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しばしの休息、取り戻した日常。その三

午後九時ともなると夜の街道は静かで人通りも少なくなっていた。


都会の町はこのくらいの時間でも昼間と一緒かそれ以上の賑わいだったけど、やっぱりそこそこ静かなこの町の方が俺は落ち着く。


「そういえば、優子ちゃん」


「はい?」


隣を歩いていた優子ちゃんが少し見上げて、俺の顔を見てくる。


「本当に家まで背負ってかなくていいのか? 歩くより数倍は早く帰れると思うんだけど」


「だから、早い遅いの問題じゃないんです! あたしの今日のコンディションの問題なんです!」


「お、おう。そうか、それじゃしょうがないな?」


優子ちゃんの迫力に気圧されて思わずうなずいてしまった。


ま、本人がいいなら、それでいいか。


俺が年頃の女の子に怒られていると、狭い歩道の前方からオッサンが訳の分からない独り言を大声でまき散らして千鳥足で歩いてくる。


「斉藤さん……あの人もしかして」


青い顔をした優子ちゃんがなにかをこらえるように目を閉じて、俺のTシャツの裾を掴んで怯える。


「おいおい、イチャつくなら家でやれこの――」


「あァ?」


運の悪いことに目ざとく俺たちを視界に捉えて文句をつけようとしていた泥酔おっさんを、俺は引きちぎったガードレールを蝶々結びしながら睨みつける。


「ひぃっ! 化け物ぉ!?」


すっかり酔いがさめたのか、おっさんが人聞きの悪いことを言って立ち去っていく。


「優子ちゃん、もう大丈夫だ。もう居なくなったしよく見ろ、あれはただの酔っぱらいだよ」


「こんな暗がりじゃ顔なんて見えないですよぉ。辛うじて人影くらいしか」


「ありゃ、そうなのか。あと、追い払ったから服を引っ張るのはもうやめてもいいぞ」


自分の視力が常人のものとは、比べものにならないほど観察できる距離や暗さが違うことをすっかり忘れていた。


「ごめんなさい。あたしあれ以来、男の人が怖くて夜道も一人だと足がすくんで十メートルも思うように歩けないんです」


心の傷は吸血鬼を倒して魅了された暴徒どもがいなくなっても、その瞬間から塞がったりしないからな。


出来れば優しい両親やクラスメイトが少しずつ優子ちゃんの傷を塞いでくれたらと願うしかなかった。


「焦らなくて大丈夫だよ。怖いって感情は自分を守るうえで大事なものだし、ゆっくり慣れていければいいと思う」


「ありがとうございます。斉藤さんといるとなんだか安心しちゃいます」


「そっか、そう言ってくれると無駄に強いのも悪くないと思えるよ」


少し落ち着いた優子ちゃんに速度を合わせて、時々隣を通り過ぎる自動車の走行音だけが聞こえてくる道を歩く。




「もう……ついちゃいました」


到着した家の前で優子ちゃんが少し残念そうに笑っている。


「じゃあ俺の任務も完了だな」


その場から少し歩いて、俺は家の前の街灯から次の街灯の下で振り向いた。


そして、照らされたまま優子ちゃんに手招きをする。


「あ、優子ちゃんに渡しときたいもんがあったんだ。ちょっとこっちに来てくれねえか」


優子ちゃんは疑問符を浮かべて、俺の元へトコトコ歩いてくる。


「渡したい物ってなんですか?」


手を差し出した優子ちゃんの手に平に上で握っていた手を開く。


まあ、俺の手の中にはなにも握られていないので、なにも出ないのだが。


「えっと……?」


「歩けたじゃねえか。十メートル以上」


「え――」


優子ちゃんが振り返って、自分がさっきまで立っていた場所を確認する。


「じゃあ、俺は渡したいものは渡したから帰るな」


「あの、斉藤さんありがとうございます。あたしを……助けてくれて」


少し歩いた俺に、背後から声をかけてきた優子ちゃんは姿勢を正してそんな大げさなことを言ってきた。


「いいよ。また化け物が出たら呼んでくれな。分け前は盾石のオッサンからの金で焼肉にでも行こう」


俺は言いながら満面の笑みでピースをする。


「はい! じゃあその時はお願いしますね?」


それから優子ちゃんが家に入るのを見送ってから自分の帰路についた。


俺が救えるのは化け物からだけだ。


だから、これから彼女の笑顔を救うのは両親や同級生の友達。そして彼女がいつか出会うであろう心優しき青年にでも任せるとしよう。

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