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戦国クラス転生  作者: 月本 一
178/294

177 ザビエルがやってきた

感想、誤字報告いつもありがとうございます。


3日連続更新を終え、日曜更新に戻ります。

次回更新は1/7(日)

(1549-1550)

 キリスト教が伝来したのは1549年。フラシスコ・ザビエルの名前は知っていても何月何日に上陸したかまでの記憶はなかった。薩摩の坊津には息のかかった商家に店を出させており、南蛮船の動向があればすぐに連絡をさせるように手配をしていた。畿内が落ち着き始めていたこともあり、各地の情報網を太くすることができていた。最近は特に対応に熟考する機会が増えていた。転生者である帰蝶の2度の結婚。長尾景虎(上杉謙信)の家督相続。美濃斎藤と尾張織田、尾張織田と駿河今川などの戦の状況は特に気になる事案だった。


 薩摩にポルトガル船が着いたとの一報が入ったのは昨年の夏だった。史実では各地で布教しながら京へ向かったはずなので、土佐に誘導するべく計画を推し進める。元々、琉球に領事館もどきの現地駐在員事務所を作っていた。ここに薩摩坊津、日向油津を経由して土佐宿毛へ至る精密な海図を備えておいたのだ。肥前平戸を南蛮貿易の窓口にするのではなく、土佐宿毛を窓口にする計画である。肥前平戸は遣隋使、遣唐使の時代から貿易の寄港地であった。明や朝鮮との貿易ならば立地の優位はあるが、南蛮貿易であれば肥前ではなく薩摩から土佐へルートを常態化することは可能だと考えたのだ。その為に海図を公開し、琉球や薩摩で頒布していたのだ。もちろん軍事利用されないように日本の内陸の正確な形はぼかして、港の位置のみ正確に記載させた地図であった。


 1年ほどで薩摩での布教活動を断念し、土佐宿毛にポルトガルのジャンク船が着いたのは今年の夏であった。既に出島を意識して土佐宿毛港の沖合にある大島を開発してあった。洋式に対応した屋敷を建てておいた。椅子、テーブル、ベッドのある宿泊施設だ。複数の船団でも受け入れられるように200名ほど収容可能な長屋群と、幹部クラスや商人、宣教師達向けの豪勢な迎賓施設を整えた。黄金の国ジパングを連想されるように装飾には金細工を多用させた。検疫をするつもりがあったので倉庫群も用意した。中には新鮮な果物、塩、水や酒などに使うための樽類、保存食として干し肉類などを納めておいた。常時多くの人が暮らす一つの町になっていた。島内で少しの野菜は作るようにしたが、ほとんどの食料は島外から運んでいた。天然酵母を使ったパンを焼く為の石窯もたくさん作っており、パンが日常的に食べられている街になっていた。


 宣教師たちは土佐での布教を強く望んだが丁重に断り、予定通り京へ向かうことを勧めた。船長や船員、商人達には水や食料の提供をとても感謝された。対価を払おうとする彼らに対して、こちらからいくつか提案を行った。1つ目はポルトガル語を学ぶために人を同行させてもらうこと。2つ目は同行者に聖書を含めた書物の写本を作ることを認めてもらうこと。3つ目は身軽になるためにも荷物の大半を倉庫に預けてもらうこと。日本の王=天皇に献上する為の最小限の品以外は残していってもらう。代わりに欧州でもまだ作られていない大型の鏡と粒が揃った真珠、金の屏風など嵩張らない美術品を担保として交換してもらう。残していく荷物もいつでも取りに戻ってきてもらっても構わない約定を交わす。あくまでも一時保管を請け負うだけの形だ。これらを飲んでもらえるならば水と食料は無償で提供するというポルトガル側には断然有利な提案だった。こちらとしてはこれで南蛮貿易のルートが長崎でなく土佐に確定するのならば安いものだった。


 土佐の出島である宿毛大島での対外交渉は異母弟である敷地基海が代表として対応した。当主である私が前面に出るのは反対されたためだ。それでも生でフランシスコ・ザビエルが見られるのは最後の機会かもしれないので、無理を言って外交団の末席に座らせてもらった。会話はポルトガル人→相手側に随行している中国人→中国語が分かるこちらの家臣という流れになるために遅々とした進みであったが、貴重な時間を過ごせた。実物のフランシスコ・ザビエルは教科書などで見た絵とは似ても似つかない男だった。私の側には木下藤吉郎(秀吉)を控えさせていた。中国語は教えてもらえる人員に不足していなかったので既にマスターしていた。語学の才能があるようなので宣教師に同行させるメンバーに入れることにしている。13歳にはとても見えない幼い少年が最も賢い中心人物だとは思われないだろう。木下藤吉郎に絵画の指導を受けている弟子が何人かいる。そのうちの一人も同行させる。宣教師達の姿形を後世に残すためのスケッチと、極東までたどり着いた優秀なジャンク船の構造をスケッチさせる。表向きの役目は聖書の写本作り。木下藤吉郎はその助手の扱い。2人の護衛として忍者衆から一人出して3人を宣教師達に同行させるつもりでいる。

史実で一行は平戸に献上品を残し、周防山口を経由し京へ。帰路は京から平戸に戻り、献上品を周防大内に届け、豊後大友で布教してインドに戻って行きました。


「パン」はポルトガル語由来。他にも「てんぷら」「コロッケ」「ビスケット」「サラダ」「タピオカ」「バッテラ」「金平糖」「じょうろ」「おんぶ(背中)」「シャボン」「ブランコ」「マント」「コップ」「かるた」「キリシタン」などがあります。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 新年おめでとうございます。 今年も更新をお待ちしております。 おんぶもポルトガル語由来とは存じませんでした。
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