それは開戦の合図でしょうか?
社長と秘書のいざこざを見せつけられてた後。
俺達は、秘書からの逃走を諦めた盾石のオッサンも含めて社長室に場所を移していた。
「さて、それでさっきの今で持ち帰ってきた用ってのは一体なんなんだ?」
執務机に肘を置く盾石のオッサンは、来客用の質の良い長椅子に腰を下ろした俺に少し機嫌が悪そうな顔で用件を尋ねる。
視界端を出入りをしていた、勝手に他部署に移動されていた自分のデスクをオッサンの執務机の真横に再設置し満足気な表情の秘書へ苦笑いを浮かべ。
緊張感など消え失せた空間で、俺は今回押し付けるべき話を切り出す。
「ここを出てすぐ、この青年に助けを求められてな」
言いながら、手を向けた先。隣に座る青年に室内の視線が集中し。
晒された本日の主役は居心地のわるそうな顔で、非難の眼差しをこちらに向けてくる。
「それをオレに頼むってことは、オマエが返り討ちにして終わりというような類の話ではないんだな」
「面倒だが、そういうことだな」
オッサンの当然の疑問に頷く。
それで終わる事態なら、すでに解決していないのはおかしな話だ。
最高戦力が、その場に居たのだから。
「つまり化け物共の拠点の捜索依頼か何かか? それならば確かに、未だに灯京(この街)の土地勘が乏しいオマエが我が社に頼むのも無理もない」
「おっ、じゃあ!」
思っていたより早い交渉終了の予感に、俺は期待に満ちた声を上げて飛びつく。
……この際、頼みごとの詳細は了承させた後でも問題ないだろう。
「――が、以前のようにオマエの手助けのようなオレ個人への頼みならともかく……この会社への依頼ならば、申し訳ないが受付で正規の手続きをしてくれ」
しかし、立ち上がった俺にオッサンは先回りしてお断りの言葉を突き出す。
それは言外に特別扱いはできないと告げていた。
「いえ、隊長。個人的でもそういう安請け合いは控えてほしいのですけれど」
「……そういうことだ」
「どういうことだよ……」
隣に立っている秘書に言い含められ、オッサンは少し覇気の無くなった声で繰り返した。
まあそれでも、今回のは特別な事態なので対応を変えて請け負ってもらわざるを得ないんだけどな。
「一つ、重大な勘違いを訂正させてくれ」
このまま断られるわけにはいかず、俺は手の平を突き出し「待った」の姿勢を取り。
首を縦に振らせるべく話を続ける。
「俺が助けてほしいのは、こいつが化け物に襲われたって方じゃない」
「だったら、いよいよ何の用だ。言っとくが、化け物も関係ないチンケな困りごとにオレを巻き込むんじゃねえぞ?」
「……」
苦し紛れにも聞こえる不可解な発言にオッサンが投げやりに問う。
それに答えたのは、ことのなりゆきを不安そうに見守る青年でも、どのように相手の怒りに触れないように説明しようと思案する俺でもなく……
「それは人間の若者に見えますが、化けの皮を被った人狼なのですわ」
オッサンの隣。すでに他人事で話を聞いている女だった。
「なっ!?」
おそらく性格のねじ曲がっている秘書が、わざとらしい言い回しで火種を扇ぐ。
結果、当然の如く頭に血の上ったオッサンが青年に向けた目を見開く。
「人がせっかく順序立てて説明しようとしてんのに……」
「どういうつもりだ、剣!? この場所が何の拠点か分かってて、"また"連れてきてんのか!」
化け物退治業者の会社に、人狼を持ち込むのはテロ行為に違いない。
だから、慎重に説明しなければ反感買うことになるのは必然だった。
……まあ説明していても九割九分こうなっていたとは思うが、今回は故意に仕向けた秘書が全面的に悪いということで。
「ほら見ろこうなったじゃねえかよ!」
「私に責任を押し付けられましても、元々その化け物を殺させないと言い張ったのは貴方でしょう?」
場をかき乱した犯人は、素知らぬ態度で言い逃れをする。
残念ながら俺にこの秘書の責任を追及する口の上手さはなく。そもそも、そんな横やりへ真面目に対処している場合でもなかった。
もしかしたら初めてかもしれないなぁ。女をここまで引っ叩きたくなったのは。
「説明しろ、剣! 化け物に襲われた子供を助けたいという話なら、手を貸すのを渋るほど腐っちゃいねえ。だが、化け物のガキをオレ達の前に連れてきて殺さないでくれだと? 納得いく訳を聞かせてもらおうじゃねえか!」
血走った瞳で睨まれ、激しい怒号が鼓膜を叩く。
その声が、隣に座る人狼になったこと以外何の変哲もない普通の青年に恐怖を与えるには容易かった。
