面会、からの挽回。
「よう、青年。今日も来たぞ」
「なんだ、またおじさんか」
飽き飽きとした態度で横になっている人狼の青年に、昨日ぶりに手の平を上げて声をかける。
あれから約一週間。
俺は、もはや日課になりつつあるモンスターバスター社の地下への訪問を続ける羽目になっていた。
「なんだとは、なんだよ」
「いやいや毎日飽きもせず会いに来てくれて、ありがとうございます」
「せっかく来てやってんだぞ? もっと俺を歓迎しろ」
猛獣がすっぽりと収まりそうな大きさの簡素な檻の中。
膝を立てて寝転がる退屈そうな青年は寝返りを打って、こちらを窺う。
「だって……おじさん毎日来てるじゃん」
毎日続くおっさんによる訪問が不満なのか、青年は冷めきった態度で起き上がる素振りも見せない。
というか、人の顔見て溜息つくな。
どいつもこいつも俺の周りは失礼な奴で溢れてやがるなぁ。
「そりゃそうなんだけどよ。こう見えて、俺だって実はそんなに暇じゃないんだぞ?」
己の発言に、自分で聞いてて悲しくなる。
だが、勤勉なビジネスマンのようなカッチリした服装は、持ってすらいないので致し方ない。
そういうデキる人間のイメージを纏うことなど、俺は最初から諦めていた。
「僕もそこまで失礼なことは、まだ言ってないでしょ」
「青年。目は口ほどに物を言うんだぞ」
こちらに尊敬のその字もない眠たそうな瞳を向けるガキに忠告しておく。
返し刀で"まだ"って言っちゃってるし。
「まあ、そんなくたびれた服装の立派な大人なんて居ないもんね」
「おい。看破されたからって、悪口を言っていい理由にはならないだろがバカたれ」
それと、このガキにはというか俺を取り巻くガキ共には、もう一つ大事なことを教えてやらなければいけない事に気がついた。
こんな俺でも傷つくこともあるんだぞ、と。いや知らんけど。
「えーめんどくさ。でも確かに、こんな大人にはなりたくないなぁ」
「だから、もっと酷いことを言うな開き直るな!」
容赦ない若者の痛恨一言に、俺は傷ついた胸に手を当てながら青年の入る檻の角を腹いせに蹴りつけた。
「おわっ!?」
わずかに暴れる檻の中で青年が身の危険を感じたのか。
やっと鉄格子に掴まる形で起き上がる。
「やっぱ、生意気なガキの相手は苦手だわ」
「ごめんって、僕も頑張っておじさんの尊敬できるところひとつは見つけてみるからさ」
「それなんだよなぁ……」
ああ、タバコが恋しい。
たぶん。青年が獣人じゃなかったら一秒と待たずに火を点けてたな。
俺は自然と音を立て始めた膝の振動を一度落ち着かせ。深呼吸してから、ざっと辺りを見回す。
「それにしても寂しいところで寝泊まりしてんなあ」
視界の先に広がるのは、高い天井と距離の離れた壁。
檻の側面に間を空け、ほこりを被るまではいかないまでも長いこと使用された形跡のない隊員達の予備装備が陳列している殺風景。
この場所に歓迎されていないとはいえ、助けようとしてる相手の待遇としては少々口を挟みたくなる微妙な感情に襲われてしまう。
「そう思うなら早く敵の居所を見つけてよ、おじさん」
「こっちもそのつもりなんだけどよ……」
俺はそこで言葉を切り……
あちらも日課のように、毎日俺の背後で待機している盾石のオッサンの秘書に視線を向けた。
「わたくしの事はお気になさらないでください。一応の監視役として同席しているだけですので」
「いや昨日も言ったが、世の中には男同士だけじゃないと出来ない話とかもあるわけで、な?」
何とか一瞬でもこの場から引き離せないかと試みてはいるものの。
「こちらも何度も言っておりますが、わたくしは目前で化け物や味方の死を見たことくらいありますし、もっと惨い景色だってこの目にしたことがあります。そのような気遣いは不要です」
「こっちが気にするって話だ」
「でしたら尚のこと、貴方たちの価値のない会話の内容など脳内に記憶しておく気も起きませんので、お気になさらず」
この様である。
青年を匿ってもらう際の微妙な嘘がバレる訳にもいかず、会話を聞かれるのは色々都合がわるい。
しかし、俺の話などまともに聞きもしない秘書の追っ払い方に難儀していた。
「……忙しそうなのに、意外と暇そうだな。オッサンの秘書って」
「そう見えますか? 貴方が今すぐ帰ってくれさえすれば、一刻も早く業務に戻ることができるのですけれど」
そうしたいのはこっちも同じなんだよ!
