199 ●土佐遣欧使節団
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
次回更新は06/09(日)
(1554 ●木下秀吉(17)視点)
京都大覚寺。ここには出家させられている義藤(足利義輝)がいる。御所様(一条房基)の忍者衆の手引きで境内に潜んで出会う機会を探っていた。他の僧侶と集団生活をしているので直接接触するために日が暮れてから侵入し、夜明け前に撤退を繰り返していた。ようやく人目につかない場所まで案内された義藤に会うことができたが、当然ながら義藤は相当警戒していた。
平伏しながら名乗る。
『木下藤吉郎秀吉と申します。ご提案があり参りました』
「秀吉・・・・、尾張からの使者か」
秀吉と聞いて尾張を連想する。間違いなく転生者だ。
『2人きりで少しお話しがしたい。案内してきた忍者衆には距離を取らせます』
そう言って人払いして距離を詰め、近づいて小声で話しかける。
『今は土佐の一条房基殿に仕えております』
「土佐か! 伊予と讃岐を押さえたと聞いている。転生者なのだな。秀吉は織田家に仕えたのではないのか?」
5年以上も隔絶されて、あまりにも外の世界を知らなさすぎる。
『縁あって御所様、いえ一条房基殿の庇護を受けております。歴史は大きく変化しております。現状、天下人に一番近いのは三好長慶殿でしょう』
「三好長慶か。奴のせいで俺は寺に押し込められることになった。奴もやはり転生者なのか」
『義藤殿以降に7人が転生を選んでいます。そのうちの一人が三好長慶殿です。他の6人についてはまた機会があればお話しします。今は時間がありません。御所様からの提案をお伝えしたい』
「確かに早く寝所に戻らなければならないな。聞かせてくれ」
『一条房基殿はヨーロッパに使節団を送る準備を進めています。参加する意志があればお力添えできます』
「ど、どういうことだ!」
『このまま寺で埋もれるか、誰かに担ぎだされて利用されるくらいなら、新しい場所で全く新しい人生を送ってみませんか?』
「そ、そんなことが可能なのか?」
『ただし、足利の名を捨てる覚悟が必要です。神隠しにあっていただきます。熟慮する時間が必要でしょう。数日はこの場所に忍者衆を送りますので、行くか行かないかお決めください。行くことになれば計画をお伝えいたします』
話はここまでとして急いで撤収した。こちらの提案を受け入れるに違いない。準備を早めることになりそうだ。
(●義藤(18)視点)
出家して6年、突然の豊臣秀吉の来訪。このまま母方の叔父義俊(近衛稙家の弟)のように僧侶として生きていくのだろうと諦めていた。後ろ盾もなく、足利の名も奪われた。視線を感じることがあったから、監視だけはついているのだろう。まさか一条家の忍者衆だとは考えてもいなかった。
一条房基の提案に乗ることにした。返事を伝えるとそこからは早かった。足利の血筋であることが証明できるいくつかの品以外は全て残し、ある夜、寺を脱出した。忍者衆の手引きで明るくなる頃には川を下り、大坂の港で秀吉と合流し、瀬戸内海を経由し、四国に渡った。道中、秀吉から現状を教えてもらう。世俗と切り離された生活が長かったため、京のことさえ何も知らなかった。一条房基の情報網は広く、深く、他の転生者の状況もよくわかった。
土佐遣欧使節団は大寧寺の変(1551)直後に周防にいた宣教師達を土佐で保護し、一部でキリスト教の布教を認めた頃から計画を進めていたという。幼い青少年に欧州を見聞・体験させてキリスト教の布教に役立たせる提案を宣教師たちが受け入れた。国王や教皇のために多くの贈答品を準備し、資金の提供、教会の建設など膨大な費用負担が決め手となったらしい。
秀吉とともに、伊予で一条房基と面会する。
『よく決心してくれた』
「こちらこそ救けていただきありがとうございます」
『義藤殿の失踪に一条家の関わりがない偽装工作のために回りくどいことになったが許して欲しい』
「秀吉から説明してもらっています。今、土佐の軍勢が周防攻めを行っている最中だと聞いています。このタイミングで一条家が動いたとは誰も思わないでしょう」
『使節団の出発は数ヶ月先だからそれまで語学習得に励んでくれ。後は形ばかりだが教会で洗礼を受けてもらうことになる』
「形ばかり?」
『転生者に神も仏もないだろうが、正使として一条家の名代として使節に加わってもらいたい。名も一条を名乗ることを許そう。例えば洗礼名がダビデなら一条ダビデになるだろう』
「新しい人生が始まるわけですね」
『こちらの主目的はヨーロッパの技術取得と種子や苗の入手だ。主席正使となる秀吉だけは一旦は帰国してもらうが、義藤殿が望むなら帰国せずにヨーロッパに残ってもよい』
「本当に自由を与えてくれるのですね。どうしてですか」
『自分一人で出来ることは限られる。これは先行投資だ。広い視野を持っている人物を派遣したかったのだ』
「・・・お力になれるように頑張ってこようと思います」
『許されるならば自分が行きたかったが、背負うものが多くなり過ぎた。気負わず、できれば楽しんで欲しい』
目標も目的も見失った自分に与えられたラストチャンスだ。掴み取ってみせる。
周防攻め前後で動いている話になります。ヨーロッパへの使節派遣は30年ほどの前倒しになりますが、1552年には洗礼を受けた日本人が渡欧し、1555年にはローマ教皇とも対面しています。
天正遣欧使節団(1582~1590)はキリシタン大名(大友宗麟・大村純忠・有馬晴信)らが派遣した少年使節団。
面白いと思った方、
ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。