青年が、俺を見上げる。
「助けてやる」と言い切った男の顔を、じっと見つめている。
「この青年は、ウォロフの群れの仲間なんだ」
俺はオッサンが渋々納得してくれそうな理由を口にした。
事が解決するまで本来の理由では、彼の安全は保証できない。
「あの人狼のガキの? そんなもんの助けを何故オレに求める」
「それが、青年が襲われそうになってた敵は二人組の複種合人間でな」
「複種合人間の二人組だと!?」
秘書の時と同じく、盾石のオッサンが前例のない敵の情報に食いついた。
「ああ。しかもおそらく、この青年を狙った統率者が居そうな口ぶりだった」
おそらく敵の狙いは俺だろうが、青年を守る理由づけとして。
ここは彼を、この件でも被害者ということにしておこう。
「その情報は、正確なのか?」
盾石のオッサンは俺の言葉の真意を確認するべく、驚愕を貼り付けて現場を見てきた自分の部下を振り向く。
「私が駆けつけた時には既に火守りの騎士団によって息絶えていたので、この男の言葉以外の情報はないのです。申し訳ありません……隊長のお仕置きならぜひ喜んで受けます」
その視線に、秘書は心底申し訳なさそうに……どこか期待するように答える。
余計な意思の混入した報告に、オッサンが何かを切り替えるような間をほんの少し置いて、俺に向き直った。
「……それでオマエはオレになにをしてほしいんだ? 分かっていると思うが、この会社に複種合人間の集団とやり合う戦力なんてものはないぞ」
「分かってる、そっちは青年を匿ってくれりゃあ十分だ。敵の始末は俺がつける」
元より一人の方がずっと戦いやすい。
足手まといになるし、敵のボスに目的を聞くためには助っ人は居ない方がありがたかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁ、オマエの面倒事を生み出す才能には本当に恐れ入るよ」
「それほどでも」
「褒めてはいないんだが……」
頭の後ろを掻きつつ謙遜する俺に、オッサンは虚空を見つめるような疲れ果てた瞳に映している。
「賢者の依頼で、手を組んでるよしみだろ? 頼むって」
「厳密には頼まれているのは、オマエと元社員の吸血鬼と夢見がちな人狼のガキだけだがな」
「俺達への伝言役だって、もう立派な当事者だろ」
「笑顔で言うな、馬鹿者が」
巻き込まれたことはお気の毒さまと思うが、それとこれとは話が別だった。
こんな便利な人脈、使わないと損だろ。
「文句なら依頼主本人に言ってくれよ。クレームの対応は俺の管轄じゃあない」
「分かった。分かったから一旦、黙れ」
眉間を押さえる社長の隣から、苛立ちを隠していない秘書が口を出す。
「ずいぶん態度が大きいんですねぇ。雇われのくせに」
「お宅の社長に頼まれる仕事に比べたら、すごく簡単なお願いだからな」
「おかしいですね。その対価を貴方は何度も受け取っているはずなんですけれど」
俺のものを頼む態度が気に入らないのか、秘書は執拗に言いがかりをつけてくる。
え、正論? ちょっとよくわからないですね。
「……もういい。わかった」
うるさそうに首を振る盾石のオッサンは、俺達の声を黙らすように結論を告げた。
「お! 真面目な秘書と違って、盾石のオッサンは話が通じて助かるわ」
「また……っ!」
肩の荷が降り、声の調子が少し明るくなってしまう。そんな俺を、オッサンの秘書は恋敵を睨みつける様な衝撃が生じそうな眼力で睨みつける。
……どうやら、また何か怒らせるようなことをしてしまったらしいな。知らんけど。
様子のおかしい秘書を他所に、盾石のオッサンは長椅子で小さくなっている青年に視線を向けて忠告する。
「ただし、人狼。オマエの泊まる部屋の寝心地は良くないぞ? 敵対勢力から守ってやると言ってもオマエは"ここ"では動物園の猛獣と大差ないのだからな」
「……助けてくれるなら、僕は文句なんてこれぽっちもないです」
青年も、まだ化け物扱いに慣れてはいないだろうが、ここは素直に頷いてくれた。
「なら、せいぜいオマエの隣にいるちゃらんぽらんな男が一刻も早く倒してくれることを期待しとくんだな」
「……はい」
その言葉を言うオッサンの瞳には僅かだけど情けが滲んでいたような、そんな気がした。
続けて、盾石のオッサンが俺に視線を送り、口を開いた。
「そして、オレも一刻も早くこの面倒事が片付くのを期待している」
「期待っていうか催促だよな、それ」
その言葉には情けもへったくれもなかった。間違いなく。