その会話を聞かれたくない奴に張り付かれていなけりゃ。
「そ、そいつはわるかったなぁ。俺も情報不足で敵の捜索が難航してるとこなんだよ」
「自分の仕事もまともにこなせていないのに、寄り道に来ているのですか?」
「へいへい、何の成果もあげられなくてすんませんね」
「はい、大いに反省なさってください」
「……」
「おや、どこに行くつもりですの?」
歩き出し、自分の横を通り過ぎようとする俺に秘書は興味もなさそうに尋ねる。
「あんたのお望み通り帰るんだよ!」
「そうですの。それはなによりです」
「どういたしまして。なら、とっとと仕事に戻ってくれや」
本日も何の成果も得られずに青年からの情報提供を諦めて帰路につく。
そんな俺の心情を現すかのように、曇天は雨粒の涙を零し続けていた。
まあ梅雨だからそうじゃない日の方が少ないんだが。
「?」
モンスターバスター社から少し歩いた道路沿い。不意に人垣の中から嫌な視線を感じ、辺りを見回す。
舐め回すように体を這う視線は人狼の青年を見かける前に感じたものと限りなく似ていた。
近くに、敵の仲間かもしれない奴がいる?
何処だ!?
傘で表情を隠した大勢の中から俺は悪意の根源を探り出そうと、首を何度も回し続けた。
その時。
少し挙動が目立っていたのか、何者かがこちらに近づいて気配がする。騒々しい足音を鳴らして。
その存在に気づいた者たちは進行方向から退き、道を開ける。
割れた人垣から見えるのは、騎士のような鎧を着装し端正な顔だけを晒した見覚えのある男。
火護りの騎士団の団員だった。
鎧の男はいつも通り軽蔑した視線を俺に突き刺す。
「おまえ……」
「貴様、また複種合人間の討伐に首を突っ込んだようだな」
すると、いつものように遅い到着のあとに言うお決まりの台詞を口にする。
「首を突っ込んだって……お前らは弱り切った敵にとどめ刺しただけだろうが」
「違うな、覚悟の足りていない貴様が終わらせ損ねた複種合人間の処理を我々がしてやったのだ。感謝しろ」
「そのせいで何も聞けず、とばっちり受けてんだよこっちは!」
偉そうな鎧の男の態度が、余裕のない今の俺には少し本気で癇に障った。
複種合人間らから情報を聞けていれば……
灯京のどこにいるのかも定かではない敵の居所が、目星くらいはついていたかもしれないってのに。
「ほう……それは複種合人間関連の問題か? ならば我々の仕事だ、吐け」
「誰が言うかばーか!」
「……力尽くで聞くと言ってもか?」
殺気立てた瞳を細め、威嚇のつもりか鎧の男が背負っている自分の背丈を超えるほどの槍斧に手を伸ばす。
「はっ! やってみろ。俺の邪魔をして、てめえらのボスから受けた依頼がこれ以上先延ばしになってもいいんならな」
「……」
プライドと忠義の間で葛藤する鎧の男が押し黙る。
数秒の逡巡の後、俺の包帯で固定された左手を一瞥して鎧の男は槍斧の柄から腕を引いた。
「まあいい……今回は目を瞑ってやろう」
言葉の最後に高慢な減らず口を添えて。
「お前、いちいち偉そうな言い回しに変換しなくちゃ死ぬ呪いにでもかかってるのか」
意地なのか、余程負けず嫌いなのか知らないが本気で心配になってきた。
絶対意思疎通できないだろ、こいつ。
こんなんでどうやって他の団員と連携取ってるんだ?
そんな余計な心配を他所に、鎧の男は武器から放した手でこちらを指差す。
「ただし、戦場においても我々の邪魔をするというのなら同じ言い訳が通用するとは思わないことだな。人間擬き」
「へいへい、こっちも二度と出会わないように祈っとくよ。変態擬き」
そこで街中でおかしな格好をしている鎧の男に別れを告げて、見たくもない整った顔に背を向けた。
しかし、その背中に静止の声がかかる。
「待て」
「なんだよ、街中で鎧着てんのディスられたのそんなに気にしてんのか」
「違う。これは我々にとって、この街の守護者である上でのこれ以上ない誇り高き正装だ」
「……そうっすか」
いや聞いてないけど? やっぱ気にしてるじゃん。
「それより、貴様の老いぼれ上司にも伝えておけ……」
俺にとって上司という言葉が差すのは人間は一人。
つまり伝言の主は、老いとはまだまだ無縁そうな筋肉ゴリラであるところの盾石のオッサンということか。
「複種合人間は貴様ら凡人の集団にどうにかできる化け物ではないと」
「……」
「言うべきことは伝えた。次に会う時には態度には気を付けることだ」
そこで今度は鎧の男が背を向けて立ち去ろうとする。やっとこの状況から解放されるようだ。
まあ、でも一つだけ言ったあとでな。
「あ、俺も言い忘れたことあったわ」
「何?」
予想外の返しに、振り向いた鎧の男が顔をしかめる。
「言いたいことくらい自分で伝えろや。ボスの威を借るシャイボーイくん」
「フンッ」
再び離れていく背中の行き先は見もせず、今度こそ俺も我が家へとつながる帰り道へと進む。
まったく進捗のない敵の居所探しもそろそろ決着をつけたいところ。
明日にはなにか聞けるといいんだが……
水玉模様の傘越しに仰いだ空はあいにくの空模様。
いつもより小さな傘は雨から守りきれず、ジャケットの肩を濡らしていた。
また紗世に心配させないためにも、早く帰るか。
と、一歩踏み出すと同時。
傘を待たされ家を出る際に紗世と交わした今朝の会話が想起される。
ああ、そういえば今日は夕飯の買い物を頼まれていたっけな。
進路を変更した帰り道。
夕飯に思考を占領されながら俺は早歩きに先を急いだ。