おっさんと賑やかなお茶会。その六
屋根やブロック塀の上に器用に立っている男達に取り囲まられ、中央に立つ俺を百を超える視線が見下ろしている。
その、俺を見る目もまた、さっきの二人と同様に普通ではない。
大抵の奴が興奮状態のようで、目を見開いて犬のような短い息を繰り返している。
「おいおい、ここは変質者の楽園か?」
もしもそうなら、迷い込んでしまった俺みたいな紳士にとっては地獄のような場所だ。速やかに家に帰りたい。
「ヘッヘッヘ、その減らず口をいつまで叩いてられるか見ものだな!」
もはや周りの誰が言ったかもわからない声に、俺は鼻で笑って答える。
「前フリはいいからさっさとかかって来いよ。これ以上お前らが喋っても恥の上塗りにしかならねえぞ?」
それを聞いてやる気になったのか。男達が怒号を上げて次々と飛び降りては、次から次へと拳と足で怒りをぶつけてくる。
俺は前後左右に上半身を揺らして、全てかわしつつ、的確に顎を狙って拳を振り抜いていく。
攻撃で守りが疎かになっている男達はそれをカウンターの形で喰らう。
そして、次の瞬間にはよろよろとおぼつかない足取りになり、たまらず地面に膝をついていく。
四つん這いになった男達が脳が揺れて立っていられないというのが分からず、信じられないものを目の当たりにした顔で俺を見上げている。
「何をやっている!? その男相手に一人ひとりで挑んでも勝ち目などないぞ! 一斉にかかれ!」
膝をついているが、先ほどの二人組のリーダー格らしき男が集団に指示を送ってサポートしている。
ちなみに、もう一人の男は膝を曲げたままでアスファルトに突っ伏して泡を吹いていた。
「何人がかりで来ても、同じだっての!」
指示に従って、複数人で跳んできた男達が俺に一斉にしがみついてきた。
その後も絶え間なくしがみついてくる男達のミツバチのような戦法で視界が覆われた時。
むさ苦しさと暑さで、俺の不快感は限界を一瞬で突破した。
「ああ! 気持ちわりいんだよっ!!」
片足立ちで身体を捻って、コマのように回る俺から男達がブロック塀に向かって、飛んでいく。
「ったく、なにが哀しくてむさ苦しい男どもにしがみつかれなくちゃならねえんだ」
俺はさっき首元に感じた、必死にしがみつくおじさんの鼻息を思い出してしまい。
全身を鳥肌が全力疾走で駆け抜けていった。
静かになったゴーストタウンに通る道路の中央に残されたのはリーダー格の男と俺だけだった。
「悪いけど、今度はお前について来てもらうぜ」
「お前の所為でまだ満足に歩く事も難しいというのにか? 無茶を言うな」
「あー大丈夫大丈夫。お前吸血鬼よりは軽そうだし担いで連れてってやるから」
あの状態で歩くの目立つからあんまりやりたくはないんだけどな。
「あの方の言う通り本当に無茶苦茶で規格外な奴だな、お前は」
「まあ、いつも言われるよ。俺の格好良さは規格外だってな」
「…………」
「格好良さは規格外だってな」
殴られた後でボーッとしているのか男から反応がないので、もう一度言う。
「いや、聞こえてはいる。ただ、かける言葉がなかっただけだ」
「あっそう」
「それに……まだ終わったなどとは誰も言ってはいないぞ?」
「はあ、これを見ても諦めたりしねえのか?」
その瞬間、月明かりが一瞬で遮られてしまう。頭上を覆う無数の人影によって。
それどころか道の前後方向にあった門扉からも巣を突かれたような勢いで有象無象が溢れてくる。
「さあ、第三ラウンドの始まりだ!」
男の非常に面倒な宣言に、俺はため息混じりの言葉を返す。
「まだ、続くのかよ」
猿よりも無能そうな頭で、先ほどと同じ作戦でしがみついてくる男達を振り払いつつ。
鉄パイプやらバットで殴りかかってくる原人達に丁寧に一撃ずつ入れてノックダウンしていく。
「くっそ! お前らいくら暇でも自分のやりたいことくらい自分で選びやがれ」
「暇などではない! これはあの方に託された重要な任務だ」
「は? そんなん命令されて仕方なくやらされてるだけだろ」
「違うわ、たわけ! 俺たちは命令されたからやっているわけではない! 少しでもあの方の力になるためから自分の意思で尽力しているのだ!」
