168 ●松平竹千代と今川義元
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次回更新は11/19(日)
(1547 ●松平竹千代視点)
1542年に生まれ、5歳になった。クラス全体が転生することになり、最初に転生者を選択することになった。歴史は得意ではなかった。徳川家康を選ぶこととした。信長は争いが絶えない。秀吉ほどに成り上がれるとは思えなかった。優秀な家臣団がいれば他の転生者が平定した後でも一定の勢力になれるであろうと考えての選択だった。
3歳で覚醒した。置かれている状況を把握すると、生家である松平家は三河の弱小な一国人。今は織田家と争っており、今川家の傘下にあるようであった。母とは離別し、会った記憶もなく、乳母や傅役たちに囲まれる生活を送っていた。今年の春頃から慌ただしくなり、今川家に人質として送られることになった。松平家から今川家の駿府へ移ることになったのは私だけでなく、多くの家臣やその子弟や侍女達も同道する大集団となっていた。今川家からは百を超える兵が護衛として派遣されてきた。岡崎城を離れると更に多くの兵が郊外に控えており、私は輿に乗せられてゆっくりとした速度で駿府へ移動した。一緒に移動したのは酒井忠次・石川数正・阿部正勝・天野康景・平岩親吉など一門衆や譜代の家臣達であった。駿府に到着するといくつもの屋敷が用意され、世話をする家人も多く手配されており、人質というよりも重要人物としての待遇に家臣達も驚いていた。
ほどなくして酒井正親・忠次や石川数正たちと今川義元に謁見することとなった。今川義元は二十代後半で髷を結うこともなく、武家というよりも公家のような落ち着いた雰囲気を持っていた。一通りの挨拶を済ませた後、一人だけ近くに寄るように言われ、家臣達よりも前に出されたところで書状を渡された。そこには徳川家康から始まり一条房基まで31人の名前が楷書で書かれていた。そうか、今川義元は転生者だったのか、とこれまでの好待遇の得心が行った。
「その書状は返してもらう。よく見て覚えておくがよい」
もう一度目を通す。前半は有名な武将の名前が並んでいた。織田の名前が4名もあった。服部正成と本多忠勝は徳川の家臣だが、まだ覚醒前後の幼少期だと思われる。
「見て分かると思うが、桶狭間も本能寺も起こらないと考えたほうがよい。徳川も豊臣も生まれない」
義元は言葉を選んで話していた。双方の家臣達は何を言っているのか分からないだろう。
「京には三好が入った。おそらく将軍家は代替わりするだろう。美濃は斎藤が乗っ取り、尾張は弾正忠家が乗っ取るだろう。大きく世の中が変わろうとしている。竹千代殿にはここ駿府で多くのことを学んでいただき、ゆくゆくは三河をまとめあげていただきたい」
背後で家臣達が感謝の言葉を述べ、平伏する気配がしていた。今川家が三河を乗っ取るつもりがないと表明したと受け止めたのだろう。今は争っていても美濃と尾張は手を結ぶことになる。三河は争いの最前線になる。駿府での生活は長くなりそうだ。
「私の息子は幸いにも武田家の嫡男であった武田信玄殿から教えを受けている。息子は竹千代殿より5つほど上ではあるが、隔てることなく一緒に領主として学ぶべきことを学んでいただく」
転生者である武田信玄がなぜ駿府にいる? この先、今川家当主である義元と2人きりで会う機会は取れないだろう。詳細は武田信玄から聞くことになるのだろうか。
義元が手を回して、織田家にさらわれることなく今川家で人質生活を送ることになります。
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