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戦国クラス転生  作者: 月本 一
286/298

285 探題職と北条氏政の死

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は01/25(日)

(1577 一条房基(55))

 織田幕府の成立に伴い、大友義鎮の九州探題、伊達冬宗(輝宗)の奥州探題、最上義光の羽州探題は再任命されることとなった。四国探題として一条房平、中国探題として毛利輝元、関東探題として北条氏政が新しく任命された。探題職を辞退することは新しい幕府に帰属することを拒否することを意味しているため、それぞれが受け入れた。関東探題が新設されたことにより、関東管領は無くなり、古河公方の権威も無くなった。


 一条房平、毛利輝元、大友義鎮は将軍就任の儀礼に間に合うように上洛したが、伊達冬宗(輝宗)、最上義光、北条氏政は遅れての上洛となった。これは数百から数千の兵が同行するため仕方ないことであった。最上義光は海路で敦賀に上陸して上洛。伊達冬宗(輝宗)も海路で熱田に上陸して上洛。帰路は名古屋の開発を見学して帰っていった。共に一条家船籍の複数の唐船で500名の兵を運んだ。


 北条氏政は約一万名の兵を伴って陸路を勇壮に移動した。通過するのは今川氏の遠江、駿河、松平氏の三河、織田氏の尾張、美濃、近江など、全て転生者同士の領地であり、関東10ヶ国の内8カ国(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・下野・伊豆)を支配下に置いている北条氏としては、数百の兵の移動では威勢を示せないとの虚勢があったのだろう。


 関東の残り2カ国は同盟国の甲斐と長尾氏と争っている上野であった。安房の里見氏は本家を暗殺し、氏政の弟が分家の養子に入って継いでいた(250話)。上総の千葉氏は氏政の叔母が嫁ぎ、その息子には氏政の娘が嫁いでいた。古河公方の足利氏も同様に氏政の叔母が嫁ぎ、その息子には氏政の娘が嫁いでいた。常陸の佐竹氏も暗殺され(250話)、家督争いで弱体化していたところに攻め寄せて族滅させていた。下野の宇都宮氏は皆川氏に滅ぼされ、その皆川氏を滅ぼしていた。下野の那須氏は従属させていた。拡大を続けていた北条氏も現在は惣無事令に従って、各地の戦線は停戦状態を維持していたが、武家諸法度には異議を唱え、築城許可申請を出すことで最前線では積極的に築城を行っていた。


 上洛してきた各探題やその他の守護大名とは個別に会う機会があった。幕府側の御目付役も同席であったが、一条便による長年の情勢連絡には皆が感謝の意を伝えてくれた。皆がそれぞれ国元に帰った後、今川義元が急ぎ面会に訪れた。


「北条氏政殿が暗殺されたとの急報が届いた」

 息子の一条房平に引き継いでいるので直属の諜報網は縮小されていた。今では関東の情報はほとんど目にすることがなかった。


『誰の仕業だ?』


「急ぎの一報が届いたばかりだ。房基公が何か知っていないかと思って訪ねてきたのだ」


『すまないが、私も初めて聞いた。どこで殺されたのだ?』


「江戸に戻ってかららしい」

 北条氏政は家督相続後、江戸の開発を始めていた。江戸城は大坂城を超える巨大な城郭で、10年近く経っても未だに完成していなかった。


『どういった状況なのだ?』


「屋敷から(さら)われ、死体が兄弟の屋敷に投げ込まれたらしい。江戸の街も各地で放火され大火になったらしい。内部から手引きされたらしいが、犯人が判らず家中は一触即発の状況らしい」


『こちらも情報収集してみるが、風魔党の縄張りだからうかつに動けない。何か分かれば連絡しよう』

 甲相駿三国同盟は続いている。義元の息子氏真は氏政の妹を妻に迎えていた(早川殿)。今回の件では義元殿からの情報が一番早くて正確だろう。


「私は駿府に戻ろうと思う。氏政殿の嫡男である氏直殿はまだ15歳かそこらだ。氏政殿には6人の弟がいるが、家督相続以前に北条家が内部分裂する可能性があるうえに、国人衆が各地で反乱を起こせば、収拾がつかなくなりかねない。そうなれば幕府軍の関東侵攻もありうるからな」

 

 その後、義元殿は幕府に報告して帰国の準備に取り掛かる。立場上、数百の兵を伴うためすぐに出立するわけにはいかない中、次々と続報が届いた。


 情報源は氏政の弟氏規からで信憑性は高いようであった。氏政の子供達の多くは小田原城におり無事。氏政の弟は6人いるが、江戸にいたのは3人。協議の上で病死として扱い、小田原で葬儀を行うことが決まった。以降は情報統制と保身のために連絡できないとのことであった。北条氏規は駿府での人質生活が長く、今川義元が丁重にもてなしていたおかげで、情報が届けられたようであった。


 葬儀には名代を送り、江戸での情報収集を行った。寺社からの聞き取りで概要が判明。主謀者は里見氏と佐竹氏の遺児、遺臣達であった。主君の仇討ちが目的で、氏政の遺体の一部を主君の菩提寺に捧げ、自刃したという。長期間の上洛中に計画を進め、大軍が帰還した直後の緩みを突いた。逃亡中に多くの犯人は追手に殺されたが、それぞれの菩提寺に残された血判状には合わせて47人の名前が記されていたという。

 大大名の暗殺には無理があると承知していますが、北条氏政が暗殺されることは領地拡大のために風魔党により里見氏を暗殺させることにした時点で決めていました。八犬士では人手が足りないので佐竹氏の手勢を加えての47人。


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― 新着の感想 ―
北条が割れるかな?「お家騒動(内乱)だから惣無事令には抵触しない」とか言い張ってね。 更には「お家騒動につき他家からの援軍は無用。惣無事令に触れますぞ」とも言いそうで。
てっきり次は年齢的に松永久秀かと思ってましたが、まさかの氏政退場に驚きました。15歳の氏直が当主を継ぐと、氏照、氏邦、氏規といった叔父たちを統制できずに、御家騒動による関東内乱が勃発する可能性が高そう…
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