40 土佐幡多郡の発展
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
(1531 春 8歳)
土佐国内を猿楽や神楽の一座と周遊し、
海路で堺に渡り、京に上洛し、再び海路で帰ってきた。
数か月ぶりの土佐中村だ。
外港である中村下田港に船で着いた。
港にはいくつもの船があり、蔵の数も増えていた。
中村に向かう四万十川沿いも堤が高く長く伸びていた。
田にはきれいに揃った稲が青々と広がっていた。
中村に戻ると久々にあう安並が嬉しそうに
留守中のあれこれを教えてくれた。
京へ行く途上で土佐国内を巡業したおりに
清酒や椎茸、塩を手土産として配っていたことで
各豪族の御用商人たちからの引き合いが多くなり、
清酒や塩の取引が増えているそうだ。
余剰の米や大豆、荏胡麻などを買いつけて清酒や塩などを売っている。
買った米は清酒に、大豆や荏胡麻からは油を絞り石鹸に加工、
絞りカスは飼料や肥料に流用している。
油や塩は座(同業者組合)がうるさいので堺や京では商売しにくいが、
加工した石鹸や味噌ならば取引しやすいし、利幅も大きい。
塩は土佐国内のみで売り、味噌や醤油の生産にまわす。
大豆の生産も増やしたいところだが、
肥えた土地が必要なので、肥料の開発が重要となる。
各港で獲れ過ぎている小魚類を肥料化する運用や
人糞を効率的に回収し集積しての肥料化する仕組みづくりが
やっと形になってきたので今後期待できそうだ。
土佐国内での取引は儲けは少ないが
他の豪族に一条家へ依存する度合を大きくしていくことに意味がある。
うまい酒や味噌が欲しければ一条家に頼るしかない状況をつくりあげる。
それに余剰米を出してしまうと長期の戦が起こしにくくなることに期待。
中村下田、土佐清水、宿毛、それぞれで新しい方式での塩田を
順調に増やしているそうだ。
遠浅の砂浜は順次新しい方式の塩田に変わっているらしい。
足軽衆は400を超える規模になりつつある。
小荷駄衆や馬廻衆を加えた800を超える兵が
各地で堤防を作ったり、正条植えしやすいように
田畑を四角く整備し直したり、
水利の便で稲作に向かない土地を開墾して
綿花、大麦、小麦、大豆、菜種、荏胡麻などの
商品作物が生産できる土地を広げる作業をしている。
土佐に避難してくる人は増える一方なので
まずは働ける場所をつくることに力をさいている。
中村、土佐清水、宿毛のエリアは幡多郡と呼ばれている。
隣接する津野氏や大平氏がいるエリアは高岡郡。
その隣の吉良氏のエリアは吾川郡。その東、本山氏、長宗我部氏のエリアは長岡郡
その東、山田氏や香宗我部氏のエリアは香美郡
その東、安芸氏のエリアは安芸郡
それぞれ3000貫から5000貫を支配しているという。
小さな国人が狭いところで争う典型的な土地なのだ。
幡多郡は16000貫目であったが、今では倍以上換算となりつつあり、
貿易による利益を考慮すれば経済格差が更に広がりつつあった。
映画「レジェンド&バタフライ」観てきました。
1年かけて大河ドラマでやる内容を映画1本にするのは無理筋。
しかもラブロマンス。
織田信長を描くのは本当に難しいことだと再認識。
面白いと思った方、
ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。




