68 房冬家督相続
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(1534 1月 11歳)
昨年末に正式に祖父房家が父房冬に家督を譲り隠居した。
隠居したとはいえ、実質は房家が切り盛りをしている。
父は当主として挨拶を受けるなど外交を担当している。
新年の挨拶には多くの国人衆が中村に集まってきた。
中村城を開放したおかげでまとめて客人を収容できている。
家臣のうち、為松は津野の姫野々城、敷地は本山の朝倉城に移っているが
年賀には中村にやってきた。
津野、大平、吉良、本山、長宗我部もそれぞれ当主が来た。
幡多郡、高岡郡、吾川郡はほぼ完全に掌握。
昨年までに下った彼らを頼りにして、
いくつかの国人衆も臣従を希望して彼らについてきた。
中村城での歓待でその気持ちは強くなっただろう。
長宗我部と本山が続けざまに敗れた衝撃は大きかった。
本山が土佐中央に進出し、朝倉城をつくったことで
長宗我部と吉良を飲み込み、ゆくゆくは土佐をまとめるのではないかと
考えていた国人も多かった。それが短期間で城を落とされ飲み込まれた。
抵抗するのではなく皆が年賀の挨拶に中村に集まったのだ。
今回来なかった国人達もこの先どうなるのか一条の動きを気にしているだろう。
これで土佐国内で残る有力な国人は山田氏、香宗我部氏、安芸氏くらいになった。
急いで平定するつもりはない。
まずはこの春に広くなった領地に新しい米づくりを根付かせることと、
増えた足軽衆の再訓練で手一杯だからだ。
長宗我部と本山の連戦を見学していた家臣達は
自分達が抱えている兵の再教育を願ってきた。
これまでの常識外の戦い方についていかなければならないと感じたのだ。
投石ひとつとっても多くの訓練が必要なのだ。
モノを投げるという動作は簡単なことではない。
不恰好なキャッチボールを見たことはないだろうか、
プロ野球の始球式などでホームベースまで届かないシーンもそうだ。
遠くに速く正確に投げることは簡単なようで難しい。
本山の朝倉城、長宗我部の岡豊城の近くにそれぞれ足軽長屋を作り
中村にあるような軍事合宿所を作った。
秋の農繁期が過ぎてから土佐東部へ侵攻するように準備を整える予定だ。
まだ完全に兵農分離ができているわけではないので
半年かけて兵の訓練した上で父房冬を総大将として圧力をかけていく。
土佐統一はすでにカウントダウンが始まっている。
忍者衆には伊予や阿波の情報収集に力を入れてもらっている。
重みが足りぬ私のかわりに祖父房家と父房冬には準備が整うまで
対外工作を頑張ってもらう。
正直、昨年は想定外に忙しく領地を広げ過ぎてしまった。
新婚なんだからもう少しゆっくりさせて欲しい。
父房冬が正式に家督を継いだのは祖父房家が亡くなった1539年
その2年後、44で亡くなり、房基は19で跡を継ぎました。
栄養状態、衛生状態、ストレス、どの面でも
史実とは違うので、両者ともに史実よりは長生きさせます。
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