最強の男の最悪な目覚め。その八
俺の言葉を聞いた吸血鬼は、自分を睨みつけている俺とは対照的に、大声を張り上げて笑う。
「ハッハッハッハッハ! 殺すときたか、これは傑作だ! 笑わずにいられるか?」
芝居がかった口調で、愉快そうにペラペラと一人で喋りだす。
「お前は吸血鬼と戦うのは初めてなのだろうから知らんのだろう? 私達を語るうえで忘れてはならない重要な性質をな」
「……」
俺はその不愉快なお喋りには付き合わず、質問に対して沈黙で答える。
「不死身だ! 死なんのだよ我々は! ゆえに、先ほどの攻撃で私は確信したのだ」
「自分の敗北を、か?」
「逆だ。少し力が強いだけの貴様如きの拳など瞬きのうちに治癒されていくのだ! よって、貴様の攻撃では私を殺す事など出来ぬどころか、長期戦になれば死ぬのは貴様の方だなぁ!?」
余裕の笑みを浮かべる吸血鬼を、俺は心底哀れな奴だと思ったしまった。
「へえ、それはありがたい話だな」
「負け惜しみか? それもよかろう。意地を張り通して死ぬのも見方によっては立派な事だ」
俺はゆっくりと歩き、少しずつ時間をかけて吸血鬼に近づいていく。
「俺がありがたいって言ったのは、お前が死ぬ心配がねぇって事だよ。これで何の憂いもなくお前を地獄に送ってやれるからな」
どんなに苦しくとも終わらない生き地獄に。
「ほう、それは楽しみだな。やってみろ!」
吸血鬼が目を見開いて、俺の声を嘲笑った。
一々癇に障る吸血鬼の目の前に立ち、互いに手の届く距離で睨み合う。
「……」
「……」
風の音が妙に大きく聞こえるほど、張り詰めた空気が辺りを支配する。
物音一つしない状況で、数分に感じてしまうような一瞬の静寂が辺りを包む込む。
そこへ、どこからか空き缶が落ちる音が俺たちの耳に届く。
瞬間。俺と吸血鬼の戦いの幕が切って落とされた。
先に沈黙を嫌ったのは、意外にも長期戦を望んだ吸血鬼の方だった。
「破ァァァァ!」
吸血鬼は俺の顔面に一撃、二撃と左右の拳を交互に打ちつけ、続く拳のスピードはどんどん加速させていく。
吸血鬼の無数の拳が、同時に飛んできているような錯覚をするほどの連打が、俺の全身に襲いかかる。
「……」
全身に猛烈な連打を受けていては、流石の俺も前が見えない。
そんな微動だにしない俺を殴り続けて、数分。
吸血鬼は息をぜえぜえ言わせながら、まるで化け物と遭遇でもしたかのような驚愕の表情を浮かべて俺を視線を貼り付けた。
化け物と遭遇しているのは、俺の方なのだが。
「終わったか? じゃあ次はこっちから行かせてもらうぜっ!」
「ぐっ!?」
攻撃の止めた吸血鬼の足を左右からのローキックで交互に蹴り、ピッタリ揃った足をまとめて踏みつける。
こうやって止めておかないと、一撃で吹っ飛んじまうからな。
「覚悟の時間は、終わったか?」
さっきの吸血鬼と同じ様に、一撃。二撃。
殴るごとに、拳の回転数をどんどん加速させていき。拳を打ち込むたび、吸血鬼の身体には月の表面の様に拳形のクレーターが生じていく。
俺は、殴って、殴って、殴り続ける!
いつの間にか吸血鬼の吐いた血で、全身が真っ赤っかに染まっていた。
それでも構わずに、吸血鬼に殴打の雨を浴びせる。
気を抜くと、気を失った吸血鬼が膝折って倒れそうになってしまう。
だから、その度に拳を顎の下から振り抜き、姿勢を元に戻してやった。
まだ座る事など許すつもりはない。
千を超える拳を打ち込んだ頃には、吸血鬼はいつの間にか元の姿に戻っていた。
おそらく、血を失いすぎて力が保てなくなったんだろう。
飛んでくる飛沫も、赤色から透明に変わり、目元から溢れている。
だが、女でも、まして子供でも人間ですらありはしない多くの命を奪った吸血鬼に、かけてやる情けなど俺は持ち合わせていない。
死なないのなら閻魔さまの代わりに、俺が宣言通りの地獄を見せてやるだけだ。
もう、自分の打ち込んだ拳の数など分からなくなっていた。
そろそろ、終いだな。
すでに、原型をとどめていない吸血鬼に最後の一撃をお見舞いするため、力を拳に振り絞る。
「これで」
強く踏み込んだ足で大地が割れる。
「終わりだ!!」
吸血鬼の顔面を捉えた強打が、辺りを揺らすほどの凄まじい音を轟かせて炸裂する。
喰らった吸血鬼は、打撃面が高温で熱した金属のように赤々と染まり、放たれたように後方に吹き飛ぶ。
そのまま勢いを落とすことなくアーケード街から飛び出し、数キロ先のブロック塀を破壊してやっと停止していた。
「ふう……」
自分の拳を眺めながら、ここに住んでいたであろう人々、その家族や友人知人。
そして、あのエリナという名の美しい吸血鬼の事を思い返して、最後に手と手を合わせて静かに祈る。
彼らの行く先が、穏やかで平穏な場所でありますように、と。
