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戦国クラス転生  作者: 月本 一
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212 永禄通宝

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は09/08(日)

(1558 一条房基(36))

 先帝の崩御と新帝の即位で延期していた息子房平(19)への家督相続の儀を行った。続いて山科言継の娘との婚礼も行った。元々、延期していたのは京から帰国して準備していた婚礼の方だった。房平は出仕後に京から戻った際に、朝廷勤めよりも土佐での生活を既に選んでいた。20歳で家督を譲る約束(186話)ではあったが、京での大仕事を終えたこの機会に広くお披露目することにした。


 家督を譲るというよりも、社長の仕事を任せて、会長になったようなものだ。房平には政務の中心になりつつある伊予へ移らせた。湯築城周辺は温泉郡という地名だったが、政務の庁舎や武家屋敷群を整備したエリアを愛比売を由来として愛媛と名付けさせた。自らの拠点となる街を愛してくれるだろう。御所のある土佐中村は地理的に拡張の余地がない。今は芸能と音楽の都になりつつあった。高知は高智大学校を中心とした学問の中心地であり、刀や鉄砲など鍛冶の街でもある。宿毛は海外貿易の窓口として商業の街と、それぞれ大きく発展している。


 家督相続の儀式を終え、息子と連名で各地に文を送った後、上洛することになった。複数の南蛮(キャラック)船を連ね、500人の兵と共に堺へ上陸。京の北にある京一条本家の屋敷へ入る。家臣達には最低でも2000人規模を提案されたが、通過する摂津の三好家や山城の細川家を刺激しないように、規模を縮小させた。上洛軍の規模が大きくなれば、それだけコストがかかる。事前の根回しや付け届けにも費用が嵩む。元が庶民だから無駄な出費はつい惜しんでしまう。移動は複数の影武者を立たせ、一兵卒に変装して徒歩で行ったので、鈍っていた体をよい具合に絞ることができた。一条砦から部隊を複数に分けて京の屋敷に入る。面談を希望する多くの家の遣いが列を成していたが、本来の目的である帝への拝謁が最優先であった。


 18年前に従三位になり、5年前の折紙騒動(190話)の時に正三位になり、昨年、従二位に昇叙した。京は6年ぶり(188話)、宮中へは18年ぶり(110話)。宮中に昇ることもなく従三位から従二位になっているのは異常ではあった。多額の寄進はするが、自ら官位を望まず、朝廷から距離を取ってきたゆえにこんな状態になった。先帝(後奈良天皇)が高潔な性格であったことも一因ではある。こちらとしては嫌われていても気にするつもりはなかったが、新帝(正親町天皇)は直接会うことを待望していたようだった。先々帝(後柏原天皇)の即位式は21年、先帝の即位式は10年、それぞれ即位後から時間が経ってから行われた。それが大喪も即位も迅速に行われたのだ。土佐で行われた息子房平の婚礼に祝いの言葉を山科言継が届けてくれた時も、早い上洛の要望を伝えてきていた。


 謁見は御剣を下賜され、滞りなく終わった。その後、別室で四摂家の面々が顔を揃えて話をすることになった。京一条家は13代当主内基がまだ10歳と幼いため、11代の房通が座していた。4年前に関白だった12代一条兼冬が急逝したため、老体に鞭打って務めに戻っていた。今は4年前に急遽関白となった近衛前嗣(前久)が場を仕切っていた。


「今回の大喪の礼、即位の儀では力添えしていただき、感謝いたします」

近衛前嗣が深く頭を下げてくる。近衛前嗣としても自らが関白である時にスムーズに儀式が執り行われたことで面目躍如しており、父親の近衛稙家と共にそれぞれが儀式の前後に丁寧な感謝の文を送ってきていた。


『微力ながらお支えさせていただいただけでございます』


「微力などと謙遜されることはない。主上だけでなく、多くの公家が世話になっておる。その上、石見銀山の御料所の件にしても、その方が絵図を書いたことなど皆が知っているのだ」

この場で最長老である九条稙通が言う。九条家も貧窮していたが、源氏物語人形館(192話)の名誉顧問として招聘し、金銭的に援助することで取り込んでいた。


「それにしても相変わらず変わった褒賞を願ったものだ。私鋳銭に「永禄」の使用を望むとはな」

二条家の当主である二条晴良は九条稙通の義弟である。晴良の父は大寧寺の変で亡くなっており、土佐一条家には恩義がある。摂家全てが取り込み済みであった。


『これから鋳造の試作を始めますので、形になるのは来年以降になると考えております』


「四国のみで使うための私鋳銭とは言っても、銭が作り放題とは羨ましい限りですな」

一番若年である近衛前嗣が皮肉めいた笑い顔を隠すことなく言う。


『当分の間は1枚の銅貨を作るのには1文以上の経費がかかります。原料に混ぜる銅以外の鉱物は、ほとんどが国外から取り寄せることになります。溶かすための燃料も必要です。機密保持の警備も厳重にしなければなりません』

実際はもっと複雑であるが、分かりやすく大まかに説明する。 


「後ほど主上からも我らに御下問があるでしょう。損をしてまで何故作ろうとされるのか?」

顔を引き締めた近衛前嗣が聞いてくる。


『1つ目は造幣している間は「永禄」の使用料を朝廷に毎年継続して献上するためです。寄進ばかりでは主上も心苦しいでしょう。先帝も土佐に感謝こそすれ、距離を置かれたままでした。安定した収入の1つとしての名目が必要だと考えたのです。2つ目は国内の金銀どころか銅までも輸出して、明から銅貨を購入する現状を憂いているからです。3つ目はゆくゆくは日本で使う銭は日本で造るために、銅貨を造る技術を向上させておきたいのです。最後に、劣悪な鐚銭が多く流通することで撰銭(えりぜに)が行われ、商売の現場が混乱しており、これらを排除していこうと考えています』


「「「・・・・・・・・」」」

一同、続く言葉が出ずに押し黙ることになってしまう。


『上手く行くかどうかは分かりません。鋳造の目処が立ったら、朝廷からは監督官をお迎えしようと考えております。朝廷内にも監督部門として令外官である鋳銭司を復活させていただければと考えております。御料所となる石見銀山には監督官用の屋敷を既に用意させていただいていると聞いております。銭貨の鋳造所は伊予国に作ろうと考えておりますので、造幣の監督官の屋敷は伊予国の愛媛に建てることになるでしょう』


「・・・役職が増えることは喜ばしいことだ、それだけでもいくつかの公家の生活が安定することになる。成功することを願うとしよう。その方の正二位への昇叙も考えねばなるまい」

 九条稙通が口を開く。一同も同意して頷いている。足利義維は従三位であり、既に位階では超えているため、ここで官位を上げるつもりはなかったが、居並ぶ全員は従一位。ここら辺で打ち止めになるならば、早めになってしまっておけばよいだろうと黙っておいた。


 前回は長く京に滞在していたが、今回は少なくない数の兵を伴っていたので、幕臣達や三好家がうるさく言ってくる前に早々に土佐へ帰国した。

松山は江戸時代に当地の大名であった加藤嘉明が地名を改名しました。

国産が絶えて久しかった銅貨は1636年に寛永通宝が創鋳されました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] あ〜なるほどね。 自分達に肩を並べさせはしないよな、って事ですか。 「ふむ、お前はよくやった。常務や専務はないけど平の取締役にだったらしてやっても良いぞ。我ら…
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