66 長宗我部臣従
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(1533 冬 11歳)
長宗我部国親他数名が山を降りてきた。
「私の命と引き換えに皆を助けていただきたい。
長宗我部は一条様に臣従いたします」
『誰ぞ、火消しの合図をさせよ』
「ありがとうございます」
『国親、以後は呼び捨てにするぞ。何故家中がまとまらなかった?』
「ここまで力の差があるとは思わなかったのでございます。
大平は一条の軍は早いと、津野は強いと言っていた。
数年でここまで変わるとは信じられなかった。
自分たちは強い、簡単には負けぬ、力を示して
それでも勝てそうになければ下ればよい、そう考えていました」
『個々の力の差はないと思うぞ』
「・・・・であるならばなおのこと、
臣下の末席に加えていただくしかありません。
私は人をまとめることも、民を治めることもできなかったのですから。」
『さて、臣従を認める。長宗我部には引き続き岡豊の城を守ってもらう。
ただし、土地は全て一条が預かる。長宗我部の家臣たちにはこれまでの
年貢に見合う俸禄を支給する。住まいは今のままでよい。どうだ?』
「これまで通りですか?」
『違う、全然違う。国親を含めて皆銭で雇われることになる。
傭兵とかわらぬ扱いだと思え』
「長岡郡の土地はどうなりますか?」
『農民は今までとほぼ同じだ。ただし、中村と同じ新しい米づくりを始めるから
検地をして、田畑を四角に整えていく。これまでの倍の収量になる予定だ。
米を売った銭を家臣たちには渡す。幡多郡も津野や大平の高岡郡もいっしょだ』
「私は今まで通り岡豊の城主ですか?」
『当面はそうだ。長岡郡がどうなるか見届けてもらう。
不満があれば一揆でも起こせばよい、受けて立ってやる。
以前話したが、戦場に出たければ足軽大将から始めてもよいぞ。
お前の家臣たちは私の足軽衆として訓練のやり直しだ。
まずは中村でまとめて鍛え直してやる。いやなら土佐から出ていってもいいし、
帰農してもよい、望み通りにさせてやる。』
「・・・・なにがどうなるのかわかりません」
『慣れてもらうしかないな、要は津野や大平、吉良と同じように
分け隔てはしないということだ。今よりは少しはマシになるだろう』
「信じておまかせするしかないですな」
『あ、その前にひとつだけお前に仕事がある。
今の話を本山茂宗にして、下るように説得してこい』
「私が行くのですか?」
『本山城まで行くのは面倒だ。命の危険もある。
部下となったお前が行ってこい。本山にとっても
説得力があるだろう。敷地と津野をつけてやる」
こうして本山の調略は3人に丸投げすることにした。
敷地は本山の長倉郡の主要部を治めることになるのだから
それなりの仕事をしてもらう必要があるし、
津野がいれば、本山と長宗我部が喧嘩をしても止めてくれるだろう。
四国を統一した長宗我部元親は1539年生まれ
長宗我部が本山の朝倉城を落としたのは
本山茂宗が亡くなった後の1563年でした。
時代の針は30年早く別の展開で進んだことになります。
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