89 従四位下と琉球貿易
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(1536 春 13歳)
京の滞在は最低限ですませて年内には土佐に戻り、年始の挨拶は中村で受けた。
年明け早々に正五位下から従四位下になったとの連絡が届いた。
昨年末に寺社や公家にバラ蒔き過ぎたのかもしれない。
摂家でさえ困窮しており、九条家も二条家も今では京を離れ家領に下っているらしい。
暴徒の打ち壊しなどもあり、屋敷の修復もいたちごっこになりかねず
塀を厚くしたり内堀を作るのが優先されているという。
父房冬は左近衛大将としての業務に忙殺されている。
従四位下になった今回は上洛しなくてもよいとのことだった。
非礼を口実に責任を取って左近衛大将を辞めたいらしい。
京で失うものなどないし、本家には多額の支援をしているから気兼ねしなくてもよい。
ズバズバと物申す様は下の者には人気があるようだ。
祖父房家と同じ正二位になったし、これ以上の官位を欲してはいないようだ。
日明貿易をしていた唐船が琉球を経由して帰ってきた。
琉球との交易は薩摩の島津氏が独占を主張しているのだが
琉球自身は島津など気にせず他国と交易してくれている。
日明貿易も正式な遣明使船としての勘合符をもっているわけではない私貿易であり、
琉球との貿易も正式な形でなく補給で立ち寄らせてもらったついでの形を取っていた。
島津氏は絶賛内紛中で、本家と分家がぶつかりあっていた。
薩摩が落ち着くまでは薩摩の坊津港には唐船は立ち寄らないほうがよさそうだ。
転生者島津義久は既に生まれているようで、おそらく今年が覚醒年になる。
しばらくは島津氏を気にせず琉球とのパイプを太くしていく。
琉球や明との通訳ができるように駐在員を派遣する手筈を整える。
次の便では明との貿易でなく、琉球との往復だけの交易にして航路を確定する。
琉球王朝へは大量の土佐和紙や手動扇風機や団扇などを献上し、
駐在員の拠点を作ることを認めてもらう予定だ。
琉球からは各種の農産物の種や苗、アグー豚など家畜類を輸入して
土佐での栽培・繁殖を進めていく。
報告を聞いてみると、琉球では砂糖の生産が行われていないようだ。
サトウキビと呼んでいるかもわからないが、それらしい作物の生産も
されていないらしい。秘匿されているのか、そもそも生産していないのか
不明とのこと。もう少し詳しい調査が必要のようだ。
琉球にサトウキビがないのであれば砂糖生産の予定が狂う。
砂糖そのものは薬として明から輸入しているものがあるので
明との貿易で栽培方法と砂糖の精製方法を入手することになるかもしれない。
史実では1537年に従四位下、
1539年に従四位上、正四位下
1540年に従三位になっています。
家督は祖父房家であったのにここまでの昇進は
一条の家格ゆえのことだと思われます。
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