73 土佐北街道整備
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(1534 夏 11歳)
土佐平野開発は長宗我部国親、本山茂宗にとても喜ばれた。
家臣達の兵もまとめて足軽衆に差し出してきた。
攻城戦、野戦ともに完敗した一条軍下で鍛え直して欲しいと願ってきたのだ。
数年は土木作業中心になることも承諾した。
田畑の整地も河川の整備も未経験な集団なので街道整備に投入。
前世でいうJR土讃線が走るルートの道幅を広げる工事を行う。
中村で経験済みの500の足軽衆と500の小荷駄衆に組み込んで
岡豊城から北上し、本山氏の本山城まで行軍する。
街道周辺の木々は伐採し、杭として打ち込んだり枕木のように埋め込む。
基礎体力も持久力も乏しい本山氏と長宗我部氏の兵はついてくるのがやっとだった。
実力差を感じているだろう。
発奮してくれる者は足軽衆に向いているだろうし、
ここで折れるならば後方支援の小荷駄衆で下積みから始めることになる。
部隊の兵糧を運ぶために牛馬も帯同させた。
1000を超える人馬が道を踏み固めていく。
道中、斥候のまね事もさせるし、猪や鹿の狩りもさせる。
開けた場所では宿営地としての整地整備も行う。行軍訓練でもあるのだ。
兵をあずかっていて戦闘訓練が全くなしというわけにもいかない。
まずは投石を習熟させる。足軽でも小荷駄でも戦う基本の術だからだ。
野戦で敗れた長宗我部氏の兵はやっかいな戦法であると身をもって知っている。
騎馬を学びたいと願う者もいたが、前回の戦は初見殺しに近い戦法だった。
騎馬突撃はなるべく高低差がなく開けた戦場限定となるし、相手も選ぶ。
数騎しかいないのならば飛び道具の的でしかない。
古式ゆかしく名乗りをあげての1対1の戦いなどさせるつもりも、するつもりもない。
前回は相手の矢が減った後で、十分休養させた騎馬を投入した。
それに街道整備に連れてきたのはスタミナはあるがスピードはない荷馬なので
乗馬の訓練さえ満足にできない。
これは本山氏の利益につながるルートであって
長宗我部氏にとっての利益は少ない。
本山氏の本貫地である本山城は前世でいえば早明浦ダムの近くにあった。
吉野川の源流であり、四国の中心地。山奥の山奥なのだ。
攻めづらいが攻める価値もない場所でもある。
平野部に進出して本山氏は大きく隆盛したのだ。
このまま更に北上すると三好市に至る。三好氏の本貫地だ。
北上するとJR土讃線の名の通り、讃岐平野に至る。
東へ吉野川を下ると阿波市、徳島市、鳴門市に至る。
このルートを整備したのは
ゆくゆくは讃岐と阿波への進出への一手でもある。
ついでに兵達は技術と体力が向上し、達成感を得られた。
本山城から折り返して戻ってくることで街道はほぼ完成した。
頭数を揃えて、土佐統一戦で実戦での訓練が始まる。
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