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戦国クラス転生  作者: 月本 一
183/295

182 ●秀吉の宣教師同行記

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は02/11(日)

(1551 ●木下秀吉視点)

 御所様(一条房基)からの指示で、キリスト教の伝来でやって来たフランシスコ・ザビエル一行に同行しての旅が始まった。これを機に元服し、秀吉を名乗ることにした。私の書いた同行記は将来は重要文化財になるであろう、と御所様にはとても羨ましがられた。誰と出会い、何を話し、どんな行動をしたのか記録するだけであるが、確かに歴史的な記録になるだろう。丁寧に書かねばならない。


 宣教師達は3人。フランシスコ・ザビエル、コスメ・デ・トーレス、フアン・フェルナンデス。3人の会話はポルトガル語ではなく、スペイン語のようだった。ポルトガル領であるインドのゴアからやって来ており、船員の多くはポルトガル語で話をしているようであった。マヌエルという中国人とは中国語の筆談でいろいろと教えてもらうことになった。他にはインド人もいたし、パウロとベルナルトと呼ばれる2人の日本人とは薩摩弁で会話していた。


 宣教師達との通訳はパウロがとても役にたってくれた。薩摩出身でマラッカでザビエルに出会い、インドのゴアで洗礼を受けたという。彼の話はとても面白かったし、キリスト教についてもとても詳しかった。


 1549年に薩摩にたどり着いたザビエル達は、1年ほど布教した後で土佐にやって来た。土佐で補給を受けた後、船団の一部はインドへ戻って行き、ザビエル達は周防山口に向かった。御所様からの紹介状を受けて大内義隆に謁見するが、当初の予定通り京に向かうことになった。


 1550年の年末には堺へ入る。ここで土佐と阿波の戦の話を聞くことになる。転生者である千利休からは、土佐が押し返したので心配することはないと説明を受ける。千利休は堺随一の豪商になっており、ザビエル達を歓待した。京では三好長慶が出迎えてくれた。転生者達にとってザビエルは、会えるものならば会ってみたい超有名人なので、気持ちはよくわかる。そのザビエルは人たらしな面があり、話がとても上手な男だった。カタコトではあるが日本語の会話もできる頭のよい男で、何より布教の熱意が強かった。短い滞在であったが、周防山口でも堺でも多くの信者を作っていた。だが千利休も三好長慶もザビエルの話を興味深く聞いてはいたが、キリスト教に心を開くことはなかった。クラス全体を戦国時代に転生させるような存在がいるならば、それはキリスト教のデウス(神)とは別次元の存在だと事実として知っていたからだろう。三好長慶は将軍足利義維への謁見を世話しようとしたが、幕臣達の反対を受けて実現しなかった。帝の拝謁となると官位がなければ論外だった。日本の王に会えないことがはっきりし、京での布教活動もままならないため、一行は京を離れることになった。


 1551年に土佐に預けてある献上品を取りに戻ると、ザビエルは京に戻るのではなく再び周防山口へ入る。荒れ果てた京に比べて山口の方が賑わいがあり、大内義隆には王者としての風格を感じたようだ。ザビエルはインド総督とゴアの司教の親書を大内義隆に渡し、山口での宣教の許可をもらう。多くの品を献上したことにより寺を1つ与えられ、この寺を住居兼教会として布教活動を始めた。


 山口には土佐商人の屋敷があり、明や朝鮮から輸入された書籍の写本作りが行われていた。ここでは下向していた公家達が写本作りで小遣い稼ぎをしていた。2年近い旅路の過程で積もり積もった記録を元に、ポルトガル語とスペイン語の辞書の編纂を周防山口で始めた。ポルトガル語は船長や船員達との日常会話が元になる。ポルトガル商船との貿易のために最優先で必要だ。スペイン語は宣教師達との会話が元になる。ゆくゆくはスペインとの貿易も想定されるためこちらも重要となる。聖書の写本も行っていたが、羊皮紙に書かれていたのはラテン語のようで、読み方もわからないまま書き写すだけの作業になった。


 2年前に船団の一部がインドへ戻ったのだが、その後何の連絡もなかった。土佐宿毛にポルトガル船が来着したとの知らせが入ったため、ザビエルは土佐へ戻ることにし、山口での布教はトーレス神父とフェルナンデス修道士に託した。サビエルとともに土佐に戻るが、来着したポルトガル船は商船で、インドからの情報は何も無かった。ザビエルはポルトガル商船とともにインドへ戻ることを決め、キリスト教に帰依した日本人数人を連れて日本を離れた。


 ザビエルが日本を離れた直後に、周防から大内義隆の家臣である陶隆房謀反の知らせが届いた(大寧寺の変)。

 トーレス神父とフェルナンデス修道士はスペイン人。ザビエルは北スペインにあったナバラ王国の地方貴族出身。パリ大学に進学しています。ポルトガル王の依頼でローマからポルトガル領のインドへ。スペイン語だけでなくフランス語、ポルトガル語を理解し、羊皮紙に書かれた聖書はラテン語表記。パウロ(ヤジロウ)とのやり取りで日本語の会話もできる語学堪能な人だったと思われます。


 最近の教科書ではザビエルではなくシャビエル表記されることもあるそうです。でもシャビエルはポルトガル読みだからスペイン語ならハビエル。本当の名前はフランシスコ・ジャッコア・アスピルクエタ・イ・エチェベリア。エチェベリアの綴り表記がザビエルの元になったようです。


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― 新着の感想 ―
[一言] Xmenのエグゼビア教授がザビエルの英語読みだと聞いたことがあるような
[良い点] 最近利休の出番少なくて悲しい すっかり現地にも男にも適応したようですね
[一言] 大寧寺の変がこの世界でも起こるのですね。 大内義隆のやる気も権威も史実より遥かに上回っているのに何故起こってしまったのか。
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