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戦国クラス転生  作者: 月本 一
33/285

33 爵位授与と土佐漫遊

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

(1530 秋 8歳)

京からの使者が訪れたとの知らせがあり、

祖父房家から呼び出しがあった。


「この度、おぬしに従五位下が与えられ、房冬(父)は正三位に叙せられた。」


『ありがとうございます。』


「その方の申し出で不破八幡宮の門前に作った猿楽の舞台で祝い興行を

 行う予定だ。その後、上洛させるつもりである。準備を整えるがよい。」


『上洛でございますか?』


「帝に拝謁する機会が取れるかどうかわからぬが、初めて官位をいただいて

 顔を出さぬままというわけにもいくまい。房冬と玉姫(母)といっしょに上洛せよ。」


『わかりました。』


官位についてだが、地方在住であっても母は伏見宮邦高親王の娘、

祖父房家は従二位、最初に従五位下は家格ゆえのことなのだろう。


「京へ戻りたいと申す者たちと共に上洛せよ。僧侶や猿楽に関わる者の一部が

 一度戻りたいと申しておる。芸事の本家を継ぐ者や、再び一族を

 引き連れて下向したがる者がいるようだ。」


『土佐国内で猿楽や神楽の興行をしながら上洛してはいかがでしょう?』


「・・・少し長い旅路になるが、それもありだろうな。

 芸事を披露する機会は多いほうがよいだろう。

 この秋冬に戦をする機会をくじくことができるかもしれん。

 評定にかけてみよう。」


こうして京への上洛と、道中で猿楽や神楽を興行することとなった。


(のちに能に昇華されていく)猿楽に関わっている者も中村に

多くが避難してきていた。一族まるごと避難しているのではなく

万が一を考慮して、分散して芸をつなごうとしている形だ。

踊りや楽器をあつかうものなどいろいろな流派が入り乱れていた。

芸事を披露する(能)舞台を不破八幡宮の側に建てさせていた。

神楽や猿楽の練習や、収穫後の秋祭りでの披露公演に使っていた。

娯楽に飢えていた民はとても楽しみにしていたし、

色街の芸妓たちの芸の下地になっていた。


巡業興行だが、土佐国内の有力豪族およびその守護神社や寺で

奉納舞を披露して移動して行く。

一条家の権威づけを意識させることもあるが、

豪族たちにとっても、家臣や神社仏閣に自分たちは

有力であると、いい顔ができるし、費用や人員のほとんどを

一条家持ちで民や武士の慰撫もできる。

巡業の移動している間は戦などの小競り合いも暗黙のうちに

自粛するだろう。

一条家としても一方的な持ち出しにはならない。

清酒の生産も5年目に入り、昨年くらいから土佐内で流通させてきた。

各豪族の御用商人と結びつきも強くなりつつある。

一部では他領で余剰した米を仕入れて清酒にする流れもできつつある。


結局、長期間の旅程になるが、私は代表としてついていくことに

してもらった。一座の護衛として野盗や山賊対策の兵といっしょだ。

豪族を刺激しない程度に最小限の編成とした。

父母を含めて、巡業に関わらない人々は最後の巡業地を出る前に合流

するので1カ月以上先の出発となった。


新式農法が導入され、大きく収量が増え始めた3年前から

秋祭りが大きく行われるようになった。

今年の目玉は不破八幡宮前に作られた舞台での興行だ。


避難してきたいろいろな流派が合同で一座を組んで

練習を重ねてきた披露の場だ。

仮に「中村座」と称して、これから土佐国内を巡業する最初の公演。

「中村座」は猿楽を中心とした一座。

神楽組はあくまでも寺社での奉納舞で土佐国内の巡業だけとなる。


皆が皆、舞台を観ることはできないので

中村御所から笛や太鼓とともに練り歩きながら不破八幡宮まで移動する。

行列を見るだけでも秋祭りの気分は盛り上がるだろう。


舞台の披露もあって今年の秋祭りは大盛況だった。

祭りが終わったら、四万十川下流にある下田港から須崎港まで船旅。


お隣の津野氏とは戦をしている間柄なので

本領の内陸まで行けず、外港である須崎港での興行にとどまることに。


次の大平氏は古くからの交流もあって、本領での興行。

そこからは陸路で本山氏、吉良氏、長宗我部氏、香宗我部氏、山田氏、安芸氏

いわゆる土佐七雄それぞれの本領での興行が続いた。

どこも同程度の規模で、石高でいえば土佐一条の1/3〜1/4ほど。

前世で四国を統一した長宗我部氏は今はまだ最も弱小な勢力だ。

これは曾祖父一条教房の時代に土佐国の守護大名でもあった

細川政元が暗殺され、細川家の土佐への影響力がなくなり、

本山氏、山田氏、吉良氏、大平氏など周辺の国人が長宗我部氏を

攻めて滅亡寸前まで追い込んだかららしい。

まだ幼かった今の当主長宗我部国親が中村に避難し、

曾祖父が仲立ちして和睦した経緯があるらしい。


津野氏の東にある大平氏と一条家は縁が深く、

曾祖父が中村に下向する際に大平氏の船を使い京から土佐へ来た。

その際にとても世話になったという。


巡業は先遣隊が城下の寺や神社の境内かその周辺に舞台を整え、

小荷駄衆が後からそれぞれの場所に、祝い品(清酒、椎茸、塩の3点セット)や

一座の食料などを運ぶ。

荷物の警護のために少数の馬廻衆もついているが、警備よりも

街道や港、城などを体感し、情報収集をしてもらっている。

いつか土佐を統一するその日の為に。


安芸氏での興行を終え、甲浦港で上洛する父母を含めた後発組と合流して

堺へ向かう。結局、2カ月近い土佐漫遊の旅になった。

面白いと思った方、ブックマーク、ポイントをお願いします


土佐漫遊も長々と書いていましたが、ボツ。

土佐七雄を知らない方には土佐内の小さな勢力を

細々と書くよりは先の展開がより望まれるかな、と。

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― 新着の感想 ―
[一言] 爵位授与というより官位授与(官職が示されていないので位階授与?)の方が日本らしいような。 一条家という摂関家としてみれば8歳でこの官位はそうおかしなことでないけれど主人公の場合、分家で武家…
[良い点] いつ、激突するかと、心配してた長曾我部は、この時未だ国親が幼い状態で長曾我部元親が暴れまわる時期では無かったのを知って安心して読めます。 [気になる点] 幼い子供が色街の差配までしたら、も…
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