87 正五位下と緊急上洛
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(1535 11月 13歳)
父房冬が左近衛大将となった。
前任者は叔父房通だった。その前任者は前関白の九条稙通。
私は従五位下から正五位下に昇叙した。
一度も参内しないまま正五位下になったのは
京本家の家格と本家を通しての多額の献上品のおかげだろう。
今は官位については拘っていない。
土佐一国を事実上支配しているが、
幕府からの土佐守護、朝廷からの土佐守をもらっているわけではないから
不法占拠しているようなもので、外聞は悪い。
関係者からは幕府や朝廷に異議申し立てをされているかもしれない。
公家や寺社の修復をしているのでとがめるのを控えているのだろう。
札束で黙らせているような構図だ。
家督相続したとはいえ、京では父房冬が前に出て活動し、
土佐では祖父房家が健在をアピールしているので
13歳の子どもとして、扱いにとまどっているのかもしれない。
官位についての知らせと同時に上洛せよと父から強い要請があった。
家督相続したのに京に近寄りもしないことを問題視されているようだ。
昨年は帝(後奈良天皇)が天皇になってから10年経ってやっと
即位式ができたばかり。これ以上朝廷を無視できない状況なのだろう。
知らせが届いた翌日には京に向かう準備を始めた。
正五位下程度の身分では簡単に帝に会えるわけではない。
土佐一条家はあくまで一条家の庶流扱いだ。
こちらからアポイントをとって他の摂関家へ挨拶周りをした。
現関白二条尹房をかわきりに、九条稙通、近衛稙家、鷹司忠冬。
母である玉姫が各家が所蔵している源氏絵巻などの文化財を
拝覧させてもらっていたりするので皆好意的に迎えてくれた。
九条稙通は母親が三条西実隆の娘なので三条西公から
私の話を聞いていたらしく古典についての話がはずんだ。
近衛稙家は昨年妹が12代将軍足利義晴に嫁いでいた。
恐らく転生者足利義輝の母となるのだろう。
近衛稙家は足利義輝の伯父になるわけだ。
近衛家は将軍家と強いつながりのある摂家となっていた。
逆に九条家は本願寺と強いつながりを持っていた。
摂関家への顔見せも終わったので、山城にある一条の領地を視察。
砦化した屋敷で気になった点をいくつか改良させる指示を出しておいた。
これから先、京は何度も戦火にあう。
京の中ではなく近郊に物資の集積基地が必要だし、
いざとなったら動ける部隊を駐屯させておきたい。
史実では房基は1532年に右近衛中将に任官され1535年に正五位下になっています。
京にいたわけではないので右近衛中将にはさせませんでした。
史実で父房冬の左近衛大将の任官は銭1万疋の献金を約束しての任官だったらしく、
潔癖な後奈良天皇に銭は突き返されたという話です。
当時すでに土佐一条家は金持ちだったらしい。
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