72 土佐平野開発
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
(1534 春 11歳)
水軍についての目処はたった。
本山氏、長宗我部氏の本貫地である長岡郡の開発に取り掛かる。
土佐平野は土佐最大の穀倉地帯である。
河川も多いが整備されていない、野分(台風)が多い。
年によって被害場所が変わり、小さな国人同士で争いが絶えない。
中村周辺の開発は全て遅らせることになった。
これまでは足軽衆や小荷駄衆を動員して行っていた
街道や河川の整備は農閑期に農民に賦役としてやってもらう。
もちろんわずかばかりだが賃金は払う。
道具の発達で省力化・効率化も進んでいて昔ほどの重労働ではない。
河川整備が家や田畑を守り、生産性があがるとわかっているから
積極的に動いてくれる。何より戦に駆り出される賦役よりはマシだ。
足軽衆や小荷駄衆を土佐平野に投入する。
中村で土木事業に習熟した集団だ。
津野氏や大平氏を吸収した際に増員されたように
本山氏や長宗我部氏の兵を見習いとして組み込む。
津野氏の姫野々城下を担当していた部隊を本山氏の朝倉城下へ、
大平氏の蓮池城下を担当していた部隊を長宗我部氏の岡豊城下へ移動。
強権的に検地をしながら、整地し、牛馬を投入して開墾する。
春までにできるだけの農地整備と新しい米づくりの指導を行う。
田植えが過ぎれば河川整備にシフト。河川の水量が多い時期は
堤の補修や街道整備を行っていく。
飯を食わせて体を鍛え、集団行動をたたきこんでいく。
少し意味が違うが”富国強兵”の旗印を作った。
自分達がやっていることが、豊かな土地を作り、
自分達自身を強くしていると意識してもらうためだ。
一条家の幡多郡、津野氏、大平氏の高岡郡
吉良氏の吾川郡、本山氏、長宗我部氏の土佐郡、長岡郡には
城と呼ばれるものが200以上あった。
生活に不便で戦のためだけのものがほとんどの山城だ。
これらの多くは破却する。比較的大きな城のみ残すが、
備蓄倉庫程度にしか使うことはないだろう。
野盗の根城にならぬように燃やしてしまうものもある。
迫撃砲や火槍で破壊された朝倉城は再建中。
岡豊城も手を加えている。前世で高知城があった場所には
それらしい城がないのだが、河川が整備されていないので
高知城をつくるのは保留中。そのかわりとして
浦戸湾にある浦戸城を土佐の中心となるべく作り直すことにした。
津野氏5000貫、大平氏4000貫、吉良氏5000貫、
本山氏5000貫、長宗我部3000貫、あわせて2万2000貫
土佐一条は1万6000貫
土佐は小さな国なのです。
面白いと思った方、
ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。




