169 ●木下藤吉郎と武田信玄
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
次回更新は11/26(日)
(1547 ●木下藤吉郎視点)
クラス全体が転生することになり、最初に選ばれたのは徳川家康。続いて織田信長。気持ちが完全に落ち着く前に3番目に呼び出された俺は豊臣秀吉を選んでしまった。天下を統一した戦国一の成り上がり者。生まれは最底辺に近いということがどれほど酷い環境か理解していなかった。その日食べる物さえ事欠き、着る物、寝る場所以前に腹がすいたことを紛らわせることしか考えられない日々。選択の後悔をしたのは最初の頃だけで、後は生きていくのに必死だった。そんな日々をしのげたのは貧しいながらも逞しく明るい母上と弟妹の存在だった。冷え切っていた前世の家族関係からすれば身を寄せ合う家族の温もりが俺を救ってくれたのだ。だが、母上と違い、再婚した義父は俺より幼い弟妹にも暴力を振るうようなクズ野郎だった。近所の手伝いをしながら食料を確保していたが、口減らしのためにも早く家を出るべきだと7歳の頃に村を出たのだ。
生まれ落ちたのはおそらく尾張にある村だったのだと思う。知り合いの知り合いを頼りながら働ける場所を探して東へ東へ流れていった。尾張は争いのウワサが絶えず10歳にもならない身では治安の悪い地域に近寄るのは難しかった。各地の寺で世話になり、下働きをしながら侍となる道を探っていた。寺に所属している寺侍が各地に存在していた。その中でなるべく力のありそうな寺侍を探した。浜名湖と思われる大きな湖を越えて東へ進んだ辺りで変なウワサを聞いた。遠江と駿河の守護である今川義元の指示で武田信玄が大規模な河川整備を行っているというのだ。今川義元が転生者かどうかは不明だが、有名どころである武田信玄や上杉謙信ならば転生者である可能性は高い。ましてや甲斐にいるはずの武田信玄が土木工事の陣頭指揮を執っているというのなら100%転生者だろう。更に東へ進み、天竜川の支流の河川整備と新田開発を行っていた武田信玄までたどり着いた。宿営地としている屋敷の前に張り込み機会を狙った。
「武田信玄殿とお見受けいたします。某、木下藤吉郎秀吉と申す者。願いたき儀があって参りました」
大きな声を張り上げて土下座する。中村村の藤吉郎、中村藤吉郎では豊臣秀吉と気づいてもらえぬかもしれないと木下姓を名乗った。供回りに切り捨てられるやもしれぬと頭をあげることもできずその場で震えていた。
出かけるところを捉まえたので、用件は帰ってから聞くと言われ、屋敷の中に迎えられた。上から下まで身ぎれいにさせられ、たらふく飯を食べさせてもらった。賭けに勝った安心感もあって寝入っていたところを叩き起こされた。
『痩せっぽちのガキだが、肝は太いようだな』
どかりと座り、日に焼けて笑っている武田信玄は30歳前後の見た目だった。
『人払いをしている。2人きりだ。お前、豊臣秀吉だな。何歳になった』
「10歳です」
『俺は26歳だ。どうしてここに来た』
これまでの身の上話を語った。織田家の家臣になるまでの過程を知らないまま途方に暮れ、転生者と思われる武田信玄のウワサにすがった愚か者の話を語った。
『苦労したんだな。俺もそれなりに苦労した。甲斐の国を追放され、転生者である今川義元殿に助けられた』
「今川義元もやはり転生者なのですね」
『そうだ。そうか、お前は3番目に選択したんだったな。残りの転生者の名前を教えておいてやろう』
そういうと俺が選んだ後に選ばれた武将達の名前を列挙していった。選んだ順はうろ覚えらしい。有名どころの名前の中には女性の名前も2人あった。
『転生者達の名前を聞いただけでわかるだろうが、桶狭間の戦いも本能寺の変も起こらない。おそらくお前が天下統一して豊臣を名乗ることは難しいだろう。徳川家康もまだ5歳の元服前だ。今は今川義元殿の下で松平竹千代の名前で人質生活をしている。徳川どころか家康と名乗る未来はないと思う。お前はこれからどうやって生きていこうと考えているのだ?』
「・・・・食べるもの、着るもの、寝るところに不自由のない生活さえできればそれでよいかと」
『まぁ、ここまでの苦労を考えれば今はまだ何も考えられないだろうな。武士として生きるとしても身寄りの無い身では他の家臣達の手前、今川義元殿の側仕えをさせるわけにはいかない。紹介状を持たせても元服したばかりの信長には力はまだない。対立している今川陣営からでは織田家として受け入れるのも難しかろう。しばらくは俺の小姓として助手をするのが無難だろうな』
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
『この時代の礼儀作法、字の読み書きも学んでもらう。体を鍛え、馬にも乗れるようになってもらう必要があるだろう。まずはたらふく飯を食って体を大きくすることからだな』
「・・・・母上と弟、妹を呼び寄せていっしょにお世話になることはできないでしょうか」
『・・・・俺は今川義元殿の客分でしかない。領地を貰っているわけではない。義理の弟だから優遇してもらえているだけだ。ゆくゆくは甲斐に戻ろうと思っている。お前の一家を丸ごと抱えるのは周囲の目を考えれば難しい。どうせならば一家丸ごと土佐へ移住しないか? 土佐ならば農民としても職人としてもいくらでも仕事がある。大学などの高等教育機関の整備も進んでいる。俺も一時期は土佐で教師の真似事をしていたくらいだ』
土佐? と思ったが、転生者である一条房基が既に土佐・伊予を平定し、前世に通じるような多くの開発をしている話を聞いた。武田信玄の妻と次男も土佐で世話になっていると聞いた。話をしていく中で武田信玄も土佐への移住を強く勧めるようになった。旅費の支援までしてくれると言われれば受けるのが最善と思うしかなかった。
面白いと思った方、
ブックマーク、ポイント、いいね、いただけると嬉しいです。




