287 関東仕置
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(1578 一条房基(56))
北条氏政が亡くなり、北条家は2つに分裂した。北関東を任されていた氏政の弟氏照と氏邦が手を組んで、氏政の嫡子氏直に対抗した。北条氏の直臣の多くは氏直に付いた。今川義元は相甲駿三国同盟を名分として、氏直の元に支援の兵5千を送り、小田原城を守護する位置に兵を配置した。氏政は今川義元の甥であり、氏政の室は武田信繁の娘だった。
北条家の混乱で関東では検地や刀狩りに不満を持った国人衆が各地で一揆を起こした。幕府は一揆鎮圧の大義名分を掲げて、幕府軍を関東に送ることになった。今川軍2万、武田軍5千、松平軍5千、織田軍2万を中心に、5万を超える兵が関東に進軍した。今川義元は京に戻り、今川軍は今川氏真が指揮を執った。幕府軍の総大将は松平元康。これは関東平定後に松平家を三河から武蔵に加増転封させるための一手であった。
朽木元網からの情報提供で織田陣営で硝石が大量に生産されるようになって数年が経っていた(246話)。幕府軍には鉄砲だけでなく国産の大砲が配備され始めていた。幕末の討幕軍の軍備に近い軍隊は、破竹の勢いで関東制圧を進めることになった。勢いに乗り遅れまいと戦う場が無くなった家臣団がこぞって兵を集めたことで、第一陣に続いて更に3万を超える兵が追加で投入された。北条平定後には上野から北信濃に軍を分けて長尾家を叩いた。長尾家は北条氏政が亡くなる直前まで北条家と川中島で争っており、氏政亡き後、北信濃に侵攻していた事を理由に叩かれることになった。
幕府軍の進撃は止まらず、京では戦後処理に追われていた。九州征伐の準備に取り掛かっているため、関東の状況は今川義元から詳しい話を聞いていた。
『結局、今川家は三河を得ただけですか?』
「松平家が武蔵に加増転封して空いた三河を得た形だな。北信濃は武田家の領地になる。甲斐の金山は幕府直轄になったが、民と領地が増えるほうが将来性は高いだろう」
今川義元にしてみれば今川の支援がなければ干上がる武田家は支配下にあるといっていい。関東探題は北条家のままだが、北条家も相模と伊豆だけになって今川の後ろ盾を必要としていた。
『松平元康は徳川家康を名乗ると聞きました』
「伸びしろの無い三河から離れた機会に、私の偏諱の元の字も外したかったのだろう」
『越後は前田利益、上野は滝川一益、下野は佐久間盛政、常陸は佐々成政ですか』
「これから東北へ侵攻するために戦バカを揃えた布陣だな。中央での政府運営を苦手としていたから、前線で一国一城の大大名に成れたほうが嬉しいだろう』
『安房・上総は里見氏、下総は千葉氏、どちらも北条氏の血縁者でしたね』
「家康もやり難いだろうが、東北征伐は織田陣営に任せて、まずは江戸の開発が最優先だろう」
『名古屋周辺の河川付け替えは山を越えましたから、利根川の付け替えに土木者集団を送れるようになるでしょう』
「そちらの九州征伐の準備は順調か?」
『総大将は柴田殿です。幕府軍の中心は毛利軍と大内軍。一条は海軍での兵站を担うだけですから、前線に出させてもらえそうもありません』
「幕府とすれば一条軍に活躍されたくないのだろう。それより九州の状況はどんな具合だ?」
『島津が早い段階で種子島銃を量産したせいで、大友氏が何度か大敗しました。そのため龍造寺氏が勢力を拡大して、九州は三国鼎立というか三すくみですね。織田幕府成立で島津と大友は惣無事令を守って休戦状態ですが、龍造寺氏はお構いなしに戦を続けています。今回の九州征伐では龍造氏を討伐して、幕府譜代の大名を九州に配することになるでしょう』
「勝家殿か。前田利家殿も加わると聞いている。前田家は前田利益殿が継いだから、利家殿も九州に配されるかもしれないな。加賀百万石とは異なることになりそうだ」
『百万石級の大大名が増えそうです。九州征伐が終わる頃には東北も落ち着いてくれると良いのですが』
「検地と刀狩りを急ぎ過ぎたせいで、全国で一揆が頻発しているからな。まだまだ争いが続きそうだ」
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