9 母と源氏物語
(1525 秋 3歳)
「母上に会いたい」
周囲が男だらけになりつつある。
竹はどうやら乳母のようであるが
母の話を誰もしないのが不思議になってそう言ってみた。
空気が凍った。空気が読める3歳児ではあるが
このままでよいはずもなく、状況を問いただしてみると・・・
妊娠していたのだが、先日、流産してしまい
その後、体調がすぐれず寝込んだままらしい。
いやいや、そんな状況とは露知らず、
これは急いで会いに行かねばと伝えたのだけれど
穢れているから、と会わせてくれようとしない。
「子を産むことは尊いことだ。死んでしまったことは
悲しいことだけれど、母に非があるわけではない。
はげまして、支えあうのが人としてあるべき姿だろう。
誰か止める者があるのならば、直接話をつけてやるから
連れていけ。はっきりと止める者がいないのならば
母のところへ連れていけ。すぐにだ。すぐ連れていけ!。
安並!、母ひとり救えずに多くの民が救えると思うてか!」
強く、はっきりと、目をそらさずにそう駄々をこねる。
安並も大きくうなずき、竹に案内するように指示をした。
竹「こちらでございます。」
「奥方様、突然のこと失礼いたします。万千代丸様がお見舞いに来られました。」
中からは
「困ります。奥方様は臥せっておいでです。お帰りください」
と声がする。
『問答無用だ、すぐ襖を開けよ!』
中に入ると薄暗い中、ささえられながら小柄な女性が
起きようとしていた。が、侍女の一人が立ちはだかりながら
「穢れておりまする、お帰りください。」という。
俺は後ろを振り返り
『安並、この女を叩き出せ』と言った。
そのまま歩をすすめて、体を起こした女性と対峙する。
若いっ、若すぎる、10代前半くらいにも見える。
3歳児の親にはとても見えない。
「穢れています。部屋にお戻りなさい」
声を聞いただけなのに、胸の奥が熱くなる。
転生した身とはいえ、体が心が、いや魂が震えるような気がした。
この女性が自分の母親なのだと確信できた。
『母上、会いとうございました。
母上は穢れてなどおりませぬ。
ははう”え”、愛しておりまする。』
あふれる涙がとめどもなく流れ、すがりつくように
その体に抱きついた。
「万千代丸、あぁ、万千代・・・」
震える声で強く抱きしめ返してくれた。
しばらく2人して泣き続けたのだった。
落ち着いた後に、文殊菩薩様の夢の話をしたのだが
素直に信じてくれて拍子抜けしてしまう。
皇族のお姫様だったそうで、おっとりした女性だった。
まだ十代後半なようで、身体もできあがらぬうちに
子を産むことになるこの時代の恐さを感じたのだった。
流産したことはずいぶんショックだったようだが
努めて明るく接するようにし、聞き役にまわるようにした。
驚くことに源氏物語の大ファンだった。この土佐一条家には
源氏物語54帖の写本があるだけでなく注釈書も多数あるらしい。
どうやら京の一条家8代目であった一条兼良の著作の一部が
こちらに移されているという。
源氏物語関連書物だけでも現代なら国宝クラスだ。
これだけは土佐一条が滅ぶことになったとしても
何としても後世に残さねばならない案件だ。
源氏物語を読み聞かせてもらいに足しげく通うことになった。
この時代の文字が読み書きできるようになるにも重要なことだ。
一条房基の母は伏見宮邦高親王の娘、玉姫
一条兼良は曽々祖父(1402-1481)摂政、関白にもなったとてつもない才人
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