今は、まだ@人間サイド
バトーが禿頭を下げていた。
その相手はこの世で1人しかいない。
王はバトーから魔界進行の報告を受けている。
既に概要は知らされていたが、一目見て渋い顔をした。
損害こそ無かったが、成果は殆どない。
小勢を蹴散らし、魔界の調査が僅かに進んだだけだ。
失敗といっていい。
そして、バトーの統率の問題も露見した。
グッチとハインケルの離脱。
反対を押し切っての強行軍。
そして、肝心の場面では失神し、軍は全滅寸前だった。
「まさか、無傷で帰ってくるとはな」
王は報告書を懐にしまった。
「初めて軍を率いるにしてはよくやった。
と、言いたいところだがこれでは無理だな」
「返す言葉もねえ」
バトーは神妙に答える。
「兵糧を焼かれ、敵に施しを受けて帰ってくるなど、前例があるまい。」
王は肘をつき、威圧的な雰囲気を醸し出す。
バトーが普段より小さく見えた。
「どうして敢えて逃したと思う。
首に手をかけた鳥をわざわざ空に逃がす理由は」
「…………それは」
「わからぬか、死地より脱した兵士は死地に飛び込むことを嫌う。
助かると知れば、降伏する者も出てくるだろう。当然、戦から逃亡する者もだ!
緩んだ空気は伝染していく、軍全体に蔓延すれば、
どんな戦にも勝てなくなる」
王の言葉はだんだんと激しさを増していく。
「シドーは大した男だよ、目の前の敵を殲滅する誘惑に逆らって、
毒を巻いたのだ、無能な味方ほど恐ろしいものはないからな!」
「……違う」
「何だと?」
バトーは顔を上げ、王の眼を見た。
「シドーはただの腰抜けだ!
人を殺す度胸がねえから、逃しただけに過ぎねぇ」
バトーの眼は血走っている。
誇りが痛く傷つけられたのだろう。
だが、王は無関心にただ退席を告げる。
「……下がれ」
バトーは不満げだ。言葉に出さなくても全身が物語っている。
立上り、出ようとするまでに暫しの時を有した。
「ああ、一つ聞かせてくれ」
扉の取っ手に手をかけたバトーに王は声を掛ける。
バトーは答えない。
「シドーは強かったか?」
全身から怒気が噴出するのが分かった。
頭は茹蛸の様に真っ赤になり、血管が浮かんでいる。
「その気持を忘れないことだ。今度また聞く」
バトーは扉を開け、無言のまま出ていった。
「ふぅうう~」
王は安堵の粋を漏らした。
「手ぬぐいでございます」
傍らの大臣が手ぬぐいを差し出す。
王の額にはどっと汗が浮かんでいた。
「ふぅ、肝を冷やすよ」
あのバトーの振る舞い。
相手が王で無かったら……殺されていただろう。
「……取っ手を取り替えなくてはな」
金属製の取っ手が、飴の様にネジ曲がっていた。
それを見て、やはりあの男が必要だと王は革新するのだった。
今は、まだ。