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4.


「……身に余るお言葉でございます」


 再び深く頭を下げようとする私を、小さな肉球のついた手を振って、神獣が制した。


「いい。もっと楽に接して欲しい。私は、お前にこの命を救われたのだから」

「……ローエンマイン様が、そう仰るのでしたら」


 神の遣いだという神獣を前にして、緊張しないわけがない。が……彼がそう言うならば、と身を起こし、それでもまだ緊張で固まっている私に、神獣はくすりと笑みを漏らした。


「本当に、楽にしてくれ。あの侍女に接していたように、言葉も崩してくれて構わない」

「それは……。さすがに、神獣様に対して、そこまで無礼なことは……」

「この俺の頼みでも、聞いてもらえないのだろうか」


(本当に、無茶なことを言う神獣ね)

 表には出さないように、心の中でそっと溜め息を吐いた。

 神獣といえば、聖女と並び、王族と変わらないくらいの権威を持つ存在だ。本来ならば、私のような公爵家の人間でさえ、お目に掛かることも難しいくらいの存在なのに……。

 だが、こんな子猫の姿で、しょんぼりと耳を畳まれてしまうと、彼の頼みを拒否しているこちらが悪者のような気さえしてくる。

(まぁ……見た目だってこの通り、子猫なんだし。神獣が望んだのなら、大丈夫かしら?)

 こんな場面をもしも誰かに見られたら、神に背いただの反逆罪だのと罪に問われかねない。しかし、彼の頼みを断る、というのも、それはそれで失礼だろうし。

 散々迷った挙げ句、私は降参することにした。


「……わかったわ。普通に話す。これでいい?」

「ああ。そのほうがずっと良い」


 ローエンマイン様は、器用に子猫の顔で笑みを作ると、満足そうに頷いた。


「それで……聞いてもいいのかしら? あなた、聖女のための神獣、なのよね? どうしてあんな傷だらけだったの?」

「ああ、そのことか」


 楽にしてくれ、と言われたついでに聞いてみたのだが、途端に神獣は、青い瞳を嫌そうにすがめた。


「あまり知られていないことだろうが、俺たち神獣は、生まれ落ちてすぐは無力なのだ。聖女や、己が認めた人間と契約を交わすことによって、初めて成獣となり、神聖力を使うことができるようになる」

「まぁ……。そうだったのね」


 確かにそれは、教養の中でも教えられなかったことだ。

 ということは、彼は今、まだ契約をしていない無力な状態だということか。


「俺が生まれ落ちたのは、あの城の庭だった。無力なまま、獣に襲われて怪我を負ってしまったところを、あの女に見つけられてな。……お前に、救われた」


 ほんの僅か空いた間に、どんな感情が込められていたのだろう。傷ついたような、悲しげな声色に、無礼だとは理解しつつも、つい、彼の頭をそっと撫でていた。 

 咎められるかと一瞬ひやりとしたが、神獣はただ、気持ちよさそうに私の手に頭を擦り付けるだけだった。

 強大な神の加護を持つという神獣でも、契約がなければ、命に関わる危険もあるだなんて。

 こんな風に話し込んでいるうちに、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 使用人たちも寝てしまったのか、いつの間にかしんと静まり返った屋敷の静寂の中、月明かりだけが、ぼんやりと私たちを照らす。


