、もてなすような必要もないだろう。

 今この場には、ロロも、ミオも。お母様も、屋敷の使用人達もいる。

 どんな話をされるのか知らないが、後で根も葉もない話を広められない為にも、この場で用件だけを聞いて、早く追い返してしまいたい。

 ヴォルシングは、居心地が悪そうに周囲の人々を見まわした後――仕方なしというように、大きく溜息を吐いた。


「わかった。どうせ、隠すような内容じゃない」

「――母上から、兄上…第一王子との婚約を打診されているだろう?」


 ぴくり。階段の手すりに置いた指先が、小さく反応してしまった。

 ヴォルシングは、真剣な表情でこちらを見上げてくる。


「兄上とは婚約するな。君が俺と、婚約しなおせばいい」


「は……?」


 正直、耳を疑った。

 婚約を破棄したはずの令嬢に、この王子は、一体なにを言っているのだろうか?


「僕たちは、小さい頃に婚約してからずっと、仲良くやってきていたじゃないか。君が王家に嫁ぐというのなら、ずっと一緒だった俺と婚約するべきだ」


「何を…。ご自分が何を仰っているのか、わかっていらっしゃるのですか?」


「わかっているとも。これが最善だと、賢い君ならわかるだろう?」


「理解できませんわ。貴方には、聖女という婚約者がいらっしゃるではありませんか!そもそも、アリサさんと貴方が婚約するというから、私との婚約を破棄されたのですよね?だというのに、また私と婚約するだなんて…アリサさんのことはどうなさるおつもりなのですか!」


「彼女なら、兄上と婚約すればいい。そうすれば、王家が聖女を失うことはない」


「そんな……」


 思わず絶句してしまうような、身勝手な発言の数々。あまりにも酷すぎる言い分ばかりで、怒りに握った拳が震えた。

 そんな私の怒りも知らず、ヴォルシングはこの上なく素晴らしい計画を披露しているかのように、ギラギラとした笑みでこちらに手を差し出した。


「ほら、何も問題などないだろう?そもそも、俺と君が婚約破棄したのが間違いだったんだ!婚約破棄について、まだ腹を立てているというのなら、どんな償いでもしよう。だからジュリエッタ、僕と婚約を――!」


 怒りに頭痛まで感じ始めて、目を閉じふっと息を吐いた。

 ……昔は、こんな無謀で身勝手なことを言い出すような人ではなかった。

 思い込みが激しかったり、王子として甘やかされて育った分、高慢に思える部分もあったが……。

 秀でた才能がない分を、努力で補ってきた人で、立ち振る舞いはいつも丁寧で、礼儀正しく、根は悪い人ではなかったのだ。

 だからこそ、私も……いずれはこの人に嫁ぎ、王室の一員となることを目標に、勉学や社交など、妃となるために必要な教養を、懸命に学んでいた。

 だというのに、今のこの有様はなんだろう。

 まるで何かに脅されでもしているかのような……。


(もしかして、アリサさんのことで何かあったのかしら?)


 疑いを持って改めて彼を見てみると、普段とは違う様子が、各所から見てとれた。

 シワの寄ったシャツ、きちんと留まっていないボタン、整えきられていない髪……。

 神経質なくらい身だしなみに気をつけていた彼からは、想像がつかないほどの醜態だ。


「殿下。一度落ち着いてください」


 深呼吸の後、自分が思っていたよりも、落ち着いた声が出たことに安心した。

 階下のヴォルシングを見据えたまま、静かに言葉を続ける。


「私は、ヴォルシング殿下と婚約をし直すつもりはありません」


 はっきりと宣言すると、彼の表情から少しずつ笑みが剥がれ落ちていく。


「な、なぜ……アリサのことは問題ない!この前だって、夕食の時に兄上に色目を使っていた!アリサ本人も、兄上と婚約ということになれば嬉しいはず――」


「アリサさんがどうとか、問題が、とか。そういったことは関係ありません」

「私は、一度婚約破棄となった以上、貴方と再び婚約するつもりはないのです。国王陛下から頼まれることがあったとしても、私は、同じ返答を致します」


「……そ、んな……」


 がくり、とその場に膝をついたヴォルシングに手を貸そうとする人は、誰1人いない。


「殿下。どうしてこんな申し出をしようとお思いになったのです?アリサさんは少々……アレですが、貴方がたは仲良くされていたでしょう?」


「……誰が、仲良くなんてできるもんか」


 とうとう頭を抱えると、ヴォルシングは苦しげな呻き声をあげた。


「俺だって、聖女として彼女を大切にしようって、そう思っていたのに……。作法の勉強はしない、高価な物を買い漁るばかりで、聖女としての慈善事業や活動には見向きもしない……」

「あ、挙句の果てには、ジュリエッタ!君を殺せと喚いて、暴れ散らすような女なんだぞ、あれは……!」


 悲痛な声を上げると、彼は啜り泣く。精神的に参ってしまっているように見えた。


「あんな女が、聖女であってたまるか……!嫌だ、俺は、あんな女と結婚なんて……」


「殿下……」


 掛ける言葉が見つからなかった。

 かといって、彼と婚約し直すつもりはやっぱりない。


「あの小僧、あの女の負の感情に当てられたんだろうな。随分と弱っている」


 ぼそり、と、ロロの呟きに、胸が痛んだ。


(私を殺せと喚いて、暴れる……ね。彼女の本性を見てしまって、結婚が嫌になったからこんなことをしたの)


 彼に対して、全く情がない……というわけでもない。

 恋とか愛とか、そんなものでは決してないが……長く一緒に育ってきた、幼馴染のようなものだ。

 2つ年下の彼を弟のように思う、そんな気持ちが私の中にあったのかもしれない。

 私は静かに階段を降りて、啜り泣く彼の肩にそっと手を添えた。

 気休めになるだろうかと、触れた手から聖属性魔法を流し込み、彼に回復術をかける。

 目に見える怪我をしたわけではない彼には、無駄なことかもしれないけれど。少しでも落ち着いてくれたら、と思った。


「ジュリエッタ……」


 こちらを見上げた、雫の溢れる泣き顔は……いつだったかの昔に見たものと重なった。


「ごめんなさい、ヴォルグ。私は、貴方の期待に応えられない」


 彼の名を呼ぶのは、これで最後。

 これは、彼の婚約者として長い時間を過ごしてきた私からの、精一杯の謝罪。

 そして……婚約破棄を受け入れた私に残る、ちっぽけな矜持だ。

 肩に触れていた手を引き戻し、私は彼へと背を向けた。


「話は終わりました。お引き取りください――第二王子殿下」


 玄関ホールに響いていた啜り泣きは、もう、聞こえなくなっていた。






  

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