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戦国クラス転生  作者: 月本 一
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176 足利将軍交代の余波

感想、誤字報告いつもありがとうございます。


次回更新は明日1/2(火)

(1548 25歳)

 細川晴元の死のニュースを伝えたのと同様に、各地に手紙を送って将軍交代の報を知らせた。長旅となる配達は2人以上の構成となる。旅費と手当を考えれば超高額な通信料だ。薩摩島津、大隅肝付、日向伊東、尾張織田、駿河今川、相模北条は海路を使う。今後も引き続き急ぎのニュースを伝えるために、関銭(通行料)と津料(港湾使用料)を無料とする通行手形を発行する合意を取り付けさせた。手形利用は1度限りでその都度次回利用の更新を許可してもらうこととした。これまで通り荷改めは受け入れる。早い伝達優先で交易はついでであっても、運送費の減免は大きな利益に結びつく。なお土佐の港は津料を取っていない。荷改めは厳しくしているが、関銭は半額以下としている。そのおかげで多くの商人が土佐の港を利用するようになっていた。伊予を支配下にしたことで明との交易は薩摩から土佐経由で豊後、周防が主流になり、九州の西海岸側の流通量はジワジワと減りつつあった。東への航路は北条の小田原までとし、房総半島から北への伸長は止めておいた。黒潮に逆らって戻ってくるには船も技術も未成熟だったからだ。


 足利義維の正室は大内義興の娘である。周防からは重臣が京へ祝いのために向かうだろう。豊後大友からは大友義鑑の次男である大友晴英が向かうことになるだろう。土佐からは伊予守大内晴持と伊予守護河野通宣が向かう。大友晴英と大内晴持はともに母親が大内義興の娘で新将軍の(義)甥なのだ。これら見込みを含めて伝えた上で、薩摩、大隅、日向からの使者も一条の船で京へ送る提案をした。呉越同舟となるとしても自前で用意するよりも格安なツアーに皆が乗ってきた。東では駿河今川と相模北条も一条の船に乗った。今川の代表は義元の義弟である武田信玄。北条の代表は北条宗哲(幻庵)。北条としては河越夜戦で古河公方に大勝しており、足利将軍家との外交に最強のカードを切ることにしたようだ。これらが決まってきた時点で毛利に伝え、毛利からは嫡男の隆元を上京させるよう勧めた。道中や京での安全を考慮すれば当主クラスは動きづらいが、名のある武将や次代を担う武将が京へ集まることになった。


 祝いの使者を迎える京は混乱しており、新将軍の基盤や影響力は整っていない。守護たちの宿泊先などは自分たちでなんとかするしかない。寺社に高い銭を払って泊まるのが通常だった。格安ツアーを提案した側であるから宿泊先の確保も仕事の内とした。ここで寺社でなく公家に投資した。公家の家格は摂関家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家と続くが、長い戦乱の混迷で羽林家より下の困窮は著しいものがあった。そこで武官の家柄である羽林家を中心にマッチングした。受け入れてもらう代わりに屋敷の修繕と逗留先としての離れの増設を行う。土佐一条と西園寺の京屋敷は大改造を行い大きな会所を建てた。逗留している武家を集めて和歌や蹴鞠、茶道の会を連日催した。公家に受け入れてもらったのは使者と供の数人だけで、護衛の武士たちは京の郊外にある一条の砦屋敷にまとめて収容して武芸交流させておいた。どうしても側に置きたければ自分たちで逗留先を探すように突き放せば受け入れるしかなかった。一条が負担する費用がかさむばかりで、内部での反対意見は多かったが押し通した。守護たちに恩を売るために行う訳ではなく、公家が持つ家業を守るための投資だった。例えば安倍晴明を祖とする土御門家の家業は陰陽道だ。公家の家業には書道・楽道・華道・儒道・歌道・紀伝道・神祇道・暦道・医道などがある。音楽関連では琵琶・笛・篳篥・箏・神楽・笙・和琴。他には膳羞・庖丁・装束なんてものまである。多くのものが途絶えつつあった。資料はまだしも、家が絶えることで技術が失われつつあったのだ。なお、家格最上位である摂関家の家業は”政治”だ。


 新将軍の義兄である大内義隆が大軍とともに上洛するかと思われたが、重臣を送るに留まった。豊後と伊予からは将軍の(義)甥が上京する。大内の権勢は更に強まると予想されることもあってか、豊後大友は次男大友晴英でなく長男の大友義鎮(宗麟)が家督相続することで家内をまとめようとしていた。次男では大内の影響力が強くなり過ぎるし、三男では次男を差し置いての相続に、大内から横槍が入りそうだったからだ(二階崩れ崩れ)。


 松永久秀は弟長頼がいる丹波にちょっかいをかけてきていた若狭武田氏を逆撃し、若狭の国盗りに動いていた。若狭守護武田信豊は近江守護六角定頼の娘を妻に迎えており、若狭が三好陣営になれば近江六角の力を削ぐことになり、越前朝倉は動きづらくなる。京の守りを高める一手になるのだ。京を守っている三好が直接手を出せばあからさま過ぎるため久秀が手を汚す。だが松永久秀の真意は京の外港である若狭小浜の港を盗ることにあった。堺は三好が押さえており手が出せない。若狭が盗れれば朝鮮や明、蝦夷との交易で稼ぐことができるからだ。若狭盗りの前の段階から交易用の船の融通を土佐に打診してきていた。

大内晴持が存命のため大友晴英は大内家に養子に行っていません。二階崩れがなければ大友義鑑は亡くならず、ドン・フランシスコ(大友宗麟)は誕生しない流れとなります。一条房基の実弟大内晴持が死ななかったことがいろいろと影響していきます。


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