50 ●津野国高の旅
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(1532 春 ●津野国高視点)
従兄弟であった津野国泰がなくなり
血筋というだけで津野氏を継いだ。
偏諱を受けたことにし、津野国高と名乗るが
一年ほど前、一条の軍になすすべなく負けた。
中村に連れてこられたら、待っていたのは10歳にも満たぬ小僧だった。
一条房家は房基、いや房基様に負けたと言う。
当時は何を言われているのか何もわからなかった。
家臣たちは皆、一条家の足軽として召し抱えられ
長屋と呼ぶ家に住まわされた。食事も提供された。
農民も全て移されて中村や宿毛で働くことになった。
津野に残ったのは山の民と職人、商人のみで
一条から多くの民が移り住むのだという。
津野はもう無くなったのだと思い知らされた。
私に残されたのは身の回りの世話をしていた者と
中平元忠のみだった。
年が明けるとその中平元忠と一条の使者といっしょに
周防大内家に向かった。
周防には中村よりも大きな港と街があった。
6国を治めている大内義隆は九州攻めをしていて不在だった。
一条は土佐一国さえ治めていないのに対等の扱いを受けた。
そこから大内家の御用商人に丁重に扱われ京へと向かう。
同行する一条家の者に聞くと
「周防には多くの公家や僧侶が下向しています。
彼らとも手紙のやり取りをし、支援もしています。
彼らの情報網はとても広くて深い。
情報は大きな武器なのだそうです。」
京はとてもとても大きな街だった。そしてとてもとても荒廃していた。
津野よりも貧しい人が溢れ、多くの人が死んでいた。
あぁ、これを見せたかったのだな。
憧れていた京は暗く冷たい世界だった。
周防や堺は賑やかだが戦の匂いがすぐ側にあった。
津野が、土佐が恋しかった。
一条本家で京の案内や人の紹介など勧められたが、
早々に土佐に帰らせてもらうことにした。
中村下田の港に着いたのは春も過ぎた頃だった。
八幡宮に帰国のお礼参りをし、
中村御所に向かう道中、立派な堤の眼下には
整然と揃って生えている稲が青々と広がっていた。
「美しいのう。」
ともに馬を並べる中平に声をかける。
「誠に。」
「周防よりも京よりも美しい。海も川も山もなにもかもが美しい。」
涙が溢れる。馬を並べる中平を見やると同じように泣いていた。
しばらく佇んでいると堤の下から何人かの農民が近づいてきた。
『津野様、無事のお戻りおめでとうございます。』
「わしが誰か知っておるのか?」
『へい、私ども皆、津野で暮らしておりました。
八幡様で津野様をお見かけしたと聞いて駆けつけたのでございます。』
「そうか嬉しいのう。その方ら暮らし向きはどうじゃ?。
苦労してはいないか?」
『飯はたらふく食わせてもらっております。
新しい米の作り方も惜しげもなく教えてもらっております。
わしの村から来たものはこの冬誰も死にませなんだ。
一条様と津野様のおかげでございます。』
「わしのおかげとはどういうことじゃ?」
『津野様がわしらのことも同じ土佐人としてへだてなく
扱うよう願ったと聞いております。』
「・・・そうか、苦労をかけるが励めよ。早く仕事に戻れ。」
『ありがとうございます。皆にもお言葉を伝えまする。』
何度もお辞儀をしながら戻っていく民たちを見ながら、中平に声をかける。
「わしは民のことなど何も願ってはいないぞ。」
「・・・民の心を掴む術かと。」
「わしの名前を出さずともよかろう。・・・器が違うの。」
「殿も心を掴まれましたか?」
「もう殿と呼ぶな、これからは共に一条家に仕えるもの同士よ。」
そう言うと手綱を取り馬を前に進ませたのだった。
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