181 ●阿波和睦交渉
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次回更新は02/04(日)
(1551 ●三好長慶視点)
阿波細川持隆による土佐侵攻を止めることができなかった。知った時には既に準備が進んでおり、阿波細川氏の大義名分に反論できなかった。土佐一条の力を削いでおきたかったこともあった。
土佐への侵攻は朝廷が猛反発した。土佐一条は毎年夏になると鎮魂の花火を打ち上げていた。もう10年続けているという。夏の打ち上げ時に朝廷へ多額の寄進を行っている。年末には米・塩・紙・墨・ロウソク・砂糖などを贈っている。まるで御中元と御歳暮だ。昨年末の贈答時に阿波との戦が始まり、来年以降の贈呈は同じ規模で行えるかわからないと奏上したという。朝廷は大騒ぎになったという。京一条と土佐一条の寄進により困窮を極めていた朝廷は一服していたのだ。数年前からは新年の催事や歌会も行われるようになったという。朝廷だけでなく、公家の多くが一条家からの支援を受けている。土佐に下向している公家も多い。帝から将軍足利義維へ和睦を行うよう強い要請が下った。
四国から伝わってきた戦況は最悪だった。阿波三好家をまとめていた弟之相が捕虜となった知らせが届いたかと思えばすぐに総大将細川持隆の捕虜の知らせが届いた。どちらも京一条家から伝えられた。真偽を確かめているうちに讃岐が落ち、阿波への逆侵攻の知らせが届くようになっていた。
年が明けて、土佐一条家から大内晴持と敷地基海が代表としてやってきた。どちらも一条房基の実弟である。前交渉として最初に私の屋敷を訪ねてきた。和睦条件はシンプルだった。賠償金や捕虜の身代金はいらない。逆侵攻した土地の占有を認めろ、この2点だけだった。飲めるわけはない。讃岐だけでなく阿波半国を失うことになる。
将軍足利義維と管領細川氏綱へ伝える。阿波細川氏と三好氏の力を削いでおきたい2人は逆に好条件と受け取ったようだ。将軍としても自分の持領である平島まで侵攻されていないため危機感がなかった。恩着せがましい細川持隆に恩が売れると喜ぶほどであった。
結局、土佐一条の希望通りの和睦になってしまった。交渉が長引いていた間も阿波三好からは落城の知らせが次々と届いており、このままでは阿波三好の土地が無くなる勢いだった。阿波南部は将軍の持領である平島の手前で侵攻が止まっており、年が明けてからは阿波細川は領地を失っていなかった。
和睦交渉終了後、土佐一条とは個別に正式な不可侵条約を結ぶことになった。そこで信じられない提案を受ける。吉野川中流まで侵攻していた境界を下げて、ほとんどを阿波三好に返還するというのだ。その上で安宅船十数隻を土佐から購入することが決まる。阿波細川の兵を運んだのは弟である安宅冬康の淡路水軍だった。ほぼ壊滅した補填となる。新造船と同等の価格であったが製造期間を待たずに現物即納品は正直助かる取引であった。代金は阿波細川氏へ請求するつもりだ。極めつけが種子島製と堺製の火縄銃を1丁ずつの取引と堺の鉄砲商人橘屋への紹介状だ。堺筒はまだ製造され始めたばかりで高額な贈答品という認識がほとんどなのだが、阿波で手ひどくやられたことでこれからは戦の主力になっていくだろう。
何故そこまで譲歩するのか、と問えば。面子を保てるでしょう、と返された。阿波細川はできなかったが、三好長慶だったからここまで相手から引き出すことができた。その意義は確かに大きい。結局、一条房基の手の平の上で転がされただけのような気がした。とはいえ、大きく力を削がれたのだから早急に立て直さなければならないだろう。死者は阿波細川が多かった。多くが船とともに沈んだ水死だった。兵糧や武具防具、沈んだ船の補償などで阿波細川の借財は大きく膨らんでいるはずだ。一条と不可侵となったので四国では残っている阿波細川を喰らうしかない。阿波細川は将軍からも管領からも嫌われているのでなんとかなるだろう。
阿波三好と阿波細川は族滅しなければ統治できないとの判断から引きます。
白地城さえ手に入ればOK。南は日和佐港が手に入れば十分。
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