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戦国クラス転生  作者: 月本 一
59/287

59 花火開発

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

(1533 秋 11歳)

3歳で覚醒し8年。やっと火薬の自家精製にこぎつけた。

肥料生産として糞尿の収集・集積を表向きな理由として

始めてから5年ほどでやっと硝石が作れるようになったのだ。

安定生産のための手法を確立させるために更に数年。

原料の一つである硫黄は大友との取引が中心。

硝石は日明貿易が盛んな大内と堺との取引で入手している。

硝石を購入しているのは自家生産を秘匿するためと

自家生産している硝石と比較するためだった。


火縄銃の製作は銃器の知識がないので着手していない。

なお、種子島はまだ伝来していない。

史実通りなら1543年のはずだ。


火薬そのものや、その調合方法、

ロケット花火のように槍先に爆発物をつけた形状の火槍、

炮烙玉といわれている手投げ弾などは既に伝来している。

そこで打ち上げ花火のように筒に火薬と花火玉を入れる方式の

迫撃砲の開発を行っている。

これらは既に中国では300年ほど前から使われているものだ。

火槍のような物は応仁の乱の頃は使われたことがあったらしい。

威力と効果が限定的で使われなくなったらしい。


寺社勧進(誘致)で宮大工だけでなく鋳物師も中村には来ている。

鐘を作る技術者に青銅製の筒を作らせて

まず花火の打ち上げを目指すことにした。

事故が怖いので筒は地中に埋めて耐久性を確かめつつ改良させた。

婚儀の夜に盛大な花火を打ち上げるために試射を繰り返させた。

試射は忍者衆たちの里で行っている。

甲賀忍者は元々薬にも詳しい集団で

火薬の調合を早い段階で習熟していった。

ゆくゆくは世界的な花火師集団になるかもしれない。

面白いと思った方、

ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん、さすがに短い
[一言] 南蛮式の鉄砲伝来は1543年ですが、それ以前に明国では火縄銃が存在し、東南アジアに広まっていた銃が1543年以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれたとする説が近年では有力になってい…
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