174 讃岐開発
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次回更新は12/31(日)
前話の1549年から少し時が遡ります。
(1547~1548 25歳)
伊予守護の河野氏を降した後、大内晴持と河野通宣が上洛している間に、土佐の部隊と南伊予の部隊が競うように東進して、残っていた伊予の国人達を降伏させていった。畿内や大友にレンタルしていた兵達が戻ってきており、兵力差、練度、武装の質、全てが圧倒的だったし、それを支える兵糧や銭があった。兵達は伊予平定の勢いのまま讃岐にも侵攻していった。香川氏、詫間氏、大平氏、財田氏、香西氏、羽床氏など讃岐の国人達をどんどん呑み込んでいき、源平の戦で名高い屋島辺りまで平定してしまった。讃岐の2/3が傘下に入ったことになる。伊予や讃岐の国人達は降ったのは上辺だけで、勢いに逆らわず様子見をしているだけなのだろう。様子見している内に反抗する気も起こらない程に力の差を見せつけて心を折れば良いだけのことだ。東讃岐で残ったのは十河氏他、幾つかの国人衆だけになってしまった。十河氏まで手を出すと義父筋である阿波細川氏とぶつかることとなる為、そこまでで留めただけのことだった。大きくなり過ぎても統治できなければ意味がない。中讃地域まで兵を引いて讃岐開発にも手を付けることになった。伊予開発を優先している為、人手があまりに足りなくて、讃岐開発は少しゆっくりしたペースになる。まずは渇水対策に溜め池の造成・改修と、米でなく麦中心の作付けを先行して進めさせた。
伊予での農業指導を優先させたので、讃岐では農業改革よりも海賊衆の統制に力を入れた。大きな勢力である村上水軍には手を出さない。彼らが活躍しているのは交通量の多い本州側なので大内氏に丸投げだ。本州側は好きにさせることにして四国側沿岸を纏める。道後沖の忽那水軍と讃岐沖の塩飽水軍に大規模投資をした。関銭と津料、つまり通行料と港湾使用料が彼らの資金源だ。これらを大幅に下げさせて流通にかかる費用を減らした。利用する商人達への効果は絶大だった。海賊衆には食料の保障と安定した供給を約束し、綿や麻の生産を基盤として作り上げた漁網を提供し、漁業で生計が立てられる仕組みを作った。大量に獲れる小魚を農業の肥料として買い取りをした。新しい産業として魚を干したり、魚油を絞る加工施設も造成していった。争いなどの多い海賊としてでなく、漁師という生産者として、生きることができるようにしていくのだ。関銭や津料に頼らない生き方を示した。農地の殆ど無い島々で女性・子ども・老人が働く場所を得た。男衆は石工としての技術を習得させていった。築城の基本はこれまで主流の土塁ではなく石を積み上げることに変わっていく。河川工事でも道路整備でも石の需要は沢山ある。産業として確立させていくのだ。とは言え石垣の需要がすぐに急増する訳ではないから、石材の調査や切り出しの技術向上を進めていく。他には少雨で温暖な讃岐で大規模塩田を開発する。塩作りは重労働なので男衆向きの仕事だ。
この時代で統治していく上で避けられないのが寺社対応だ。これまで土佐や伊予で八十八霊場や神社を中心に支援してきたことで、大きな混乱なく進めることが出来ていた。善通寺(75番札所)近くの琴平には金比羅宮は無く琴平神社があった。頓証寺(81番札所白峯寺)と共に崇徳天皇に縁が深いこともあり、これらの寺社は特に手厚く対応させた。讃岐に流されて亡くなった天皇ではあるが、特に意識せず崇徳院だから敬意を示したのだ。崇徳院への丁重な対応に今上天皇はとても喜ばれたと後から聞かされた。真言宗の開祖である空海(弘法大師)の影響もあり、四国は真言宗が強い。本願寺(浄土真宗)や法華宗への対処をあまり考えなくて済むのは助かる。土佐では本願寺や法華宗は禁止したが、伊予や讃岐では特に周知させる事無く、他の寺社を強く支援することで排除していった。中には院主が逃げ出したり、門徒が集団で離れてしまったせいで改宗してしまった寺もあったという。
京から戻ってきた大内晴持と河野通宣は、何故か仲良くなっていた。土佐で家老職の見習いをしていた敷地基海(私・一条房基や大内晴持の異母弟)と合わせて3人で、協力して為政者としての事業を任せることにした。土佐中村は他の地域とのアクセスが悪い為、行政機能を徐々に伊予に移す事業の推進を任せる。四国の中心地を伊予と定めて計画を進めさせた。道後平野を流れる石手川の流れを根本的に変えるところから始めて堤を整備させ、都市を造っていった。河野氏を降して領地を召し上げたからこそ出来る事業であった。川の流れを造り変えること、都市を造ること、農地を造ること、仕事は幾らでもあった。大量の人が流入した。貨幣経済が未熟なので、衣食住の全てを統制する必要もあった。そんな忙しい3人にそれよりも重大な任務がやってきた。足利義維の室町幕府第13代征夷大将軍就任を祝う為の上京である。
崇徳天皇は日本三大怨霊の一人。他の2人は菅原道真と平将門。
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