99 周防大内へ
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(1537 11月 15歳)
天文法華の乱で荒廃した京への復興支援でずいぶんと出費がかさんだ。
畿内からの避難民の受け入れにも費用がかかったが、
労働力の増加は発展の下支えになってくれていた。
今は土佐国内を安定させることを優先する時期だと考えている。
戦がないので軍議の評定はない。毎月5のつく日に統治に関する衆議を行っている。
10日に一度のペースだ。政務については祖父房家にたよりきっている。
それでも奉行所などの新しい行政機構も少しずつ機能し始めている。
周防へ訪問を計画した。周防の大内義隆は将軍足利義晴から要請を受けて
上洛しようとしていたが、出雲の尼子経久の勢いを警戒して断念していた。
尼子経久は孫の詮久に家督を譲ったというが、中国の三大謀将である。
下克上の人である。形だけの家督譲渡と思われた。
尼子詮久は後の尼子晴久であろう。ここから尼子氏は急速に大きくなるはずだ。
中国地方は毛利元就と尼子晴久の時代になっていくのだろう。
毛利元就はまだ大内氏の配下であり、嫡男である転生者毛利隆元は10歳という。
尼子氏が大きくなり過ぎないようにするには大内氏に力添えする必要がある。
現地に行って、大内義隆やその家臣団、毛利元就の様子を直に見ておきたかった。
今から周防に行けば、年内に帰って来れるだろう、と判断した。
準備を整え、軍需物資や兵糧、馬などの贈り物を積載した船で向かう。
山口の街は落ち着いた雰囲気のよい街だった。
荒廃した京を見てきただけに「西の京」と言われる以上に
京よりも栄えているとさえ思えるほどだった。
初めて会う大内義隆は壮年の落ち着いた男で
戦国武将というよりも公家といった感じだった。
百済の後裔というのもうなずける雰囲気を持っていた。
「よく来てくれた。手土産とはいうが戦つづきなのでありがたい。礼ははずませてもらおう」
『いつもお世話になっておりますので、手ぶらというわけにもいきません』
「いやいや最近はこちらが世話になっておる。(父の)房冬様のお力添えで大宰大弐に任じていただけた。今年は従四位上にも昇叙された」
『私どもの力ではなく大内様の実力が正しく評価されただけのことでしょう』
「本当のところ、今回はどのような用件で参ったのだ?」
『見聞を広めるためにきたのでございます。土佐を出て初めてわかったことがたくさんありました。京はひどい有様でした。堺は勢いのある街でした。ここ山口は素晴らしい。西の京ではなく、日の本で一番の街だと感じ入りました』
「嬉しいことをゆうてくれる。確かに若いときから見聞を広めることはよいことだ。この地で何か望むものはあるか?」
『山口殿中文庫を閲覧させていただければ幸せにございます』
「欲がないと聞いていたが、ほんに欲がないの。好きなだけ見るがよい、写しが欲しい書があれば
案内したものにゆうておけ。こちらで写して土佐へ送ろう。中村文庫も書が増えておろう、そちらも明と活発に交易をしているそうではないか」
『堺衆に頼りきりで中継が主でございます。大内塗、長州鍔のようなよい品が作れるよう努力しております』
「土佐には清酒があるではないか。あれはよいものだ。こちらでも造れるとよいのだがな」
『いかがでしょう。清酒の製法をお教えいたしますので指導のため絹織や塗師や鞘師などの職人を土佐へ派遣していただけないでしょうか?』
「それは願ってもない。だがこちらが得し過ぎておるな。他になにかないか?」
『土佐に四書五経を学ぶ学問所を作りました。学識のある僧侶や公家の方に声をかけさせていただき、短期間でよいので土佐にお呼びしてもよいでしょうか?』
「下向しておる中には儒学者もおる。声をかけるがよかろう」
『ありがとうございます』
「それよりも、弟に会ってやれ、将軍より偏諱を受けて恒持から晴持になっておる」
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