最強の男の最悪な目覚め。その三
「はあぁぁ」
遠くに見える黒い自動車の後ろ姿に、思わずため息が漏れる。
追うなら急いだ方がいい。
この距離で角を曲がられでもしたら、探し出すのに骨が折れそうだからな。
「あの女性、綺麗な脚してたよなぁ」
視線の先を走る自動車の後ろ姿を確認しながら、今も中にいるであろう女性が布の隙間から一瞬だけ覗かせた脚の事を記憶の中からほじくり出して、自らのやる気を促す。
「……行くか」
真っ直ぐ目標へと向き直り、片膝を地につき、しゃがみ込んで両手を地につけた。
地について、位置についた。
次の瞬間。前傾姿勢のまま腰を少し浮かし、地を蹴る。
「俺は二日酔いなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
周囲に砲弾の発射音の如く鳴り響いた轟音とともに激しい衝撃で路面を抉って、俺は叫びながらスタートダッシュを切った。
背後には剥がれて散らばったアスファルトの瓦礫が飛び散り、壮大に舞い上がった砂煙が辺りを覆う。
近所さんには実に迷惑なことこの上ないと思うが、人命がかかってるんだこのくらいはよしとしてもらうとしよう。
瞬きするだけで、繋がらなくなる断片的な景色の中を走る。
ドリンクの自販機が煙草の自販機に、銀行が花屋に早替わりしていく。
ちょうど目に入った街灯に飛びつき、ぐるぐると回ってすっ飛んで着地、そこから再び走り出すと、車までの距離はあっという間に縮まっていた。
まあ真面目に走れば、こんなもんか。頭は依然として割れそうなんだが。
追いついた車を追い越さぬよう、俺は少し速度を落として軽いジョギングの感覚で並走する。
バックミラー越しに俺の気づいた運転席の男は、驚愕の表情を浮かべながらミラーに映る俺と実際に車の横を走る俺を交互に見比べる。
そしてやっと冷静になったのか、それともさらに取り乱したのか。
こちらに向かって銃を構えて、男は間髪入れずに引き金を引く。
「!?」
銃口が火を吹き、銃声とともに放たれた弾丸が俺の額に直撃した。
「イテっ」
しかし、今はそれどころではないので、それほど痛くもない鉄の塊を顔に受けながらも俺は走り続ける。
さあ、問題はここからだ。
車にはさっきのお嬢さんも乗っている。なので無理矢理に止めれば衝撃で彼女にも怪我をさせてしまいかねない。
かといって、大人しくスピードを落としてくれるって事はないだろう。
なにせ、相手は現在進行形で俺の顔面に弾丸を撃ち続けているくらいだからなぁ。
「ああ、面倒くせえ! 無駄だからいちいち撃ってくんな!」
額に次々と当たる弾丸が鬱陶しくて、思わず勢いに任せて男に向かって無茶な注文をしてしまう。
当然、男が撃つのをやめる気配などない。
仕方がなく俺は走る速度を少し緩め、射線の届かぬ車の真横から真後ろへと移動する。
「止まる気がないなら止まってもらうしかないよな!」
そして目の前の車体に両手で抱きつくように左右に手を伸ばし、指を食い込ませて無理矢理掴む。
そのまま自分の足を踏ん張って、強制的にブレーキをかける。
アスファルトを割り続けること数メートル。
少しずつ速度を落としていた車は、そこで完全に停止した。
「ついでに敵の無力化もしとくかな」
俺は停止した車を持ち上げ、天地をひっくり返して、そっと置く。
その時。タイヤを真上に向けた車の前方からバンッ! と前方で音が鳴る。
覗いてみると、運転席の方で男がドアを蹴破って外に出てきていた。
その手からは懲りもせず、無意味な銃口をこちらに向けている。
「来るな! 少しでも近づいたらぶっ殺すぞ!」
この状況で逃げ出さないプロ根性は大したものだが。
それが不可能であることをこの場の全ての人間が知っているような脅し文句は、正直ゼロ点と言わざるを得ないだろう。
脅し文句を無視して、一歩ずつ距離を詰めていく。
男はそれでも銃を下ろさず、お互いの距離が近づき、あと一歩で俺の手が銃に届く所まで到着しても標準を外さず向け続けている。
男が引き金に指をかけると、冷や汗をかきながら小刻みに震えて手元の銃がカタカタと音を立てて踊り出す。
「今ならまだ……」
最後の一歩を踏み出し。俺は銃口に届いた手で横から掴み取る。
「見逃してやるぞ?」
結局、目の前に到着するまで男は引き金を引かなかった。
そして口にした最終通告を聞くと、男は瞳の奥に僅かに安堵の色を浮かべ、踵を返して走り去る。
その背中が見えなくなるのを確認してから、俺は車へと向き直った。
「さて、そろそろ助けてやんないとな」
逆さまになったドアをこじ開け、姿勢を下げ屈かがんで車内へと足を踏み入れる。
「乱暴な助け方になっちまって悪かったなお嬢さん。でも、あの状況でただの一度も声を上げないなんて相当肝が座ってるな」
すでに包まれた黒い布を脱いでいた彼女に、俺は申し訳程度の労いの言葉をかけた。
目の当たりする彼女は服の上からでも分かるほどのたわわに実った果実と透き通るような白い肌がまぶしかった。
「そ、そんなことないです。恐怖で声が出なかっただけですよ」
彼女が謙遜して首を振るたびに綺麗な黒髪が左右に揺れ、その全ての魅力を更に一段階上げる整った顔立ちと輝く赤い瞳で、俺の目を見つめてくる。
間違いない。この女性、俺が出会った中で最高クラスの美貌を持った女性だ。
「とりあえず、人が集まって来たら面倒だし外に出ようぜ」
「待って!」
「おっと!?」
車から出ようとすり足で後ろへ下がろうとした俺を、彼女がいきなり抱きついて引きとめる。
「私、腰が抜けちゃってすぐに動けそうになくて……しばらくこのままでいても、良いですか?」
耳元で聞こえる甘い誘いの言葉と胸元感じるこの世のとは思えぬ幸せな感触が、俺の脳内選択肢からYES以外の選択肢が消失した。
「はい、支えてますから落ち着くまで、俺にもたれていてもらって大丈夫ですとも」
紳士として困ってる女性を放っておくことはできない。
だから、決して彼女に籠絡されたわけではないのだ、決して。