これでさっきまでムカムカとしていた気持ちが、少しは落ち着いてきた。
倒れ込んでいる吸血鬼を回収するため、口に煙草をくわえて緩慢な足取りで歩いて向かう。
目の前に到着した時、吸血鬼はすでに意識を取り戻していた。
先ほどまでの服がはち切れんばかりの鍛え抜かれた肉体とは打って変わって、最初に見た時のほっそりとした姿で膝を抱えて静かに泣いていた。
「……っ! エリナ、エリナァァ」
今度は痛みではなく、悼みで泣いているようらしい。
先ほどまで『力の為なら』などと言っていた男とは、到底思えない情けない姿だ。
「おい、泣くなよ?」
「うるさい! お前なんかに何が分かる!? 慰めの言葉なんて聞きたくない!」
泣きじゃくってまるで被害者気取りで叫ぶように八つ当たりしてくる吸血鬼に、俺は心底嫌気がさす。
「あ? 勘違いしてんじゃねぇぞ、クズ」
「……え?」
「俺が言ってんのは、彼女はお前の為に望んで食われんだろうがっ! それを今更てめえの都合だけで後悔してんじゃねえって事だよ!」
お前だけはその力を誇ってなくちゃいけないだろ。
そうじゃなきゃ、本当にお前の彼女は報われなくなる。
「すまなかった。僕自身、自分が力に魅せられてあんな風になるなんて思ってもいなかったんだ。本当にどうかしていた」
「俺にも、誰にも謝ったって意味なんかねぇよ。お前が謝ったって、もう誰もお前を許さない」
お前たち化け物は謝罪なんかで、人々に許される存在じゃないんだよ。
「そうなのか、いや、そうだな。僕はもう終わりなんだな?」
「それは俺が決める事じゃねえ。けど、恋人を失って苦しんでんなら、むしろ辛いのはここからだろ」
「どういう、事だい?」
「お前は一生それを忘れる事も許されてはいないし、お前の中で生きている彼女も、それを許してはくれないだろう」
「っ!」
言われて、吸血鬼は、もう傷など無い胸を抑える。
「このまま……日の出までここに居させてくれと言ったら付き合ってくれるかい?」
「断る。お前が生きようが灰になろうがどっちでもいいが、生憎俺はそこまで暇じゃない」
明日は、この前夜道で助けた子とデートの予定がある。
だから、こんな血生臭い野郎と朝まで語り明かしてる様な時間は俺にはない。
「それに、お前を盾石のオッサンに渡さないと、これから飲み明かすための金を手に入れられないんだよ」
「そうか」
「ああ、そうだ。だからしばらくは寝といても良いぜ? つっても俺の肩の上は寝心地が良いとは言えないけどな」
「こんな月が出ている時間に寝るのか? まあいい。では……おやすみ」
そう言って、目を閉じた吸血鬼は寝つきが良く。すぐに寝息を立てていた。
「よし! 持ってくか」
俺は誰もいない夜道で、独り言を喋りながら肩に吸血鬼を担ぐ。
「きゃぁぁ!?」
「ん?」
そこに通りがかったゆるふわパーマで茶色の丈の長いコートを着た可愛らしい女性が、こっちを見て悲鳴を上げた。
無理もない。
見たところ会社帰りか何かだろうし、その帰り道で吸血鬼なんかに遭遇したら、そりゃ叫びもするわ。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。この吸血鬼はさっき俺が退治した奴なんで、もう動きません」
彼女を怖がらせない様に、俺はにっこりと柔らかい笑顔で微笑む。
いや~また惚れられたら困っちゃうよなぁ。
助ける度に、お礼と言われてご飯に誘われちゃうと断れないんだよな。
「へ、へ……」
「へ?」
だけど彼女は、俺が状況を出来るだけ優しく説明した後も身体をブルブルと震わせて何かを言おうとしている。
もしかして寒いのか?
春も半ばを過ぎたとはいえ、夜はまだまだ涼しい風が吹いてはいるからな。
「変態!」
「は?」
そう言って、彼女はなぜか自分が歩いて来た道へ踵を返して走り去ってしまう。
あぁ……そうだった。
俺は今の自分の姿を確認して、思い出した。
返り血で真っ赤に染まったTシャツとくわえ煙草。
そして、トランクス姿の下半身。
うん、お嬢さん。あんたの判断はなにも間違っちゃあいなかったよ……
その姿は、普通にアウト。変質者そのものだった。
それから俺は、眠っているのをいいことに吸血鬼が着ていた神父が着ているようなデザインの服(ギリギリ無事だった)を剥ぎ取って着替える。
まあこれでもパンツ一丁の吸血鬼を担いでる事にはなっちゃうんだけどな。
それから目立たないように、建ち並ぶビルの屋上を走って盾石のオッサンの会社へと向かう事にした。
登場人物紹介。
斉藤剣
五年前、灯京にやって来た異常な程の身体能力を持った男。
年齢三十歳。誕生日4月4日。
容姿、前髪で目元が隠れそうな長さの自然に伸びた黒髪。少し目つきが悪い。
引き締まった筋肉質な肉体で身長は約175㎝。