リーダー格の男は、どう見ても正常な思考が出来ているようには思えない顔で吠える。
が、そんな事はどうでもいい。問題は本人が言ったと言う事だ。
「へえ……そいつはいいこと、聞いたな」
やっぱ、本人の意志を尊重してやりたいよな。
初孫を可愛がる祖父母より優しい俺は、跳びかかってきた雑魚の顔に拳を沈ませながら言う。
「じゃあ、もうお前らへの怪我の配慮はしなくてもいいよな?」
腰を下ろして、ひとつ大きく息を吸い込んでから、一歩前に出した足で地面を叩く。
思いきり降ろした足の裏が路面にヒビを生みんで大地を揺らす。
その衝撃で周りを囲むように立っていた男達の足元がぐらついた隙をついて、一人また一人、強制的に周囲の家の室内や敷地内の庭へと殴り飛ばして、帰宅させていく。
道路に立っているのは、再び俺と集団を仕切っていた男の二人だけになった。
今度こそ男の顔からは憎たらしい笑みも消えて、固まっていた。
男の開いた口は塞がらず、俺を呆然と眺めているが、その目はしっかりと俺の姿を捉えている。
「さあ、残ったのはお前だけみたいだけど、お前はどうすんだ?」
「…………ば、化け者だ」
「ん?」
「こんなのに勝てるわけがないだろっ!」
明らかに変わった男の態度に、俺はなにか強烈な既視感を覚えた。
けれど、それより先に聞いておきたいがある。
本当は盾石のオッサンの所に連れてってから話を聞こうと思ったのだが、俺は男にベタベタと抱きつかれた不快な身体を洗い流すため一刻も早く帰りたかった。
だから、これだけ聞いて後のことはオッサンに任せよう。
「お前に二つ質問がある。一つはあの方って奴の正体。もう一つはお前らの仲間に最近女子高生を襲った奴が居たか? って事だ」
「女子高生? なんだそれは」
的はずれな質問だったのか、男はくだらない事を聞かれて驚いているようだった。
「知らないならいい。こっちの質問はひょっとしてって程度の気持ちで聞いただけだからな」
「知らない、というよりは私達が襲った人間が多すぎて、そんな些細な事は覚えてな――がっ!?」
男の不快な言葉を遮る形で、地面に顔面を叩きつけて強引に終わらせた。
「決まりだ。お前らのボスは日々の平穏の為に、この手で必ず懲らしめておくよ」
その後、俺は念のため救急車を呼び、ぼろぼろの人と家だらけになった住宅街を後にした。
「よっ! ア、ガトレットちゃん。さっき振りだな」
「おじさん、あなたいつから悪人を運ぶ商売を始めたんですか?」
アシュリーちゃんは、会社の受付に現れた俺の肩で、ノビている男を見ながら呆れ顔になる。
「これは偶然、二回続いただけだよ。それに持ってきたのはコイツだけじゃないぞ」
俺は取手のついた白い箱を受付に置きながら言う。中身はこの前のお詫びのいちごのショートケーキだ。
オッサンの会社に行くので、ついでにこの前の約束も果たそうと思い、店先に男を置いてからケーキ屋に立ち寄ったのだ。
お陰で、終始おかしな目では見られていたが通報だけはされずに済んだのでよかった。
心からケーキ屋のお兄さんの無関心に感謝している。
「ああ、この前の約束の物ですか」
「そうそう、すぐそこに店があったから買っといたんだよ。これ以上怒らせたらガトレットちゃんに嫌われちゃうしな」
「まあ、これくらいでは誤差程度の好感度しか増えませんが、今度お食事くら――」
「それで、すぐに盾石のオッサンに俺が来たって伝えてもらってもいいかな?」
と、なにか言おうとしていたアシュリーちゃんに俺の言葉が被ってしまう。
「あ、ごめんな。今なんか言いかけてたか?」
「大丈夫です。では伝えておきますので速やかに私の視界から消えてください」
「あれ、なんか怒ってない?」
「怒ってません。これがあなたに対しての通常の接し方です」
アシュリーちゃんは思いきり睨みながら、そう言ってくる。
「ええ……」
それはいくら何でも受付嬢としても問題があるのではないかな。まあ、いいか。
この子に関しては割といつもの事だし。
自分の嫌われっぷりに驚きつつ、俺はエレベーターに乗り込む。
降りる場所はもちろん会社の最上階。盾石のオッサンが居る社長室へと向かう。