43 父房冬の帰還と弟の誕生
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(1531 秋 9歳)
京で2手に別れた父房冬が中村に帰ってきた。
私は堺から太平洋ルートで帰ってきたが、
父は叔父である一条房通とともに
瀬戸内ルートで周防の大内家に立ち寄り帰ってきた。
一条房通は祖父房家の次男で、長男である父房冬の11歳下。
まだ22歳の若さで、叔父というより年が離れた兄のようだ。
京一条本家の冬良の婿養子となり、9歳で元服し本家を継いでいた。
今回の旅はとても楽しかったらしく
道中のことをいろいろと話してくれた。
周防に下向している多くの公家とも交流してきた。
房冬も房通も文化人レベルがとても高い。
既に周防へ派遣している写本部隊に新たな指示を出して
写本の終わった書物とともに戻ってきたのだった。
大内義隆は九州に出兵していたようだが、
相続時の祝いに米や馬など軍事物資を送ったおかげで
最上級の待遇を受けたらしい。
房通は実の父親である祖父房家に本家の窮状を伝え、
戦火で傷んだ屋敷の補修など経済的な支援を願っていた。
一方、父が帰還するのを待っていたかのように弟が産まれた。
梅の方が弟晴持とともに周防大内に戻った後で
家臣の敷地藤安の娘を側室にしていた。
母といっしょに顔を見にいくのが毎日の楽しみになっている。
保健衛生の講義をする上で、妊娠しやすい時期や
妊娠中や出産後の注意点の指南書を作っていた。
最初は父に、その後は重臣たち、そこからその家臣たちに
まるで秘伝書のように伝えられていた。
跡継ぎ問題や乳幼児死亡率の高さから子育てのノウハウは
思っていた以上に最重要課題だったようだ。
今では中村の郊外にある石見寺にお堂が作られ、
子宝と安産祈願のお参りとお礼参りでにぎわっていた。
ご祈祷のかわりに行なわれている妊活講座は立ち見がでるほどらしい。
そんなわけで中村の街はベビーラッシュが訪れはじめていた。
まだ生産数の少ない石鹸は衛生のために乳幼児や
共同炊事場優先の統制商品としている。
洗濯板も地味に大量生産されている。
川辺の洗濯場には小屋が立てられ、足踏み式脱穀機から派生改造した
手回し式脱水機が設置されている。
女性の労働が楽になればそれだけ、石鹸や団扇など
内職可能な加工品の生産数が増やせる。
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