78 ●転生者千利休
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
織田信長は1534年生まれ、覚醒するのは1537年。
他の転生者の話はもうしばらく先の話になります。
しばらくは内政と京の騒乱の話となります。
(1535 1月 ●千利休視点)
堺にも戦火が及んでいたが、昨年やっと一息ついたようだ。
1532年に堺が包囲され、足利義維が堺から阿波に逃れた。
ここ堺の顕本寺で三好元長が自害に追いやられたが、嫡男の千熊丸は阿波に逃れた。
どうやら私と同い年らしい千熊丸が三好長慶ではないかと思われる。
前世では千利休は堺を支配していた三好長慶の御用商人として財をなした。
選択順が後だった三好長慶と松永久秀は千利休が転生者であると知っているので
接触は容易だと思われる。
ただ千利休の本名である田中与四郎は知らないのではないかと房基様は指摘されていた。
房基様との文通は続いており、こちらの状況は細かく伝えていた。
房基様は土佐内の平定と貿易に忙しいようで
こちらまで手がまわせないと謝っていたが、
土佐との交易で家業の魚屋は大きな恩恵を受けており
おそらく史実よりも既に大きな商家になりつつある。
史実では17歳で茶の湯を始めたとされていたが、
房基様の手配で、武野紹鴎様に師事できるようになった。
武野紹鴎様は一向宗と法華宗との対立を避けて
一向宗から禅宗に改宗して堺に戻ってきていたのだ。
房基様からは前世の記憶でこの時代で通用しそうな技術や発明を求められているが、
文系に偏った知識ばかりで力になれそうにはなかった。
女性目線での医学的な知識を思いだすままに書き留めておくように頼まれていたものは
貴重であったとの返信があった。
今は真珠養殖についての知識はないかとの問い合わせについて、
思い出す限りのことを書き出しているところだが、成功率は2割ほどだったはずで、
結果が出るのにも数年かかるので更に難しいかもしれない。
房基様の婚儀で土佐へ下向した折に多くの商人に縁ができたおかげで人脈も広がり、
茶会や歌会に呼ばれることも多くなり武家や公家とのつながりも増えてきた。
13歳なので家業である商売にはまだかかわっていない。
大きな商いをしているが、番頭、手代、丁稚のように階層が決まっている
わけでなく家族経営、同族経営に近い。
夕方の食事を終えてからの一刻を若手の教育時間と決めて
日替わりで読み書きソロバンを学ばせることを認めてもらった。
土佐から大量の紙・墨・筆が届けられていて教材には困らない。
前世が英語教師であったから教えることには慣れている。
生活のかかっている学ぶ側の意欲・意識が高いから教え甲斐がある。
そんな私塾もどきを開いていることが伝わったのか土佐から黒板と50音表が届いた。
とんでもない! 土佐では私塾ではなく本格的な学校を作っているようだ。
以前の活動報告でチラリと書きましたが
ミシェル・ヨー(ミシェール・キング)のアカデミー主演女優賞受賞嬉しい!
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