「……ごめんなさい」


 澄き通った宝石のような、その空気にぽつんと染みを作ったのは、私の言葉だった。


「なぜお前が謝る?」

「だって……本当なら、アリサ様があのまま、あなたを助けて、契約をするはずだったのでしょう? それなのに、私があなたを、屋敷に連れてきてしまって……」


 神獣にとって、契約がそれほど大切なものなのだとしたら、私はこの神獣にとって、余計なことをしてしまったのではないだろうか。そう、思ったのだ。


「私があの時、あなたたちの側を通りかからなければ、アリサ様があなたを助けたのでしょうし……」

「――それは違う、ジュリエッタ」


 消え入りそうな私の謝罪を、ローエンマイン様の穏やかな声が遮った。


「あの女……アリサ、というのか。あれはきっと、お前が通りか掛からなければ、俺を見殺しにしただろう」

「そんなことは……。彼女は、聖女です。見殺しになんて」

「お前には見えなかっただろうが。あの女、俺を見つけてすぐ、あの生け垣の根元に穴を掘っていたんだぞ」

「え?!」

「ジュリエッタ。お前がいなければ俺は、今頃土の下で冷たくなっていただろう」

「……そんな……」


 信じられない。いくら素行の悪い彼女だからといって、まだ生きている小さな命を、埋めようとしていただなんて……。

 くらりと、怒りにも似た感情に、目眩がする。

 本当に、彼女は――聖女という名を、どこまで汚そうというのだろうか。

 その時。

 すり、と、また手の平に、ローエンマイン様が身体を擦り付けてきた。

 私の手に、首筋を押しつけるようにして、あの傷だらけだった――今はもう、すっかり滑らかになった黒い毛並を滑らせる。

 うっとりと青い目を緩ませて、彼はほう、と息を吐いた。


「ああ。お前の手は、温かいな」

「ローエンマイン様……」

「あの女の手は、冷たくて不快だった。……ジュリエッタ」

「はい」

「お前が、俺と契約してくれないか?」

「……はい?!」


 驚いた拍子に、見事に声が裏返った。

(……ローエンマイン様、今、なんて言ったの?契約?私と?)

 あまりのことに、不躾にもちんまりとした彼の両脇に手をついて、ずいと顔を寄せてしまった。


「……申し訳ありません。ローエンマイン様。私、とんでもない聞き間違いをしてしまいました。もう一度、ゆっくりはっきり、仰っていただけます?」


 何故か、子猫はこの状況を楽しんでいるかのように、ひとり笑顔を浮かべている。


「うん? だから、お前にこの俺の契約者となって欲しい、と言ったんだ。恐らく、お前は何も聞き間違えてなどいないと思うぞ、ジュリエッタ」


 ……嗚呼、聞き間違いであったのなら、どんなに良かったことか。

 しかしこの神獣は、間違いではない、ときっぱり言い切った上で、期待に満ちあふれた瞳で、私の方を見つめていた。

 ここまでされては、聞き間違いも何もないだろう。この神獣様は、聖女でも何でもない私に、契約を持ちかけてきたのだ。

(落ち着いて、落ち着くのよ……ジュリエッタ)

 ゴホン、と一度咳払いして、暴れまわる動悸を少しでも治めようと努力した。


「あの、ローエンマイン様? そのような冗談はよくないわ」

「? 冗談などではないが」

「尚更悪いですわ! それにあなた、先ほど自分は、聖女のために遣わされたって……」

「うむ。それについては肯定する」

「でしたら、アリサ様と契約するんでしょう? 私となんて契約しちゃだめよ!」


 神様が、この神獣をアリサ様のために遣わしたというのに、聖女でも何でもない私が、契約なんてしてはバチが当たりそうだ。いや、絶対当たる。うん。

 だと言うのに、この小さな神獣様は、能天気に小さな前足をフリフリしてみせる。


「そんなことはないぞ。確かに神からは、聖女の力になれと命を受けたがな、契約するかどうかについては、俺自身の意思が最優先されるのだ。だから、俺がお前を選んだなら、契約したとて何も問題はない」

(いやいやいや、問題ありまくりでしょうよ……!)

 と言う叫びは、なんとか心の内だけに留めた。

 彼自身の意思次第だというのなら、そっち側の問題はないだろうけれど!

 だって――神獣よ?神獣様なのよ?

 それを聖女でもない私が、契約者として連れ歩くって?

 王国内で、どんな騒ぎになるのか――なんて、想像したくもない。

 それでなくとも、今の私は不名誉な噂話の的だというのに。

(やっぱり、そんなのダメ。きっと今以上に大変なことに――)

 そんな未来が見えていて、簡単に契約なんてものができるわけがない。


「……あのぅ、ローエンマイン様。その、とっても名誉なことだと思うのだけど、私……」


 おろおろと断ろうとしていた私に、彼は青い瞳を哀しげに伏せた。


「ならばお前は、俺にあの……血も涙もない女の元へ行き、契約しろと言うのだな? この俺を見殺そうとした……いや、生き埋めにしようとした女の元で、今度こそ死ぬまで扱き使われろ、と?」


 ……改めて言葉にされると、ぞっとする。いやまあ、アリサのための神獣なのだから、彼はもちろん、彼女と契約するべき……と、思うのだが。

 ローエンマイン様が口にした内容は、あまりにも悲惨だ。

 確かに、一度己を殺そうとした人間に仕える、というのは、良い気分がしないだろう。


「……いや、あの。確かにそれは、どうかとは思うのですけど……」


 しどろもどろになりながら、私はどうするべきなのだろうか、と、必死に考えていた時。窓の外に、ちらりと美しい月が浮かんでいるのが見えた。

 ――ああ、神様。

 どうして私に、このような試練をお与えになるのですか――。

 日中に嘆いていたマーサのようなことを思いながら、私は泣きたい気持ちでいっぱいだった。




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