武御雷と優しい少女。その五
三週間の訓練を経て、おれはいつもの運動場の床に足を踏み入れた。
『やあ、武御雷』
「やあ、黒須」
『まずは、おめでとうと言っておこう。よくこの短期間で活動時間を五分まで伸ばすことに成功したね』
軽い挨拶を交わした黒須は、珍しく皮肉も言わずに賛辞の言葉を口する。
「なんだよ、改まって。別に大したことじゃないよ、動いたら三分くらいしか持たないし」
五分間使えるのは、木偶の坊の時だけだ。
『いいや、わたしでさえ、この一ヶ月でここまで成長するなんて思っていなかった。素晴らしい』
「よかったね! 君の頑張りが実ってる証拠だよ」
パトリシアと黒須に拍手で称えられる。
「……」
それだけで、おれの背筋が凍りついた。
これから何かが始まる。黒須が機嫌が良い時に良いことが起きた試しなんてない。
『だから、これはわたしからのとっておきのプレゼントだよ? 受け取ってくれ武御雷』
モニターの中、黒須の手にしたスイッチが押された瞬間。音を立て、運動場の壁や出口が鉄のシャッターで覆われていく。
「え、なに? 黒須さん、あたしなにも聞いてないんですけど!?」
「おい、黒須! 何を始める気だよ!?」
『君もよくやってる戦闘訓練だよ? 但し、常人では組手の相手にもならない君の為、特別製を用意した』
床が開き、駆動音とともに何が下から近づいて来るのが分かる。
そして、姿を現したのは全身がはち切れんばかり筋肉で覆われた真っ白な人間だった。
「え……なにあれ、コスプレ?」
「違うだろ……」
パトリシアの希望的発言を、おれは否定した。
否定しなければならなかった。たとえ受け入れられなくても。
「コイツは、本物の化け物だ……」
毛の生えていない不健康そうな白い肌、ギョロギョロ忙しなく動き続ける充血した瞳。
おれには、本能的にわかってしまった。立っているだけのこの化け物は、おれを殺せる力を持っている。
『耐久性の問題でその場所は隔離したが、安心してくれ。武御雷の魔法を使えば十分に対処できるレベルに設定してある』
という事は、魔法を使わないとやばい相手って訳じゃねえか、クソッ。
「ちょっと待ってください。あたしはどうしたらいいんですか!」
パトリシアの悲痛な声が微かに聞こえる。
逃げ場のない部屋に生身で、おれと化け物と共に閉じ込められたんだ。取り乱すのも無理はない。
『パトリシア、君は出来る限り武御雷をサポートしてあげてくれ。君の声はきっと彼の力になる筈だ』
「……分かりました」
恐怖で逃げ出したいはずなのに、パトリシアはおれを見つめ力強くうなづいた。
「安心してくれ、おれがアンタの安全は保証する。だから、隅で見ててくれ!」
「うん、わかった。信じてる」
守り切れるかじゃない、守り切らなきゃダメなんだ。
おれはあの日のアツイ感覚を思い出し、心臓をたぎらせる。
「とりあえず、様子見の一発だ!」
床を盛大に蹴って走り出したおれに、化け物の焦点が合う。
獲物を見つけた化け物は、そのまま拳を構えて迫ってくる。
飛んできた拳は、必殺の威力を持っておれの頬を掠める。
早い……! けど、反応できない速度じゃない!
おれは、化け物が振り抜いた自分の腰と同じ程の巨腕を掴む。
そして、勢いを殺さず水平に回転し、化け物に背を向けて担ぎ上げる!
「おらぁぁ!」
背を床に叩きつけた衝撃で、化け物が目を見開く。
よし、食らってる! これならギリギリまで魔法を使わずともなんとかなる!
「こいつも喰らっとけ!」
追い討ちの一撃を倒れた化け物の腹に拳を叩きつけ、おれは一本背負いからの一本を決める。
しかし、瞬間。化け物の様子が変わった。
「どうして、どうして俺を殴るんですか? 俺が何したって言うんですか?」
悲しそうに問う化け物の顔は、真顔のまま。しかし、感情の波は激しさを増してゆく。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして? どうしてだよぉぉぉぉ!?」
化け物は全身を痙攣しながら、壊れたように気味悪く叫ぶ。
それを黙らせる為、おれはもう一度腹に拳を落とす。
しかし、おれの攻撃は読まれていたかのようにあっさりと化け物に掴まれる。
「ニィィ、つかまえた」
吊り上げた口角で笑う顔に、寒気がした。
嘘みたいな力で握られた腕が、ミシミシと嫌な音を立てる。
「くっそ! 離しやがれ、化け物!」
「じゃあ、バイバーイ! ふんっ!」
仰向けの化け物が掴んだ腕を横に振り抜き、今度はおれが背中から床に叩きつけられる!
「かはっ!?」
痛え!? それもとんでもなく!
こんなんを食らって、コイツはあの早さで反撃に出たのか、嘘だろ……?
倒れたおれに、化け物がすかさず馬乗りになる。
「おかえし」
その笑顔に、おれは戦慄する。
初めて殺される側の感情に出会ったんだと気がついた。
鈍い音の豪雨は、的確におれの顔だけを狙い澄まし、正確に巨腕が振り抜かれてゆく。
やべえ、意識が……飛ぶ……




